[書評]なぜ人と組織は変われないのか

知人にロバート・キーガン著の「なぜ人と組織は変われないのか」を勧められて読んだところ、
まだ第1章にも関わらずむちゃくちゃ面白かったので、完読してないですが感想を書こうと思います。

問題提起:個人や組織は本当に変われるのか?

リーダーの立場にある人なら誰でも、変革と改善がいかに大切か身に染みて感じているだろう。自分自身や他の人たちを変えることの難しさも痛感しているに違いないだろう。ところが、どうしてそれが難しいのか、そして、どうすればそれを実現できるのかという点は、ほとんどの人が分かっていない。
変わることが重要だと思えないから?
インセンティブが弱いから?
どこをどう変えれば良いかわからないから?

変わることを妨げている最大の障害は本当にこれらの要因なのか?
もっと運動したり、喫煙をやめたりしなければ心臓病で死にますよと専門医から警告されたとき、実際にそのように自分を変えることができる人は、7人に1人にすぎないという。
自己変革の重要性を認識していない訳でもないし、孫の成長を見守りたいというインセンティブもあるし、どこをどう変えればいいかは医師から明確に指示されている。
人は自分の命に関わる問題でさえ、自分自身が心から望んでいる変革を実行できないのだ。
心臓病で死ぬ危険があっても生活習慣を改めない人たちがそうだったように、リーダーと組織のメンバーが変革を成し遂げることを妨げている要因は、基本的に意志の欠如ではない。
本当の問題は、自分が本心からやりたいと望んでいることと、実際に実行できることの、間にある大きな溝だ。

これらの書き出しで、ガツンと頭を殴られた感覚を覚えました。

日々仕事をしていても、
『30歳を過ぎると人は完成されてしまうからそうそう変われない。むしろそれをどう活かすかを考えるべきだ』
と考えることが多々あります。

しかし一方、『モノの捉え方や考え方が変わり、見える景色が変わった』という体験もあり、人は変われるという期待を持つべきだという考えもあります。

これらはきっと二項対立ではなく、何か別の視点から見ることで両立するものなんだろうなーと思いつつ、それが見えず整理できていなかったため、とてもモヤモヤしていました。

その折に、この書き出しに出会ったものだからガツンとなりました。

大人の知性には3つの段階がある

環境順応型知性の持ち主は、情報を発信するときに、「他の人たちがどのような情報を欲しているか」というその人自身の認識に強く影響を受ける。集団思考(グループシンク)はその典型だ。
自己主導型知性の持ち主は、情報を発信するときに、「自分の課題や使命を追求するうえで、他の人たちにどういう情報を知らせたいと思うか」によって決まる面が大きい。
情報を受け取るときには、自己主導型知性が環境順応型知性と違うのは、どのような情報を受け入れるかを選別するフィルターを作り出すという点だ。
自己変容型知性の持ち主も、情報を受け取る時のフィルターを持っている。しかし、自己主導型知性と異なるのは、フィルターと自分が一体化していないことだ。フィルターと距離を置いて、フィルターそのものを客観的に見ることができる。自己変容型知性の持ち主は、ある特定の基本姿勢や分析、目標を大切にすると同時に、それに警戒心も抱くからだ。
今日の世界では、それまで環境順応型知性(言い換えれば「よき兵隊」)で十分だった働き手たちに自己主導型知性への移行が、自己主導型知性(言い換えれば「自信に満ちたキャプテン」)で十分だったリーダーたちに自己変容型知性への移行が求められている。

自己主導型知性より上の段階に達している人の割合は極めて小さい、
6割近くが、自己主導型知性の段階に達していない。
要するに、人々に要求される知性のレベルと実際に達しているレベルの間には、極めて大きな落差がある。

ここまでは、なるほどなるほどって感じでした。人間発達理論や組織マネジメントのグライナーモデルとも通ずる部分があるなーと。

学習方法を見直す

ロナルド・ハイフェッツは、人が直面する課題を二つに分類している。それは「技術的な課題」と「適応を要する課題」である。
あなたが今日と明日の世界で直面する課題の多くは、既存の思考様式のままで新しい技術をいくらか身につけるだけでは対応できない。そうした課題をハイフェッツは「適応を要する課題」と呼ぶ。この種の課題に対応するためには、知性のレベルを高めることによって、思考様式を変容させなければならない。
リーダーが犯す最も大きな過ちは、適応を要する課題を解決したいときに技術的手段を用いてしまうことだ。適応を要する課題に立ち向かっているのに、その課題が技術的な課題だと「誤診」し、目指している変化を起こせないケースがしばしばある。

どこの会社でもよく見られる、上司が部下に対して言う言葉。
「なんでもっと主体的に動かないんだ!?」
「もっと考えて行動しろ!」
というのも、まさにこの現象に陥っているんだろうと解釈しました。

自己主導型知性の持ち主である上司は、起きている課題に対して部下の行動を積極的に変えようと思っているが、環境順応型知性の持ち主である部下は、指示待ちの思考を持っているのでいくら言われてもピンとこない。

思考のプロトコル

環境順応型知性の持ち主は、行動を選択するうえで「自分がどうしたいか?」という概念が存在しない。

これを読んで【思考のプロトコル】という言葉がすごくしっくりきました。

例えば、[速度 * 時間]で[距離]を返すAPIがあったとします。
しかしこのAPIの中身を見てみると、[5km/h * x]と書かれており速度は一定で時間だけが引数となっている。
そのAPIに対し、[速度=10, 時間=4]と投げても、速度は5で一定だから20kmというアウトプットを返してきてしまう。
速度を10, 20, 30と変えても同じ20kmしか返ってこない。

「言われたことを実行する」というプロトコルを持っている人に対し、「ここを考えて、さらに実行して」と指示を出しても、それは目論見と違うアウトプットしか出ないよなと。あくまでプロトコルだから、どっちが良い悪いではなく、ただ噛み合っていないだけなのだと。(むしろ、リファレンスを読んでいないリーダーが悪いか?)

現代版の「お前はどうしたいの?」とは・・・?

これから派生して思ったのが、
リクルートで伝統的に言われ続ける「お前はどうしたいの?」というアレ。

環境順応型知性の大学生を、自己主導型知性に強制させる質問だったのかなーと思いました。その質問に答えられないといつまでも浴びさられ続けるから、強制的にその思考になるという。
環境適応型知性の働き手が多かった時代、自己主導型知性を携えた働き手が多いから差別化をはかれたし、また起業する人間も多い。

では自己変容型知性への移行が求められている現代において、自己主導型かた自己変容型に強制させる質問はなんだろう?
質問でなく何か別の環境なのだろうか?

もう少し読み進めてから考察を深めることにします。

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