見出し画像

マタニティリープマガジン vol.44『子どもが欲しい』その想いから始まった妊活、3度の国際結婚とアメリカでの養子縁組―CAから鍼灸・ヨガの世界へ。自然とともに“地球に生きる”自分に辿り着くまで ー(第2回/全5回)

みなさん、こんにちは。「マタニティを飛躍の機会に」。マタニティリープです。このマガジンでは毎週木曜日にメインコンテンツとして、マタニティ期、子育て期の経験とリープについて伺ったインタビュー記事を連載しています。今回は野田まゆかさんのインタビューの2回目となります。読んでいただいて、共感したり、元気になったり、癒されたりと、みなさんの力となる記事になれたら嬉しいです。


▪️マタニティリープインタビュー 野田まゆかさん

〜野田まゆかさんのマタニティリープジャーニー〜(第2回)

野田まゆかさんには、5歳になる双子の子供がいます。4歳から始めた水泳を通じてアメリカ留学を果たし、キャビンアテンダントとしてのキャリアをスタートさせましたが、その裏には妊活の苦悩や二度の離婚といった試練がありました。何度も体外受精に挑戦するも叶わず、最終的に養子として双子を迎え入れるという決断を下します。その一方で、ヨガインストラクターとしての活動や鍼灸師としての経験を積む中で、自らを見つめ直し、よりシンプルで自然に寄り添った生き方を求めるようになりました。アメリカでの生活を経て、家族と共に日本へと移住したのも、自然豊かな環境での暮らしを選んだからです。困難を乗り越えるたびに新たな挑戦を続け、自分らしい生き方を模索するまゆかさん。今回のインタビューでは、これまでの経験を通して得た気づきや、帰国後の生活、そして未来に向けた夢についてお話を伺います。

>第1回:私が選んだ家族のかたち の記事はこちら

第2回:水泳の道からアメリカへ

サブタイトル:夢と挑戦、そして異文化での成長


小学校4年生ぐらいの大会にて。赤い水着を着ているのが野田さん。

ーー「高校からアメリカへ行かれたと聞きましたが、それはどういうきっかけで?」

野田まゆか: 実は、きっかけは水泳だったんです。私は4歳の時から水泳を始めていて、小学3年生の時に選手クラスに入って以来、水泳漬けの日々でした。学校が終わるとすぐにプールに向かい、夕方から夜遅くまで練習を続けていました。その結果、ジュニアオリンピックにも出場し、中学でも水泳の強いクラブがある学校を選びました。私の生活は完全に水泳中心で、家族全員がその生活リズムに合わせて動いていたんです。

中学時代には全国大会でも表彰されるほどになり、自然と「オリンピックに行くんだろうな」という感覚がありました。実際、小学校6年生の頃から、夏休みなどにはアメリカにトレーニング合宿に行っていました。当時のコーチが、アメリカの水泳環境を勧めてくれて、「いいね、それなら行こう」と私も前向きに考えていました。

アメリカでのトレーニングは既に何度か経験していたので、不安は少なく、自分も行くことができると信じていました。ただ、心配性の父は猛反対でした。しかし、ポジティブ思考の母が父を説得し、「まゆかは大丈夫。自分の人生を生きていくんだから」と強く言ってくれたことで、私のアメリカ行きが決まりました。

実家に飾ってあるメダルと写真

ーー「そうしてアメリカへ行かれたのですね。現地での生活はどうでしたか?」

野田まゆか: はい、1990年高校2年生の12月、私はテキサスへ向かいました。初めてのクリスマスイブを迎える頃には、テキサスからペンシルバニア州のホストファミリーのもとに移動していました。ペンシルバニアで初めて雪景色を見たんです。生まれて初めての積雪で、その美しい光景は今でも鮮明に覚えています。

現地ではホストファミリーの家に住みながら、高校に通いました。日本では高校2年生でしたが、アメリカでは高校1年生の途中からのスタートです。英語が全くできなかったので、最初はホストファミリーとのコミュニケーションも大変でした。自分の意思を伝えるために、紙に書いてやり取りすることが多かったです。話すことはできませんでしたが、書くことならできたので、その方法でどうにか乗り越えていました。

