見出し画像

世代的な成熟ごとの婚活

Amazon.co.jpが提供するオーディオブック"Audible"を利用しているのだけど、最近村上春樹作「ノルウェイの森」(講談社、1987年)が俳優・妻夫木聡さんの朗読で配信された。

1つあったレビューに、同書の上下巻(初版本)を後に妻になる女性に「読んでみて」と渡した記憶がよみがえるとあった。発表された年を考慮すると、そのレビューを書いた人は50代半ばくらいではないかと想像する。であるとすれば、彼女にその初版本を手渡したのは20歳頃になり、20代といえば自分が気に入ったものを気になる好きな女性に、これ読んでみてよ(もしくは使ってみてよ、聴いてみてよ、食べてみてよ、他多数)と気持ちを共有してみたい頃である。

それが男性特有のものなのか女性にも同じような傾向があるのかわからないけれど、とにかく自分の20代の頃にも似たような傾向があった。「自分が好きなものならきっと相手も喜んでくれるはず」という厄介な自信と前のめり過ぎる思い込みである。

「いま窓のそと見れる? すごく綺麗な夕陽だよ、見てみて」みたいなLINEを非カノジョに送るようなもので、場合によって気持ち悪がられる。

好意を寄せる相手からなら嬉しいだろうし、悪い印象はないけどとくに意識さえしていない相手からなら教えてくれてありがとうって気持ちだろうし、興味さえない相手からなら「正直、これが最後にしてよね」の反応がオチだ。

かくいう私も、そのときどきで好意を寄せる女性に「ノルウェイの森」を何度か手渡したことが、ある(笑)

ご存じない方にお話すると、その小説にはとても個性が確立された魅力的な人物が数多に登場する。主人公のワタナベしかり、三角関係にある直子や小林緑、学生寮の先輩永沢とその恋人のハツミさん、阿美寮の玲子さんなど、当時高校3年生だった私が地元の友人に感化されて初めて手に取った村上作品の本書を読みながら、「いったい村上春樹という作家は何人の登場人物になれたりするのだ?」と思ったものだ。

小林緑には無条件に恋をしてしまうし、永沢の屈折した頭の良さには憧れるし、年齢を重ねるにつれハツミさんの古風な女性らしさに心惹かれるし、誰かのまわりにも玲子さんみたいな女性の存在があればとても心強いだろうなと感じるし、とにかく登場人物はみんな血が通っている。

そして作者の村上は「どうして僕のことをこんなにも知っているのだろう?」という共感的な感情を抱かせる。凡庸でない物語作家がなせる技術(魔法)で、結局は共鳴という名の勘違いなのだけど、そんな理由から当時の私は気になる女の子にその上下巻を、いわば"自分のトリセツ"として手渡すのであった。

自分自身も経験しているから言うけれど、20代の頃は多少尖んがって強がっているものの、それはたんに経験がなくて十分に考えられないだけで、若さゆえに青臭いのである。

今回のnoteは、どちらかと言えば男性の方に向けて書かれてある。残酷なことを言うと、あなたのトリセツはあなたに興味を持ってくれている相手だからこそ手に取って読んでくれるのであって、手元にあるからという理由で無条件に読んではくれない。

30代の頃になるとそういう感情もだいぶ治まり、尖んがった部分も丸くなり、もう少し相手のことを考えられるようになる。自分本意から相手本位へ、そのアーティストの曲を聴くならこのアーティストのも聴くんじゃないかとすすめたり、相手の好きそうな料理を出すお店を調べてデートに誘ってみたり、気に入っているものを「貸す」んじゃなくあげたり。

元々の友人や知り合いではない婚活を通じて知り合う人たちは、あなたの言動ひとつ一つを通じてあなたという人を知り、理解していくことになる。そして相手からは、この人はわたしの結婚相手として上手くやっていける人なのかしら?という値ぶみする目で見られる。

相手のためを思った行為は、その内容や態度だけでなく言葉遣いさえもおそらく変化する。そのため信頼関係をまだ築けていない段階で男性はとにかく調子に乗らないことだ。まだ知り合ったばかりの目の前の女性は、あなたの友人でも幼なじみでもなく、紳士的に丁寧に接しなくてはならない大切なゲストなのだから。もしかしたらその後の人生をともに過ごすお相手になるかもしれないけれど、一方的にあなたの素の部分をいきなり見せてはならない。その違いや判断を見誤ると後ですごく傷ついて落ち込むことになる。

つまり、それは打算でもある。かけ引きの意味でもあるので人によっては「かけ引きなんて」と思われるかもしれない。でも30代ともなれば、つねに野球のバッターボックスでバットを長めに持って一発ホームラン(長打)を狙うわけにはいかない。バットは短めに持ってヒット(単打)をコツコツと狙って積み重ねていかなくてはならないのだ。

そして40代の頃になると、瀬戸際感がいっそう強くなる。私自身は44歳で初婚をむかえたのでそれは実感していた。自分のトリセツなんて相手に渡さないし、打席に立てばつねにバットは短く持って、狙うは単打のみである。

しかし、ここで悩ましいが、投げる相手によって自分のバッティングスタイルを変えて良いのかという問題である。ヒットは欲しい。最低でもボールはバットに当てたい。体勢を崩してでもがむしゃらにボールに喰らいつく。そんな確率を上げるためのバッティングが、たとえ結果的にヒットになったとしても、それは成功なのだろうか。もっと自分自身に素直になって、本当の自分が求める本当の幸せ、それを追求するスタイルこそが結婚生活においても正解なのではないか?

私なりの回答は、相手に合わせて自分のバッティングを柔軟に変化させ、なんとかボールをバットに当てヒットを打て、である。

結婚生活においてつねに自分のカタチにこだわり過ぎても相手の人と上手くやっていけないのと同様に、本質的には、上手くヒットを打つことよりはバットを短く持って短打を狙う姿勢のほうが評価されるように思う。

そうした慎ましさ、自分を律することのできる態度こそが年を重ねることで得られる大人の成熟なんじゃないのかな、とオーディオブック版「ノルウェイの森」の書評を読みながら胸に抱いた(少々長めの)雑感でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?