清里清泉寮日記 第3日習い性、先入観を超えて良心に応答する
Tグループ(人間関係トレーニング)の3日が終わりました。
零下2度、快晴に富士、八ヶ岳連峰、素晴らしい朝を、どんよりとした気分で迎えました。
私自身の勘違いを受け取り直していくプロセスを、Tグループでの学びを活かし、気づきを共有したいと思います。
どんよりとした気分のわけ
私は、2日目を終わって、少々混乱していました。大人の集まりの中に一人子どもが居る、空中戦を地表から観てる、どうも歯が立たない、そんな感じでした。
セルフイメージとしては、根も芽も出ていない。それでも何とかしないといけない、作戦を立て直そうと考えました。
「今ここ」に居るために、何ができるか?今すぐにできることとして、交わされる言葉を追いかけようと思いました。
暗黙の了解がある?ルールを探す、追いかける
「場の中央へ」と促されましたが、足がすくんで中央に出られませんでした。空中戦が続く中、手も足も出ない、重い空気で10G、トップガンの空中戦はこんなかんじかなぁ、と。
私には理解できないルールがある、それを理解しないと発言できない、場を乱してしまうと考えました。この場に役に立たない、これは私には耐えられないことでした。
私は、暗黙の了解があるのだろう、見えないルールを探そう、と考えました。
先入観、自分のとらわれを見つめる
人には誰しも習慣的な行動があります。私は、このつながりの場から遠ざかり俯瞰的に場を理解しようとしました。これは現場での対処としては結構うまく行っているのですが、社内で好ましい人間関係が築けない原因かもしれません。
そのつながりから離れることは、大切な仲間に寂しさを感じさせる、そんな人格というものがあるとすると、とても残念なことだと思いました。
長所は短所と隣あわせ、光強ければ影もまた暗い、ということでしょうか。私にマイチームがないのは、この影なのでは?と思いました。
U字の谷をゆっくり下りる、浮上する
「観察学習から体験学習へ」
「他人に関する関心を持っているか?」
「もったいない...」
変革には、やはり痛みを伴うものなのでしょう。ここまで切れ味がよいとほとんど痛みがない、Tグループのやさしさ、思いやりなのでしょう。
行動→思考→感情を追いかける、体験から意識下に潜り分析し仮説化する。あと何回、セッションがあるか分かりませんが、そこに集中するしかない。きっと浮上してみせる、ゆっくりゆっくり、そんな思いがありました。
「役に立つ」を捨てる、良心に従う
私は自己肯定感が低い、ある種の思い込みがあって、思い込みだとは分かっているのですが、払拭できないままでいます。だから、その場に役に立たないと生きている意味がない、その場所には居られないと思ってしまいます。
貪瞋痴で申しますと、貪でしょうか。満たされない何かをずっと抱えていましたが、Tグループのつながりはどこまでも肯定的で私が定位置に居ることを許しませんでした。
60年かけて培ってしまったものを何とか変えてみよう、好奇心いっぱいの三歳児に戻ってみようと思いました。何に対しても軽はずみな程に関心を持っていた頃に。
真善美、素直になって良心に従ってみよう。
まだ、三日ある。U字の谷の底でそう思いました。