千葉に圧倒的に欠けている「文化になるチカラ」~木更津への愛のムチ~
私の出身は、千葉県鎌ケ谷市。県西北部、都心まで1時間強の郊外ベッドタウンだ。大学1年生まで、千葉県で生まれ育った。今回の記事は、そんな私の目から、千葉県に対する複雑な思い、失望、そして微かな期待を綴っていきたいと思う。
先週末、私は木更津にいた。数年前に参拝した八剱八幡神社にお礼参りに行ったのだ。源頼朝ゆかりの神社。源氏再興に大きく貢献した地でもあるし、近代は千葉の中心として、港町で栄えた街だ。「木更津キャッツアイ」「気志團」でおなじみの方も多いだろう。
一言で表現すると、「終わった街」だった。
駅から続くメインストリートは文字通りの「シャッター街」。高齢の女性が切り盛りしている乾物の土産物以外は、軒並み閉まっている。何百メートル歩いても開いている店を見つけることができない。休日だというのに(いや、休日だからか?)人の姿もほとんど見えない。街全体が眠ってしまったかのようである。
メインストリートから一本入れば、住宅街エリアとなる。そこに広がるのは、畳んでしまった小さな工場跡、トタン葺きの住宅の廃墟、真昼間だというのに営業している気配の見えない食堂…。およそ、活力という活力が根こそぎ奪われているような佇まいである。
広い平野に一面に、廃墟のような街並みが広がる。春の始まりを告げる強い風が身体に沁みる。
私が感じ取る限り、この街から新たな「何か」が立ち上がってくることはないだろう。それは、昨年の夏に九十九里浜に行ったときにも感じることだった。空き家とシャッター街の跡から、新たな文化の芽吹きが生まれてくる気配がない。
もっと言えば、千葉県全土から私が感じていることである。西北部のかつての「ニュータウン」はどんどん老朽化が進む。かつての空き地や森林はどんどん住宅建築にとって代わられ、風景は失われて家ばかり増えていく。九十九里はサーファーのメッカだが、サーフカルチャーが芽生える気配はついぞない。焼きハマグリが食べられるばかりだ。内房の海は埋め立て地であり、海水浴には適さない。工場やタンカーの錆びた鉄の香りが漂ってきそうな一帯だ。
なぜ、千葉県から新たなカルチャーが立ち上がらないのだろうか。私が考えたのは、以下のような理由である。
県民の求心力となる「歴史的なストーリー」がない。
率直に言うと、千葉県は日本史の中で「輝いた」ことがない。千葉県の私でさえ、教科書に出てくるような歴史上の偉人やエピソード、旧所明晰が思い浮かばない。自分が育った鎌ケ谷市が「何藩」だったのか、藩主がどんな人だったのか、歴史上どんな役割を果たしたのかも、知らない。
最も有名どころでいえば、源頼朝の源氏再興の旗揚げに、東国武士として支援した千葉常胤であろうか。しかし、辛うじて名前は聞いたことがあるような気がするものの、その人となりや偉業を知る由もない。千葉県の豪族は北条家、源氏のあくまで一家臣であり、時に重用されたり武勇で名を馳せたりしたことは少なからずあったようだが、その功績は歴史の中に埋もれたままである。そして、源氏滅亡後は内乱で細分化し、大きな勢力になることもなかったようである。
江戸時代は、江戸から近かったことから、主に旗本の天領に位置付けられ、大きな勢力となることはなかった。ここでもその役割は非常に地味なものである。
そして明治以降の近代は、地下資源がなかったため、近代化の流れに大きく出遅れた。しょうゆ製造や酪農など、「できることで頑張った」感のある時代である。
そして戦後は、「千葉都民」とも呼ばれた西北部の「ベッドタウン」としての発展。そして「東京ディズニーランド」「新東京国際空港」といったように、主に「首都東京の下請け」として発展してきた。
そう、ここまでご覧いただければわかる通り、千葉というのは歴史的に「江戸(東京)の補完機能」であり、独自の文化圏がそこに生まれることはなかったのである。
そのため、「千葉」という郷土への愛や誇りの求心力となる偉人や文化、世界観が存在しないため、いざ寂れたときにもう一度立て直すための「根っこ」が存在しないため、クリエイティブなムーブメントが生まれない。おそらくこの先も、生まれることがないだろう。
例えば、同じ「海」という自然資源のある鎌倉、湘南エリアは一つの文化圏として発展した。それは、もともと鎌倉幕府という古都としての「根っこ」があるからであり、だからこそ明治時代以降、時のエスタブリッシュメントや文化人などクリエイティブクラスが静養の地に選んだのである。一方、千葉はそのような場所として目を向けられることはなかった。ひとえに文化としての魅力がない、そしてその理由は歴史の輝きの欠如に由来するのである。
東京から近いため、「流出一方」になる。
たとえば木更津は、車を使えば東京まで1時間程度で行けてしまう。「海ほたる」によって、都心へのアクセスはもっと便利になった。それであれば、若者としては、千葉に根を下ろす積極的な動機は存在しない。一方、「郷土を捨てる」という悲壮な決意も必要がない。都心まで1時間かけて生活の拠点を移し、たまに帰省すればいいだけの話である。事実、海ほたるの開通によって、逆に木更津は寂れた。海ほたるを使って、若者がどんどん出て行ってしまった。いわゆる「ストロー現象」である。
私は、東京へのこの「中途半端な近さ」が、千葉のアイデンティティを逆に妨げているような気がしてならない。江戸川を挟んで明らかに断絶しており、都市圏のトレンドが流入してくるというよりは、国道沿いのイオンや回転ずし、靴流通センターの世界観に変わってしまうだけである。そう、ちょいと電車や車で移動すれば、日本最先端のトレンドにはすぐにアクセスできる。海ほたるを使えば横浜にもアクセスできる。そのアクセスの便により、家を建てれば売れる。都心に務めるサラリーマンが家を買う。
東京からスペース的にあぶれた需要、ディズニーランドや成田空港、千葉マリンスタジアムなど「箱もの」を、千葉の広大な土地に誘致すれば人の移動、経済効果は簡単に生まれる。アウトレットやゴルフ場もできる。
しかし、ただ一つ生まれないのは「文化」なのである。
千葉のこれからに見出す「希望」
ここまで千葉のことを散々悪しざまに書いてきたが、最後に、これからの発展の希望ともいうべきものを木更津で見つけてきたので、それをご紹介して結びにしたいと思う。
まずは、市場直結の回転ずし回転ずし店「やまと」。休日だったせいもあるが、14:00ごろ来店したにもかかわらず80分待ちと言われ、なくなく断念をせざるをえなかった。漁師町の回転ずしだからこそ享受できる、圧倒的なコストパフォーマンス。
次に、海産物店とバーベキューレストランが併設している「活き活き亭」。ここではまず、市場のような臨場感あふれる魚屋さんで、自分が食べる海産物(ハマグリやエビなど)を自分の手で購入する。そして、それをとなりに併設されているバーベキューレストランで、自分で焼いて食べる。ここも駐車場は満杯、長い行列ができており、1時間以上は待たないと食べられなそうだったため、泣く泣く辞退した。
千葉には、文化はない代わりに「ライブの価値」がある。特に漁師町の、飾らない、自然のままの、ワイルドな、男性的な、ライブ。
千葉は、人の手で変に加工しなくてもいい。自然の力、ライブの価値で、人々に生命力を与える、そんな場所として再構築されるべきなのかもしれない。