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【小説】ヴァン・フルールの飴売り 第3話

 警察署での取材を終えたアンベールとウィリアムは、町の小さなホテルの一室で一息ついた。
 窓から見える日は、もう西へ傾いている。
「今回の取材、なかなか厳しくなりそうだな……」
「そうですね……半日経っても、事件に関する情報がここまで集まらないとは……」
「でも、どれだけ厳しい取材になろうと、俺はこの事件の真実を知りたいと思う。そのために新聞社に入ったんだ」
 アンベールの表情からは疲れが見えていたが、その青い瞳には強い光が宿ったままだった。
「ウィル、お前には今回も色々と迷惑をかけるかもしれない。申し訳ないが、しばらく付き合ってくれ」
「分かってます、僕も覚悟して来ましたから」
 半ば諦めている様子でウィリアムは言った。しかし次の言葉を紡ぐ瞬間、ウィリアムの紫色の瞳にも、アンベールと同じように強い光が宿った。
「それに……僕もこの町には、一度来たいと思っていたんです。少し、気になっていることがあって」
「気になっていること?」
「はい。アンベールさんには、まだお伝えしてなかったんですけど……この国で働こうと思った時、パスポートを申請するために自分の戸籍謄本を取得したんです。その時、初めて知ったんです。僕には……"姉"がいたんだって」
「えっ⁉︎」
「僕はすぐに母を問い詰めて、確認しました。姉がいることなんて、一度も母から話してもらってないし……母にいくら尋ねても、『あなたには姉なんていない、ひとりっ子だ』と言うばかりでした。でも……戸籍には確かに、姉の名前があるんです。『イヴリーン』って! だから、ここに来れば……僕が生まれる前、母が一度訪れたヴァン・フルールに来れば、もしかしたら何か分かるかもしれないと思ったんです。アンベールさん……事件のこともそうですが、どうか、姉についても調べさせていただけませんか?」
 ウィリアムはまっすぐな目でアンベールを見た。なんだか、行動を共にするうちに相棒が自分自身に似てきているように思えて、アンベールはふっと微笑んだ。
「分かった。俺も一緒に調べてみるよ」
「あ、ありがとうございます!」
 ほっとしたように息を吐き、ウィリアムはアンベールと微笑み合った。