17歳で渡米した頃の水泳チーム集合写真

ーー「最初の頃は苦労が多かったようですね。」

野田まゆか: そうですね。高校の教科書は全く読めなかったので、家庭教師をお願いして、何とか授業についていくようにしていました。最初の3ヶ月間は特に厳しくて、ホームシックにもなりました。でも、何とかその壁を乗り越え、水泳の実力が認められて、大学からスカウトされることになりました。それで、UCLAの心理学科に入学することが決まりました。

ーー「アメリカでの大学生活はどのようなものでしたか?」

野田まゆか: ペンシルバニアでの高校生活が落ち着いた後、カリフォルニアへ移り住み、UCLAに入学しました。アメリカでの生活にはある程度慣れていたつもりでしたが、実際は大変でした。水泳に集中していたのですが、なかなか成果が上がらず、次第に焦りやストレスが溜まっていきました。そんな中で、徐々に心理学に興味を持つようになり、勉強に力を入れるようになったのですが、2年生の頃に大きな壁にぶつかりました。

水泳で期待していたほどの結果が出ず、自分の将来について深く悩むようになったんです。「水泳でプロにはなれないし、これからどうしよう」という思いが頭をよぎりました。結局、大学を休学し、しばらく日本に戻ることにしました。

ーー「休学後の生活はどうされていたのですか?」

野田まゆか: 休学中は、日本でアルバイトをしながら、自分の進むべき道を模索していました。父の経営していたマクドナルドや他の飲食店でアルバイトをしていたのですが、1年ほど経った時、ふと「ハワイに行ってみたい」と思ったんです。それで、ハワイの私立大学に編入することにしました。

ハワイでは、とりあえず卒業を目指すという気持ちで、心理学からビジネス専攻に変更しました。当時は、とにかく就職に繋がる専攻が良いと考えていたんです。その頃、私は社会学やスポーツ心理学にも興味を持っていて、「もっと人の話を聞きたい」という気持ちが強くありました。特にビジネスプランを立てる授業は苦手で、何度も挫折しそうになりました。

ーー「その後の就職活動はどう進んだのですか?」

野田まゆか: アメリカにいる間は学生ビザでの滞在だったので、就職には制限がありました。テンポラリービザしか取れず、ビザの期限が1年と短かったこともあって、不安が大きかったです。そんな時、当時付き合っていた彼氏から「結婚しよう」とプロポーズされました。それで、大学を卒業する年か、その翌年に結婚することに決めました。

彼はパイロットで、テキサスで仕事をしていたため、私はハワイからテキサスへ引っ越すことになりました。こうして、私の新しい人生が始まりました。

<第3回:鍼灸師への道と二度の結婚 に続く>


▪️マタニティリープ情報

今週も「マタニティリープマガジン」をお読みいただき、ありがとうございます。嬉しいお知らせです!ついにマタニティリープの本の校了を迎えることができました。長い道のりでしたが、ようやく完成したこの一冊を、皆さんにお届けできることが本当に楽しみです。

出版に向けて、アンバサダーの皆さんと一緒にSNSでの広報活動や発売記念のイベントも進めていきます。皆さんの応援の声が、このプロジェクトの大きな力となっており、心から感謝しています。今後もSNSでの情報発信を通じて、出版のワクワク感をシェアしていきますので、ぜひチェックしてくださいね。

そして、12月の発売を皮切りに、来年1月11日(土)には、マタニティリープ合同会社の3周年記念日を祝う対面の出版イベントも計画しています。この記念すべき日に、皆さんと直接お会いし、リープの輪を広げられることをとても楽しみにしています。

これからも、皆さんと共に歩んでいけることを心から楽しみにしています。引き続き、「マタニティリープマガジン」をどうぞよろしくお願いいたします!

<編集>
マタニティリープ合同会社
https://www.maternityleap.com/


いいなと思ったら応援しよう!