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男の人生に服を着せる、カントリーミュージック。

僕が住んでいるマンションの二件となりに、小さなステーキハウスがある。
カウンターだけの10席程度の店。開拓時代のアメリカを再現したようなウッディな店内を、年配のマスターが一人で切り盛りしている。

ステーキは特大ボリューム。壁中に、マスターといろいろなプロレスラーの写真が飾られている。店はいつも、3階のキックボクシングジムで汗を流した後の屈強な男たちがひしめていて、分厚いステーキを手短に平らげている。

その店でいつもかかっているのが、カントリーミュージックだ。
それまで僕は、カントリーをほとんど聴いたことがなかった。
しかしその店に通うようになってからは、ステーキの匂いとカントリーミュージックは切っても切れないものとなり、いつしか僕のApple Musicには、たくさんのカントリーの楽曲が並ぶようになった。

一日の仕事を終えた男たちに、カントリーミュージックは良く似合う。
学校を出て、街の工場で汗水たらして働いて、ダンスホールで知り合った娘と恋に落ち、家庭を持つ。広大なロードサイドと農場。素朴な風景への望郷。大きなことを成し遂げたわけではなかったが、愛する者たちに囲まれ、「オレの人生も捨てたもんじゃないな」と思える。カントリーは、男の一日の疲れ、そして人生の疲れを慰撫するのにもってこいである。
ステーキ、バーボン、カントリー、ベースボール。それらは、ひとりの平凡な男の人生に優しく服を着せ、明日以降を生きる活力になっているはずだ。

カントリーミュージックのいいところは、大きな意味での愛をそこに感じるからだと思う。単に男女の恋だけでなく、故郷、家庭、自然、信仰に対する愛が、素朴なメロディーと歌詞とともに歌い上げられている。
カントリーを聴くことは、自分のささやかな人生を慈しむことだと言ってもよいだろう。

そんな男たちに異変が起きているのが昨今のアメリカだ。
グローバル化によって居場所を失いつつある彼らは、アメリカ社会でも見捨てられた存在になりつつある。そんな彼らが選んだのがトランプだ。トランプは彼らにとっては、古き良きアメリカの絵を共有できる存在であり、もう一度「オレの人生も捨てたもんじゃないな」と思わせてくれる夢を見せる存在なのであろう。

その異変は日本でも起きつつある。「オジサン」は社会の片隅に追いやられつつある。かつては、高度経済成長、終身雇用と年功序列のもと、後半生をそこそこの幸せをもって過ごすことができた。そのはしごが外されつつある今、あのカントリーミュージックの世界観自体も、遠のいていくような気がしてならない。今の日本の時代の気分に「古き良きアメリカ」はもっともそぐわないもののひとつであるだろう。

人生を必死で生き抜いてきた大人の男が、労働の後に、自らのささやかな人生をいつくしむことのできる場所、音楽。
かつてのカントリーミュージックがアメリカの男たちにしてくれていたこと。
日本でもそれが今、求められている。

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