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中一のとき傘を壊されて反省文を書いた話

自己紹介

僕は大阪大学で学生をしている。普段はTwitter(@Mathmeganekun)で自由に発言させてもらっている。中一の頃の話を書く。noteのネタが最近切れてきた。
そんな時いいネタを思いついた。理不尽な話。

部活

中学の頃、美術部に入っていた。
入部理由は「入りたい部活がなかったから」
消去法で選んだ。絵を描くのが好きなわけではなかった。帰宅部は良くないかなって思っていた。
顧問の先生が変な人だった。ヒステリックで好き嫌いが激しい人というか学校の先生に向いていない人だった。教員採用試験に5回落ちたって話をしていた気がする。
50代のおばちゃんだった。

ある日

美術部なのでメインの活動場所は美術室。
その日は学年末だった。粘土の作品の完成日が近づいていた。
美術室で居残りをしている人が多かった。
美術室に先生はいなかった。美術室に中一が20名ぐらい。粘土の投げ合いが始まった。
僕も人ごとではない。当たったら痛いし、制服についてしまう。紙粘土って当たると痛い。ドンって感じ。
僕は折り畳み傘を広げて防衛した。1回も投げていない。
紙粘土で僕の折り畳み傘は破壊された。脆いフレームは紙粘土用に設計されていなかった。想定すらされていなかっただろう。

翌日

学年末だったので午前中のみの日だった。
放課後に呼び出された。美術部の友達も呼ばれてた。彼は粘土を投げてた側の人だった。
呼び出された教室に行くと学年の先生が集合していて僕ら20人ぐらいが一列で並ばされた。
なぜ美術室でふざけたのかと一人ずつ聞かれた。
潔白を証明する機会だった。
他の生徒は「粘土を投げたからです」と言っていた。僕は「紙粘土に備えて傘を広げていました。それで傘が折れました」と言った。先生たちも「えっ…」てなっていた。
僕らに与えられた罰は反省文だった。文量は指定されなかった。顧問からも説教を受けた。
その日は引っ越す部員のお別れ会があった。僕らは入室を許可されず参加できなかった。
机が2つ外に出されて僕らは反省文を書いた。
5時間ぐらい書いていた。「清水くんに紙粘土投げられて傘が折れました。すみませんでした」みたいな反省文を書いた。
顧問に「君たちは他の生徒を注意してないから怒られたのだ。止めてないのなら同罪だ」と言われた。
僕は思った。「女子部員もいたよな?」って。
女子部員は呼び出されなかった。多分彼女らは先生にチクって説教を回避したのだろう。今でも理解できない。
僕はその時から責任転嫁する性格になった。
「僕はやめといた方がいいって言ったからね」って。
この事件は大きな転換点だった。色々考えさせられた。
理不尽を知った。“先生”という存在に疑問を持った。先生が高尚な職業だと全く思わなくなった。
それ以降先生に不信感を抱くようになった。
高校入試には内申点制度がある。学校の成績が入試の点数に反映されるというもの。
僕はこの制度が嫌いだ。
テストの点が成績に100%反映されるわけではないからだ。
先生の好き嫌いも多かれ少なかれ反映されるだろう。
もし内申点がなければ、僕は呼び出しには絶対に参加しないし怒られても徹底的に反発しただろう。全ての手段を利用して自分の潔白、教師陣の愚かさを証明しただろう。
内申点がなければ、入試当日の点数で他の受験生を上回れば合格できる。そこに先生からの評価は入らない。
変に媚び売りがうまく内申点が高いせいで身の上に合わない高校に入り、その結果大学受験に失敗することもある。
中学の勉強ができても高校の勉強ができず挫折してしまうケースを見てきた。
内申点のせいで生徒がまるで先生のペットのような感じがして嫌だった。
僕が先生になれば成績を100%成績に反映させる。その基準も生徒に明らかにして平等に決めさせていただく。
客観的な数字で全てを決まめる。

先生が大嫌いだ

美術の話に戻る。
その美術の先生は色々と欠損していた。
特に人間性。転校して1年目の先生だった。僕が中学2年生になる時にまた転校していった。
1年で学校を去った。
僕でも人間性では負けていない。
反省文を書いた瞬間に絶対に許さないと決めた。
先生はFaceBookをやっている。ネットで本名を検索したら色々出てくる。プロフィールぐらいなら知れる。時々調べる。個展を時々やっていることも知っている。絵を販売していることも知っている。
買いに行ってやろうかとさえも思う。

学歴

中学生の頃から僕は勉強しかできなかった。
だからこそ勉強で人に勝たないといけないと考えた。
いつからか僕のものさしは学歴へと変わった。
その美術の先生は大阪教育大学卒だった。大阪にある国立大学。
中1の時に大阪教育大学は越えなければならないと決心した。
当時の女子部員にも色々思うことがあった。
でもいい。たぶん僕の方が幸せだから。

上の記事の高3の担任も大阪教育大学卒だった。
「絶対にこの人たちよりも幸せになってやる」という気持ちで生きている。幸せの価値観は僕の主観だ。学歴≠幸せなのは理解している。
受験生の時もこの人たちのことが頭の中にあった。
絶対に超えてやる。
担任に対しては合格発表で嫌な顔をされたら嬉しいとさえ思っていた。
1年間その瞬間を想像しながら頑張っていた。
阪大に合格した。その日に一番乗りで報告しに行った。
嬉しそうではなかった。僕の顔を見ずに「はいはい。おめでとう。頑張ってね」と言われた。
僕は満足した。


ありがとうございました!
反省文の話をメインで書こうと思ったら意外と話が広がってしまいました。
下の記事もどうぞ!Xもやってます!


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