 翌日。二人は身支度と朝食を済ませ、ホテルのフロントで聞き込みを始めた。
「森の奥の屋敷について、何かご存知でしょうか。過去にその場所で、ミステリーツアーが行われたと聞いています」
「はい。ラ・ルルー・シュバリエ邸のミステリーツアーでしたら、一八七五年度で終了しておりますよ」
「ラ・ルルー・シュバリエ……あの、曰く付きの?」アンベールがそう尋ねると、職員は「え、ええ、まぁ……お客様からは、そんな風に言われることが多いのですが」と困ったように笑った。
「申し訳ございませんが、こちらではあまり詳しい情報は把握しておりません。もしよろしければ役場の方にお繋ぎ致しましょうか?」
「はい、よろしくお願いします」
 職員が役場に電話をかけ始める。二人はフロントの椅子に腰掛けて待つことにした。
「アンベールさん、さっきの『曰く付き』って……?」
「ああ。あまり大きな声では言えないが、ラ・ルルー・シュバリエ家は不幸が立て続けに起こった財閥として結構有名なんだ。総帥と総帥の妻、四人の子供たちがいたんだが、総帥の妻が亡くなり、その次に総帥の娘が亡くなり、とうとう総帥が亡くなったことで一家全員どこかに引越して、屋敷だけが残されているらしい。確かに、ミステリーツアーの会場としては相応しいと言えるだろうな」
「あ、そ、そうなんですね……」
 熱っぽく語る上司を見て、怪談話が苦手なウィリアムは、してはいけない話を振ってしまった、と小さく後悔した。それとほぼ同時に、職員から呼びかけられる。
「役場の方から、ぜひおいでくださいとお返事がありました」
「承知しました。お伝えくださってありがとうございます」
 二人はホテルを出て、地図を見ながら役場へ足を運んだ。受付の職員に用件を伝えると、すぐにラ・ルルー・シュバリエ邸とミステリーツアーの情報を提供してくれた。
「ラ・ルルー・シュバリエ家はシャンパンの製造を奨励し、町の発展に大きく貢献した財閥でした。その功績を多くの方に知っていただくため、町おこしの一環としてミステリーツアーが企画されました」
「なるほど。しかし、その町おこしとして企画されたミステリーツアーは、三十年前……一八七五年度で終了してしまったんですね? 差し支えなければ、その理由を教えていただけませんか」
「はい……実は、その一八七五年度のミステリーツアーの最中に、屋内で観光客の一人が忽然と姿を消す、という事態が発生致しまして……」
「姿を消す?」
「はい。それも、失踪したのは十歳の少女だったそうで……また同じようなことがあってはいけませんし、屋敷へ向かうために通る森も、薄暗いうえに道が複雑に入り組んでいて危険だということでやむ無く中止となりました」
「そうだったんですね……あ、ちなみにその森って、地元の方でも入ることができるんですか?」
「はい。いくら危険とはいえ、昔から森の果物を採ったり、動物を狩ったりして暮らしている方が多くいらっしゃいます。ですから、失踪事件が多発していても、そう簡単に封鎖出来ないのが悩ましい所なんです……」
 職員は苦々しい表情でそう語った。
「なるほど。では、最後にもうひとつ質問よろしいでしょうか」アンベールは職員に、持ってきた地図を見せながら尋ねた。
「これはヴァン・フルールの地図なんですが……なぜ、この地図にはラ・ルルー・シュバリエ邸が記されていないのでしょうか?」
 職員は地図を見つめて、ああ、と納得したように頷いた。
「ラ・ルルー・シュバリエ邸は、住人がいないまま長く放置されていた、いわゆる廃屋という扱いでして……現在も、管理人の方がいらっしゃらない状態なんです。以前は屋敷に常駐していらっしゃったそうなんですが、ミステリーツアーが開催されていた時にはもういらっしゃらなくて。観光客の方はもちろん、地元の方も簡単には立ち入ることのできない場所にございますので、地図には書き込んでいないと考えられますね」
 もし書き込むとすれば、と職員は指で地図の一部分を丸く指し示した。
「この辺りに、なります」
それを見て、アンベールとウィリアムは思わず顔を見合わせた。ラ・ルルー・シュバリエ邸は、広い森の最深部に位置していたからである。

