吉祥寺で過ごした日々〜働き者のサンホとソン〜
僕が今でも韓国に親しみを感じるのは、彼らのおかげかもしれない。
大学時代にアルバイトしていた吉祥寺のバーガーショップは、オープニング当初こそはさまざまなバックグラウンドを持つキラキラした人材を確保できていたが、脱サラ上がりの店長の素人経営ぶりが露呈してくると一人また一人と離脱していき、そのうち韓国人のアルバイトに長い時間を任せるようになった。
彼らはよく働いていたし、性格もとても良かった。
昼は日本語学校で勉強をしながら、夜は毎日のように働いていた。
その頃の韓国は通貨危機でIMFに支援を受けていたし、SAMSUNGやLGが今のように世界を席巻する前だった。K-POP現象もなかった。サッカーだけは日本より若干強いな、という認識だった。ただその分、今のようなギスギスした感じは少なかったと思う。「嫌韓」という言葉もなかった。
サンホは、自分は次男だから自由に生きられるのだと言った。それは逆に、地元韓国の就職事情の厳しさを伺わせるものだった。彼は日本語を覚えて、日本の大学でビジネスの勉強をしたいのだと言った。日本の大学で彼が求める「ビジネス」が学べるのかなあ…と、不真面目な大学生だった私は思っていた。
彼は明るい性格で、ルックスも良かったため、店の女子からも好かれていた。僕も仲良くなって、彼の通う日本語学校の女の子も交え、新大久保で食事をしたりした。
サンホが韓国に帰国する日、同じバイト先のユウコと一緒に、成田空港まで送って行った。彼が乗り込んだアシアナ航空が飛び立つのを、デッキから見送った。
ユウコが両手でフェンスを握り締めながら寂しそうに見送っていたのを、今でも覚えている。
サンホの後に、彼が抜けた穴を埋めたのはソンだった。背がとても高かった。とても人懐っこい性格だった。彼もよく働いていて、すぐに仕事を覚えた。
彼は僕のことを気に入ってくれたようで、いきさつは忘れてしまったのだが、一度僕のアパートに泊まりにきた。
「韓国では友達同士は一緒のベッドに寝る」
というようなことを言っていた。さすがにそれはしなかったけど…
今、SNSには心ない言葉があふれる。
Twitterのなかった90年代末の、草の根の「国際交流」を思い出す。