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心から伝えたいことがあるあなたへ

端的に言ってしまえば、「君が好きだ」の一言でいい。

確かに僕は、君のやたらと少ない瞬きや、「あたし」の一人称にときめいているかもしれないが、それを言うべきは今ではないのだ。


人は、すべてを言ってしまいがちだ。

心から伝えたいことがあったとして
(「君が好きだ」ということ)、
言うべきはそのひとつだけで十分なのに
(「君が好きだ」)、
思っていることのすべてを言おうとする。

人には声があるからだろう。

思いが溢れそうになったとき、人はその思いを声として吐き出すことができる。
これは人の特権だ。
人は、すべてを言うことができてしまう生き物なのだ。

しかしそれでは、心から伝えたいことが薄まって伝わってしまうかもしれない。
僕が真っ赤に思いを伝えたとしても、それがピンクになって伝わってしまうのは、本意ではない。
心から伝えたいことは、そのまま伝わってほしいものだ。

僕は、愛犬と毎日暮らしていて、
「この子にもしも声があったのなら、どんな言葉を言うのだろう」と、よく夢想する。

きっと僕は、この子が本当に伝えたいことだけしか分かってあげられていない。
それ以外を伝えるための手段をこの子は持っていないからだ。
もしかしたら伝えようとしてくれているのかもしれないが、それは僕が犬になってみないと分かりようがない。

ただ、「伝えたいことを伝えるために必要なコミュニケーション」としては、それで十分なんだと思う。

「散歩に行きたい」「お腹が空いた」「一緒に遊ぼ」
ちゃんと分かる。
むしろ「分かったから」と、伝わり過ぎることもある。

こんなにも真っ直ぐ綺麗なコミュニケーションを、人ができるだろうか。
「真っ直ぐ」というのは、心から伝えたいことが曇りなく伝わっているという意味で、それを「綺麗」と表すのは僕の感性だ。

いや、絶対にできるハズなのだろうが、あまり見ない。
面接の問答が少し近いだろうか。
現に僕も、こんなにも綺麗でない文章を書いてしまっている。

確かに分かっている。

心から伝えたいことがあるなら、それだけを伝えればいい
それ以外の伝えたいことを声にしてしまうと、心から伝えたいことがそのままで伝わらない

これこそ、思いを伝えるためのコミュニケーションだ。


僕の憧れの人はそれが上手だった。

だから幸せは飛び切りで、悲しみは散々だった。
感情の震えは、すべて思い出の感動のフォルダーの中だ。

僕の声も、誰かのそれであってほしいと願う反面、これが僕という人なのだと伝わればいいと思って、これを長々言葉に書いてみた。

どう伝わっているのか実際見当も付かないが、この分からなさは
「あぁ、確かに会話してるな」
そう実感させるものだ。

案外僕はこれに慣れてしまって、むしろこの霧中さを粋に感じているのかもしれない。

だとしたら、僕は人でよかったであろう。

今はただそう思うことにして、この言葉を結び終えたい。

今日くらいは、「いただきます」「ごちそうさま」ちゃんと伝わるといいな。







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