 二人は役場での取材を終え、住宅街に戻った。
「アンベールさん、失踪した人たちの居場所についてどう思います?」
「うーん……やはり屋敷が怪しいな。大人たちは失踪した子どもたちを探しに行ったんだから、単独ではなく大人数で行動していたはずだ。屋敷への道を知っている人も中にはいたかもしれない。問題は子どもたちだ。もし仮に、失踪した子どもたちが全員森に入ったとして……危険だと判断されるほど入り組んだ道を長時間歩いて、森の奥深くにある屋敷まで辿り着けるのか?」
「普通に考えてみると不自然ですよね……森の中で迷子になっているか、動物に襲われて動けなくなっていると捉えた方が良いのでは……」
「そうだな。この事件はいろいろと不自然な点が多い……『甘い香り』が残る理由が分からないし、森から離れた所に住んでいた子どもがどうやって失踪したのかもまだ分からない。そもそも、誰も人攫いの姿を見ていないのになぜ『飴売り』の噂が立っているんだ……?」
 二人が話し合っていると、突然後ろから呼びかけられた。
「そこのお二人さん、お取り込み中失礼。ちょっと良い?」
 振り向くと、腕まくりした白いシャツにサスペンダー付きのズボンを身につけ、長髪を後ろで束ねた一人の男性が立っている。
「良かったら、絵のモデルになってくれない? 五分で終わらせるから」
「は、はぁ……構いませんが……」
「ありがとう! じゃあちょっとそこで止まってて」
 戸惑いながらも二人が立ち止まっていると、男性は手に持っていた鞄から画用紙や鉛筆を取り出してさらさらとデッサンし始めた。そして三分ほどで絵を描き上げた。
「よーし出来た! いやぁありがとね、君たち絵になるからさぁ、つい」
 そう言いながら、男性は嬉しそうに絵を見せる。絵を見たウィリアムは目を輝かせた。
「わ、すごい……! 画家さんですか?」
「ああ、まだしがない見習いだけどね。君たちは? 観光じゃなさそうだけど……」
「私たちは新聞社レポックの者です」アンベールが名刺を見せると、男性はへぇ、と息を漏らした。
「じゃ、君たちがギヨームさんの言ってた記者さんたちか」
「ギヨームさん?」
「ほら、あの気難しそうなおじいさんだよ」
 二人の脳裏に、昨日『飴売り』について教えてくれた老人の姿が浮かぶ。
「ああ、あの方……お孫さんが、失踪してしまったそうですね」
「そうなんだよ。あの人すごく孫想いだから、会うたびにヴィルジールくんの話してたんだけどね」
「あの……ここで立ち話もなんですし、良かったら別の場所で詳しくお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「良いよ。じゃあせっかくだし私の家に行こう。どこよりも落ち着いて話せるからね」
 男性は二人を自宅に案内した。
 男性の名前はリュカ・バレットといい、二階建ての自宅兼アトリエで暮らしていた。絵の具の香りが微かに漂う一階のリビングで、リュカは二人にココアを出してくれた。
「そっか、『飴売り』ねぇ……私もね、幼馴染がいなくなってるんだ。イネスっていう女の子なんだけど……さっき話したヴィルジールくんとは、いとこ同士だったらしくてね」
 リュカは近くの壁に立て掛けられていたキャンバスを見せた。可愛らしい少女の絵が描かれている。
「私の記憶の中では、彼女はこんな感じ。初恋の人だからさ、できるだけ綺麗に描いてみたんだ」
「イネスさんも、見つかっていないんですか?」
「ああ。早く見つかって欲しいんだよね……死ぬまでに気持ちを伝えたいんだから。頼むよ? 新聞記者くん」
 リュカは少しおどけたように言ったが、緑色の瞳の奥は強く輝いていた。
「はい。必ず、真相を突き止めます」
 アンベールたちが頷いたその直後、突然玄関の呼び鈴が鳴った。
「はーい」リュカが玄関のドアを開けると、子どもたちの楽しそうな声が聞こえる。
「リュカさーん、こんにちは!」
「遊びに来ましたー!」
「ああっ、こらこら、ちびっ子たち……今はお客さんが来てるからダメだよ。悪いけどまた後で」
「えーっ、せっかくリュカさんへのプレゼント持ってきたのに」
「リュカさんのココア飲みたかったな」
「リュカさん忙しいんだって。ほら行こう」
「せっかく来てくれたのにごめんね、いったんお家に帰ってまた来ておくれ」
「はーい」
 そして扉が閉じられ、リュカが戻ってくる。
「いやぁごめんごめん。近所のちびっ子たちが急に遊びに来ちゃってねぇ」
「いえいえ、こちらも急にお邪魔してしまいすみません。お子さんたちと仲良しなんですね」
「ああ。いつも一緒に絵を描いたり遊んだりしてるよ。『飴売り』のこともあるし、決して目を離さないように気をつけながらね」
「そうなんですね……では今まで、お子さんたちの近くで『飴売り』と思われる不審な人物を見たことはありますか?」
「うーん……いや、無いなぁ」
 子どもたちと日常的に関わっているということで、アンベールはリュカの言動を注意深く観察していた。特に怪しい点は見当たらない。
「そうですか……また、何か情報を掴んだらぜひご連絡ください。この手帳に新聞社の電話番号を書いてお渡ししておきます」
 アンベールは番号を書いた手帳のページをちぎり、リュカに手渡した。
「取材にご協力いただき、ありがとうございました」
「こちらこそ、絵のモデルになってくれてありがとう。君たちが事件を解決してくれることを願ってるよ」
 玄関で言葉を交わし、二人が立ち去ろうとした、その時。アンベールは、リュカが自分のことをじっと、訝しげに見つめていることに気がついた。
「……どうか、されましたか?」
「え? あぁ、いや……実はさっきから君のこと、どこかで見たことあるような気がしていてね。ひょっとして有名人だったりする?」
「えっ……いや、有名では無いと思うのですが……」
「そっか。じゃ、私の気のせいかも知れないね。ごめんごめん」
 そう言って笑うリュカを、今度はアンベールが訝しげに見つめた。

                 〈つづく〉 

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