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清里清泉寮日記 第4日人生発芽前、発達段階を自覚する

Tグループ(人間関係トレーニング)の4日目、一面の銀世界で始まりました。
ところが雪はみぞれ交じりになり、とうとう雨に変わりました。
都合の悪い事実にも向き合っていかないといけません。
Tグループでの学びを活かし、気づきを共有したいと思います。

初日から感じていた違和感

最初のセッションで、メンバーから駅のエレベーターでの対応を「やさしいおじさん」と褒められたのですが、照れくさいというか、どうも居心地が悪く感じました。

褒められたのだから素直に胸張って受けとめて「てれるぜ(*^_^*)」くらいの感じが丁度いいのでしょうが、この還暦のおじさんは顔がこわばってしまうのです。よく考えると子どもの頃から同じ症状だったような気がします。

進歩してないなぁ、と思うと同時に、この出来事(褒められた)と感情(居心地悪い)を結びつける思考を深く考えた事がないことに気づきました。

進歩しないのは当然ですね。早速、覚えたての氷山モデルを使って出来事→思考→感情、私自身の中で起こっていることを見つめてみようと思いました。

「今ここ」が重要なのですが、目の前に転がったボールを追いかけました。

褒められると居心地が悪くなる、心の底にあるもの

やったことのない思考は、脳の回路がつながっていないからか、直ぐには思い浮かばない。切っ掛けを求めてGoogleで「褒められると居心地が悪くなる」を検索してみました。広告も含めていっぱい出てきました。同じパターンで悩んでいる人も結構いる、自分の違和感を探求してるんだ、と感心しました。

●褒められるとダメになるから
●  褒められることに依存してしまうから
● 評価されている気持ちになるから(上下関係)
●  HSP(Highly Sensitive Person)
●  インポスター症候群
● そうでないと認められないという不安
●周りからの嫉妬が不安
● 何か裏があるのではないかと疑ってしまう警戒心
●  大人になっているということ
● 人とあまり関わりたくない
●期待に応えなくてはいけないというプレッシャー
●  褒められた経験が少ない
● 自分にとっては普通だと思っている
●浮かれている自分を周囲に見せたくない
● 認知的不協和

などなど、沢山出てきましたが、どうもしっくりきませんでした。
なんとなく響いたのは「大人になってきている」×「自分にとっては普通だと思っている」の組み合わせで、中二病的な自己尊大感があるのかなぁ、ということでした。

精神的に発展途上にある、自我が肥大して素直さを失っているということか、と一旦考えるのを止めました。

真っ向から指摘される

私はセッションが進行する中で氷山モデルの思考に閉じこもることになり、不得手な内省の時間を「今ここ」の場所で過ごすことになっていました。

「人に感心がありますか?」

メンバーから真っ向指摘され、「今ここ」に戻ると同時にもう一度、この新しい問いかけと共に氷山モデルを下ることになります。Tグループは人間関係トレーニング、筋肉痛の予感がしました。

余直し、身体性を取り戻す

Tグループのスケジュールには、休憩や夜の時間など十分な余白があります。その余白を活用して、この問いを検証してみることにしました。過去にこういうことがなかったかなぁ?と私自身の文脈を振り返っていきました。

褒められると居心地が悪くなる場面、最初に浮かんだのは、幼児の頃、母親からちょっとしたことで褒められたときでした。私には4歳上の兄がおり良い手本でしたので試行錯誤の必要がなく楽勝、自分の手柄ではない、という感覚だったと思います。
兄が大学に進学して以来、アンチョコがなくなったので褒められることもめっきり減りましたし、父はもともと褒めるタイプではなかったですから、結局は「褒められた経験が少ない」ということか、と思いました。

次に新しい考え方や道具にハマるパターン、こちらは幼稚園の頃、レゴにハマって以来、枚挙に暇がないほど頭に浮かびました。Tグループでも氷山モデルを使って出来事から思考、感情を意識化し分析するプロセスを学びましたが、直ぐに使ってみようとましたし、研修に限らず新しいもの好きは私自身の習性、本能に近い部分と思いました。道具が目的化する傾向があることを反省しつつも、永遠の三歳児は私自身、受け容れやすいキャラクターです。

最後に「人に感心がありますか?」と質問されたケース、これはなかなかないと思っていましたが、サラリーマン時代の最後の上司K支店長から同様の問いかけを受けたことがあることを思い出しました。K支店長は、なかなかの変人でしたし、毎回のことで枕詞のようでしたので特に意識はしていませんでした。これが潜在意識に入っていたのかどうか分かりませんが、開業してからは、このことをずっと自問自答してきました。

「今ここ」での私の回答は、関心は人一倍あるけれど、どうも人ではなく障害物のように見えているということでした。不都合な事実ですが、私自身が成人発達理論では最も初期「手段・道具的段階」にあるということを先ずは認めて行くしかないのだろうと思いました。

木の実が発芽するように固い殻を破って、関係性の中に根を張り、双葉を出すことから始める、還暦からの余直しは、ここから始まると確信しました。