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人生の豊かさは、選択肢の豊かさか
人生の豊かさに、普遍的な定義はありません。
それは、人の価値観によって人生の豊かさの物差しが変わるからでしょう。
そして、人の価値観というものは、時代背景が大いに反映されています。
例えば、戦時中の日本では「争いがないこと」が豊かな人生とされたかもしれないし、ゆとり教育が行われた1990年前後は「主体的に生きられること」が豊かな人生とされたかもしれません。
人生の豊かさを語るときに、「こんな時代だからこそ」は、枕詞として有用でしょう。
では、令和という時代はどうでしょうか。
僕は、平成の約半分を生き、今は令和の時間を過ごしています。
思えば中学生のころは、何者になることよりも何者にもなれることを、豊かな人生として心に描いていました。
「何者なんかになるものか」そう思っていました。
それは、幼い自分に無限の将来を見ていたわけではなく、時代も社会も人も価値観も、何もかもが絶対に変わっていくんだろうと思っていたし、その変化の波に乗れず1人流されてしまうのが怖かったからです。
まさに平成は「動かざる善」から「多様性の善」ヘの中途にありました。
そして、「平成」に変わる新元号の施行とともに、多様性は広く浸透しました。
その速度は、僕が中学生のころ思い描いていたよりも少し速いくらい。
時代は既に「多様性の令和」です。
慌ただしく変化し、多様化した先は、選択肢に満ち溢れた社会でした。
ー お昼は何を食べよう
ー 週末はどこへ出かけよう
ー どんな仕事に就こう
ー どんな人生にしよう
こんな選択の機会に、僕らは日常的に何度も遭遇していますが、そのどれをとっても以前よりも選べる選択肢が増えているはずです。
選択肢は、新たな価値観が認められることで増えていきます。
つまり、令和とは多くの新しい価値観が認められた時代です。
そういった意味で令和は自由な時代だと言えるし、自由の幅が広がった時代とも言えるでしょう。
一見すると、多くの人にとって豊かな時代になったかのように思えます。
しかし、実際のところは、
過去どの時代でも豊かに生きられるような人が、たまたま令和を生き、豊かな人生になるべくしてなっているだけであって、平均的に豊かな人生を送られる時代になったわけではない
と思っています。
要するに、自由=豊か とは残念ながらならないのではないか。
選択肢が増えたところで、豊かな人生には直結しないのではないか。
確かに、選択肢が多いことは幸せなことだと思います。
広い世界を生きられているようで、心地もいいです。
しかし、何かを選ばないことには、豊かもクソもありません。
目の前の選択肢が多かろうと、結局は選んだ結果の積み重ねが人生です。
お昼ご飯の選択肢が、コンビニ弁当・中華料理屋・パン屋・うどん屋・カレー屋・サラダ屋・・・とたくさんあったところであなたのお腹は満たされないし、選んだお店があまり美味しくないお店の可能性だってあります。
気分だっていつも違います。
もちろんこの場合、コンビニ弁当という安パイの選択肢を選んでもいいし、行きつけの中華料理屋を選んでもいいし、ダイエットのために何も食べないという選択をとってもいいというのが人生というもの。
もっとも大切なことは、
豊かな人生は、選び進んだ先にしかない
ということです。
僕らは、人生を豊かにするために、豊かな選択をしなければなりません。
たくさんの選択肢の中で、思考して、これだというものを選び取らなければなりません。
だからこそ僕は、令和という時代に数学を教えています。
選択肢が無数にある今こそ、豊かな人生形成のために数学教育を建て直す必要があると思っています。
数学とは、公式や定理などを学び、身に付け、問題を解くときにはいくつかの解答プロセスの中から最適なものを選び取り、論理を構築するものだから。
少なくとも学生時代までの数学はそうでした。
思考することに重きを置いて学ぶことで、何より選び取る力を養うことができるでしょう。
あるいは、選び取った先の答え合わせが分かりやすい、いわば小さな人生のような科目かもしれません。
豊かな人生を創るのは、必ずそれら1つ1つの選択なのです。
みんな違って、みんないい
これは、金子みすゞさんの『私と小鳥と鈴と』という詩の一節、
「鈴と、小鳥と、それから私、」に続く言葉です。
どんな種族も、他の種族が存在して自分も存在できているのだから、他を認めて、決して傷付けない
そんな意味が込められていますが、それはそれぞれの種族の中でも同じです。
人間みんなが思考して、みんな別々の選択肢を選んだっていいのです。
実は、数学にはそれがとても色濃く反映されています。
数学は以前より変わらず自由で、解法に価値観と豊かさが表れる科目です。
それこそ僕の教え甲斐で、学び甲斐です。
僕は生徒に学ばせていただいてもいるのです。
よかったらこれ、読んでみてくださいね ↓
僕は、人生の豊かさは選択肢の豊かさだとは思いません。
人生は毎日毎日選択の連続で、その選択の先にしか進むことができないからです。
選択しないことには、人生は創られないからです。
だから豊かな人生とは、豊かな選択の先に続いていると思っています。
そして僕は、豊かな人生のための、思考する数学を日々教えています。
数学の学びが人生を豊かにするという信念のもと、教えています。
これを読んでくださった皆様に、どうか人生に役立つ数学という価値観を認めていただけたら幸いです。
また、皆様の人生が豊かなものになることを心から願っております。
人生の豊かさは、選択肢の豊かさではない。
人生の豊かさは、選択の豊かさだ。
選択の豊かさは、思考の豊かさだ。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。
引き続き一生懸命に書いていこうと思います。
フォローしてお待ちいただけるとうれしいです。