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【最高傑作】石井聰亙「狂い咲きサンダーロード オリジナルネガ・リマスター版」

今は石井岳龍と改名しておりますが、前の名前の方が通りがいいので聰亙と書かせていただきます。

石井聰亙は福岡市出身で、1976年に日本大学芸術学部に入学しました。入学直後に学生による自主映画制作グループ狂映舎を設立、映画制作に没頭します。

最初に作った8ミリ映画「高校大パニック」が学生映画の枠を超えて注目を集め、1978年に日活が澤田幸弘監督でリメイクしました。共同監督に石井聰亙の名前もあるのですが、商業映画の現場は初めての石井は、実質的に何も出来なかったようです。

この悔しさをバネにして、自分で何でも出来る自主映画の場で作品を撮り、1980年に16ミリで自主制作したのが「狂い咲きサンダーロード」になります。これは日大芸術学部の卒業制作として作られましたが、作品の出来が余りにも良く、東映セントラルによって35ミリにブローアップした形で劇場公開されました。今見ても、自主映画とは思えない完成度とエネルギーに溢れた傑作です。

近未来、日本のどこかにあるという幻の街サンダーロードで暴れていた暴走族達が、警察の熾烈な取り締まりを前に穏健派と武闘派が対立、あくまでツッパリ通す覚悟の武闘派リーダーの仁(山田辰夫)が対立する連合組織エルボー連合と死闘の末、右手と右足をチェンソーで切断される大怪我を負います。

仁は、自分を襲ったエルボー連合に復讐するべく、右手右足にアタッチメントをつけ、ショットガン、バズーカ砲、ダイナマイトで武装して単身、サンダーロードに殴り込みをかけるのでした。

この映画が製作された1980年前後は、自主映画の世界にニューウェーブが押し寄せ、優秀なアマチュア作家がひしめいていました。石井は自主映画で活躍していた優秀なスタッフを集めてこの映画を作ったのですが、石井聰亙とスタッフの才能のみならず、1980年前後のインディーズ映画シーンの盛り上がりを象徴する傑作になりました。

参加したスタッフの多くが、その後プロとして活躍しています。

同時期、大阪では学生だった庵野秀明らが自主制作のアニメや特撮映画を作り始めており、これもそのクオリティの高さでアニメファンやプロの業界でも話題になりましたが、つまり、70年代末から80年代初頭は「プロが驚くハイパー・アマチュア」が多数、出現した時代だったのです。

そうした自主制作の盛り上がりを支えたのは商業映画界やマスコミの協力があってのことでした。「狂い咲きサンダーロード」を配給した東映セントラルは、劇場公開にあたって16ミリフィルムを35ミリにブローアップする資金を提供し、公開までしましたし、「ぴあ」などの雑誌が自主映画のコンテストを開いて誌面でも盛り上げていたのです。

このBlu-rayはオリジナルネガからのリマスター版で、現状では最高のクオリティで観ることができます。ミュージシャンの泉谷しげる、パンタなどが音楽を提供しています。

「狂い咲きサンダーロード」は、日本のサブカルチャー史でも特異と言えるこの時代のすべてが詰まった映画です。落ち込んだ時にこの映画を観ると、「学生でも、アマチュアでも、ここまでやった時代があったんだ」と元気がもらえる作品であります。

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