人生ダンジョンでは繋がることが大事
日々、様々なnoteを拝読して思う
noteの智の大海を進みながら思うのですが、
職業やポジションがとてもよく似ていたり、
同じような括りのサービスや商品を手がけていたりする
ユーザーさん達が観きれないほどいらっしゃるのに、
投稿されているものに同じ物は一つも無いのですよね。
同じ集いに参加したユーザーさんでも投稿の切り口も
伝えたい内容も違う。
まさに多種多様の坩堝。
用水路には色んな生命が寄り添っていたあの頃
多様性という言葉を聞くと、私なんかは小学校の時に
体育館の裏に流れていたほぼ小川の用水路を思い出す。
春には蓮華草で埋め尽くされる田んぼに水を引く用水路の
土手を友達と帰る。
流れる水に蓮華が移り、アメンボがいて、そのしたを
小鮒やカエル、ザリガニがいるのが見えて、
田んぼに水を引き入れる日には、悪ガキどもは、みんな
網を持って待ち伏せて、
田んぼに勢いよく流れ込んでくる水と一緒に吸い込まれてきた
様々な生物を取ってはビニール袋に入れて陽の光にかざす。
メダカや小鮒が獲れると嬉しかった。
藻のかけらやら何やらが日に反射して
キラキラするのを観ていると時間も忘れて
夢中になった。
夏はウシガエルの鳴き声が凄かった。
でも、それがホワイトノイズ化していつもぐっすり眠れていた
ことを思い出す。
言語として明確に理解や意識はなかったけれど
「ミンナデ イキテイル」ということは充分に
視覚から認識されてたと思います。
日々見たり聞いたりする多様性の話
だからさっきもニュース番組に流れていた多様性の話を聞くと、
皆、もっと自分の周りをよく見て観察するといいよねと思うのです。
一体全体、自然界のどこに「単一性」で成り立っている部分が
あるのかしらと。
複雑にさせているのは人のエゴだけで、地球上は昔から
多様性しかないのではと浅知恵の私なりに思います。
生物には生物の、人には人の、社会には社会の認識されて
いおうがいまいが、それぞれ大枠の役割がある気がします。
それを「認め・受け入れ」ることは一斉同時には進まないとしても、
じわりじわりと田んぼの乾いた土にどばどばーって多様な生き物や
無機物を含みきったキラキラした水が流れていって
染みこんでいくようになっていくと思います。
いま世界中で用水路の蓋が開き、どばどばーってやっている
最中なんだと、
それに立ち会っているんだと自分の立ち位置を理解している
量産型老兵の私です。
乾いた田んぼに水が染みこむ、それを可能にする「潔さ」
私もクリアな透き通った水を目指す1人だろうと思っています。
「あなたはあなたのままで良い!」これこそが多様性の
本質的なメッセージだなーと。
なんてところまで頭の中を広げさせてくれるnoteに
参加しているユーザーの多様度の高さを今日も実感しました。
まとめとして
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