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Clubhouseの「日本的発展」とスクールカーストの再生産

 この一週間で、日本人は二つに分かれた。
 Clubhouseに「招待された人」と「招待されなかった人」である。

 「勝利宣言」とばかりに「Clubhouse始めました」とツイートする人(私もその一人であったが…)、マッチ売りの少女さながらに「Clubhouse招待してください!」とSNSに叫ぶ人…この新しいSNSの劇的な普及は、間違いなく2021年ここまでの代表的なムーブメントであるだろう。そしてもちろん、それは今も継続中である。

 私もひょんなご縁で、Clubhouseに「潜入」することができた。今日は、そこで感じたこと、そしてこのサービスがこれからのSNSコミュニティに与えるインパクトについて考えていきたいと思う。

 まず「Clubhouse」というネーミングセンスは脱帽に値する。
普通のサービス開発者なら、「音声ベースのSNS」という特徴を伝えるために「音」や「声」、あるいは「おしゃべり」をモチーフとしたサービス名にしてしまうだろう。しかしそれではおそらく、既存の音声サービスとの違いを明確に打ち出すことはできなかった。

 秀逸だったのは「紹介制」という側面を前面に打ち出し、ある種の特権性を連想させるコンセプトで打ち出したことだろう。広告業界に属する身からも、このセンスについては素直に称賛したい。

 そして、まだまだ英語圏の「room」がマジョリティを占める中で、急速に日本語のroomも増えてきている印象だが、早くも「日本的な進化」を遂げているきらいがあり、私はそこが、日本におけるclubhouseの「これから」を占う重要なポイントだと思っている。

 英語圏のroomでは、もちろん「カジュアルなトーク」を打ち出したものもあるが、「特定のテーマについて語りあう」ことを趣旨としたものが多いような印象を受ける。一言でいうと「ディスカッションの場」である。ギリシア時代の哲学者ソクラテス、都市での対話が繰り広げられるさまはこんな感じだったのだろうか、それが数千年の時を超えてSNS上によみがえった感、である。もしかしたらここから新たな知、コラボレーションが生まれる萌芽すら感じる(もちろん、犯罪やMLMの温床にもなっているとのことだが…全体として)

 一方、日本のそれは「ゆるくしゃべろう」といったノリのものが多い。初めから「マジトークではない」ということをエクスキューズしながら、「クオリティ」に対する期待値を下げておく。しかしそれでいながら「俺たちのおしゃべりのおこぼれにあずかりたいでしょ」という「インフルエンサー」からの「若干の上から目線(?)」をそこに感じる。

 また、改めて日本人の「空気読みの体質」を感じる。特定のテーマについて対話を交わすような「ガチトーク」は「マジメなもの」「肩に力が入ったもの」として敬遠されるのだろう。「私、ほどよく肩の力抜けてますよ」というのが日本的社交における必須トンマナであることが、ここでも確認できた次第である。

 多くのフォロワーを抱える「社会的影響力の大きい人たち」にとっては「クソリプの飛んでこない安全な場所」ということもできる。クソリプを飛ばすような人は、そもそもここに招待されない。「Clubhouseにいる影響力大きめな人の招待枠2人に自分は入っているかどうか」が、先週一週間における「日本人の選別」であったのだ。まずここで、第一段階の階層の選別がある。

 そうして、現在のClubhouse内の構成員は二つに分かれる。
「roomの主催者になり、多くのオーディエンスを集めることができる人」と「もっぱらオーディエンスである人」である。

 IT経営者やインフルエンサーなどの横のつながりから作られる「ゆるくしゃべろう」に、無数の「偶然Clubhouseに入り込むことができただけの一般ピープル」が群がる。

 私はここに、学生時代の休み時間の構造=スクールカーストを感じてしまい、若干の今後の「日本的発展」の気味悪さを感じるのである。

 「ゆるいトークに群がる構図」からは、「社会的背景に関係なく、同じテーマのもとにフラットに語り合う」「鋭い意見を言った人が注目を集め、影響力を拡げていく」という関係性は生まれにくいのではないか。つまり、前述の「roomの主催者になり、多くのオーディエンスを集めることができる人」と「もっぱらオーディエンスである人」という階層間の移動はあまり起こらないと考えた方がいいだろう。それはとりもなおさず「他のSNSでのバックグラウンドなく、Clubhouseから始めて大きな影響力を持つような個人」は極めて生まれにくい、という予測も成り立つ。Twitterであれ、Instagramであれ、YouTubeであれ、「他のSNSにおける影響力をバックにコミュニケーションをする場」であると言えるだろう。

 そして、音声による会話をベースとしたコミュニティにおいては「リアルでのコミュニケーション能力」がそのままClubhouseに持ち込まれる傾向があるのではないか。

 これまでのSNSには(Facebookは若干異なるが)、リアルでのコミュニケーション下手な人にとっての「一発逆転」のチャンスがあったのではないかと思う。Twitterやnoteであれば文章力、Instagramであれば写真撮影力、YouTubeであれば動画コンテンツ企画力…といったように、リアルでのカーストを「違う種類のコミュニケーション能力」で「逆転」し、社会的影響力を持ち、自己実現ができうる場としての開かれ方があったのではないかと思う。

 しかし、Clubhouseだと「ゆるいトークを回す力」、つまり、地上波テレビで日々繰り返される「ひな壇芸人的能力」も必要になってくるだろうし、他のSNSで影響力を持ちえた人が、ここでも成功できるかは必ずしも定かではない。

つまり、今後のClubhouseは、
①リアルおよび他のSNSで影響力を持ち、かつ「リアル的コミュ力」も兼ね備えた「トップ層」
②リアルおよび他のSNSで影響力を持つが、トークではイニシアチブをとることができない「ミドル層」
③何とか潜り込むことができて、「ゆるいトーク」のおこぼれにあずかる、または仲の良い友達との電話代わりに使う「ライト層」
に急速に階層化していくことが予想される。

こう考えてみると、Clubhouseは日本において、
「リアルコミュ力をSNSの場にもう一度持ち込んでしまったプラットフォーム」である「懸念」がある。

Clubhouseの「日本的発展」によって、日本人が集団になった時の悪い癖「同調圧力」「過度な空気読み」「ホモソーシャルな悪ノリ」がこのコミュニティのトンマナになりつつ、階層分化が進まないかどうか、私は早くも懸念している。






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