
繭を編む――あなたの言葉が私を生かした
「書き続けなさい。形は何でもいいの。詩でも、小説でも、日記でも……。私はあなたの文章が好きだから。」
かつて、そう言ってくれた人がいた。あの時は単なる激励の言葉として受けとっていたけれど、今は違う。きっと、無意識のうちに、私はその言葉に救われて、生かされてきたのだ。
あれは、中学3年生の終わり頃、現代文の授業でのことだった。もうすぐ定年退職してしまう先生が、これが最後だからと言って、ある課題を私たちに出した。
「テーマも自由、文字数も自由。あなたがたが書きたいものを書いて、1冊の本にしなさい。」
自由ならば、と言って、さらっと課題を終わらせてしまう人もいれば、ここぞとばかりに大作を書き上げた人もいた。私は、後者だった。もともと、文章を書くのは好きだった。小学校の頃から、詩作や作文の課題には全力投球して、地域の文集に作文が載ったこともあった。作文の学校代表を決めるのを面倒がった先生に、「おまえの文なら問題ない。授業をサボっていいから、文集用に何か書いてくれ」と言われたこともあった。それはもう、喜んで長文を書いた。だから、今回も精一杯書くつもりだった。
私は、父親と自分についてのエッセイを書くことにした。当時、父は遠く離れた土地で単身赴任していた。滅多に会えないけれど、さみしくなんかない。何故なら、父が今まで私に贈ってくれた本を読み、私に勧めてくれた音楽を聴き、一緒に眺めた景色の写真を眺めれば、父とのつながりを感じられるから。そんな内容だったと思う。
私のエッセイに、先生は優しい笑顔と共に感想をくれた。序文と末文の呼応が美しいとか、情景描写が良いとか、そんな言葉と共に、彼女は言った。
「書き続けなさい」
先生の言葉に従ったわけではないけれど、私は今の今まで、形は何であれ、文章を書き続けている。私にとって、書くこととは、自分の心を守るための繭を編むことだ。辛いとき、自分自身のありようを見失いかけたとき、私は繭を編む。自分の感情がよく分からなくなって、日記を書いた。どこに訴えたらいいか分からない思いが溢れて、noteを書いた。文章を紡ぐ限り、私は生き続けることができる。
あの時、先生が私の文章を好きだと言ってくれたから、今の私がいる。もう、会うこともないかもしれない。だけど、いつか会えたらこう伝えるのだ。
「私、今も書いてます。きっと、これからも書き続けます」