見出し画像

【小説】ある駅のジュース専門店 第23話「連結⑤」

那生なお! 八坂さん!」
 後ろから身体が強く引っ張られる感覚。薄目を開けてそちらを見やる。
「……井……田?」
 ジュース屋の入り口に、汗で肌をびっしょりと濡らした井田が、荒い息をしながら立っていた。隣で八坂さんが床から身を起こし、目をぱちくりさせている。どうやら俺と八坂さんは床に倒れ込んでしまっていたらしい。起きあがろうとすると頭痛に襲われ、俯いてぐらりとしゃがみ込む。
「井田、なんで……」
「大学の前に……この駅に向かう、バスが来てた。もしかしたら、これに乗ったんじゃないかと思って……乗って、きた」
 井田が息を整えながら言う。おそらくジュース屋まで走って来てくれたのだろう。
「ありがとう……さっきは突き放すようなこと言っちゃって、本当にごめんな」
「や、いいよ。僕もちょっと言葉きつくなっちゃってたから」
 井田は柔らかく微笑んだ。八坂さんもほっと息を吐いて笑顔を見せる。
「……あぁ、やっと来てくれたぁ」
 嬉しそうな声が響いた。マスクを外したサラセさんが井田を見て目を細めている。
「来ないと思ってたんだよ、お前は。賢いからさぁ」
 先程見せた笑顔から一転、井田はサラセさんを険しい表情で睨みつけた。
「……今、何してたの」
「別に? 腹が減ったんで、飯でも喰おうと」
 へらりと笑って答える。いつの間にか敬語を使わなくなっている。
 「……この二人が、飯? 僕も食べるの?」
 尋ねられた瞬間、サラセさんが口を少し開けて、その奥からだらりと長い舌を垂らした。やっぱり俺たちの目の前にいるのは化け物なんだ。身体中に鳥肌が立つ。
「あぁそうだよ。こいつらも馬鹿だよなぁ、宗也くんがここにいるって早とちりして乗り込んでくるなんて……ほんっと、馬鹿だわ」
 かしましい笑い声が響く。井田の眉間に皺が刻まれる。
「馬鹿じゃない。君が渡貫さんのふりをして騙すから来ちゃったんだよ」
「それを馬鹿っていうんだろうが。まぁ、助けに来たお前もそうだけどねぇ」
 一歩ずつ、ゆっくりとサラセさんが近づいてくる。締め付けられるような頭痛に耐えながら距離を取る。
「逃げるよ」
 俺と八坂さんの腕を掴んで立ち上がらせると、井田は駆け出した。俺も引っ張られる形で走り出そうとしたが、しばらく気絶していたからか、足の筋肉が突然の動きに追いつかず転んでしまう。
「! 那生っ」
 井田が叫ぶと同時に、床に投げ出した足の片方に細い紐のようなものが巻き付いた感覚があった。何だ、と思った瞬間、そのまま勢いよく後ろに引っ張られていく。
「うわぁぁぁあ⁉︎」
 慌てて背後を振り向くと、俺の右足首に細く白い触手が巻き付いていて、それが店のバックヤードに続く扉の奥の暗闇から伸びていた。きっとあの奥に引きずり込まれたら最後、もう二度とここから出ることは出来ないのだろう。なんとか床に爪を立て、前へ前へと腕を伸ばす。少しでも全身の力を抜けば、後ろへと引っ張る力に負けてしまいそうだ。
「那生!」
「森越さん!」
 駆け寄ろうとした井田と八坂さんがサラセさんに蹴り倒されるのが見えた。うっと呻いてうつ伏せに倒れた二人の髪の毛を黒い革靴が順番に踏みつけてなじる。踵が二人の頭を叩いてこんこんと硬い音を鳴らす。奴の唇が愉悦そうに歪んでいる。
「……テ、メェッ……」
 たとえ奴が化け物でも、敵いそうも無い相手でも、目の前で親友たちが好き勝手に嬲られる状況には耐えられない。引っ張ってくる触手をもう片方の足で蹴って引き剥がし、ゆっくりと立ち上がって叫ぶ。
「テメェ! 井田と八坂さんに手ェ出すんじゃねぇ!」
 奴の首がぐりんと曲がってこちらを向いた。
「あ?」
 今まで聞いたこともない、地を這うような低い声。思わず怯んだ瞬間、後ろからもう一本太い触手が伸びてきて口元に巻き付いた。
「んっ……!」
「五月蝿ぇなぁ。ぎゃあぎゃあ騒ぐ奴は嫌いなんだよ。黙ってろ」
 身体が痺れたように動かない。後ろからもう一本、二本、三本——無数の触手が伸びて頬や首筋を撫でる。
 楽しげに唇を歪ませる奴の足元で、親友が「ぅ……う」と呻いている。その口に長い触手がするすると伸びていく。
(やめ……ろ……っ)
 助けに行こうにも身体が見えない力に押さえつけられていて言うことを聞かない。声を出すことも出来ない。
「じゃあ、まずはお前が大好きなコイツからにしようか。それとも……」
 八坂さんにも別の触手が伸びていく。やめろ。やめろ! 奴は井田の頭から足を下ろし、俺を見て楽しそうに言う。
「は? どっちも嫌だぁ? 我儘言うなよ……あぁ、そうか。お前ら仲良しだもんな。一人ずつ喰われるのがそんなに嫌なら……お前ら全員一緒に、仲良く溶かして喰ってやるよ!」
 ドスの効いた声と共に大量の触手が鎌首をもたげた蛇のようにうねり、狙いを定めて一斉に襲い掛かってくる。
(ダメだ、殺される……っ)
 思わずぎゅっと目をつぶった。

「良い加減にしろ‼︎」

 透き通った声と共に、ぱんっ、と何かが破裂したような音がした。押さえつけられていた感覚が消え、身体の自由がきくようになる。恐る恐る目を開けると、俺たちに伸びてきていた触手が割れた風船のように弾け、透明な液体と共にはらはらと崩れ落ちていた。
「……チッ」
 悔しげな舌打ちが聞こえる。何が起きたのか分からず、床に倒れた二人の方を見る。井田と八坂さんは咳き込みながら起き上がり、同じ方向を見て目を丸くしている。そこには、一人の女の子が立っていた。
「えっ」
 驚いてまじまじと見つめる。おかっぱ頭で緑色の着物を着たその子は、先程まで俺たちを弄んでいた化け物を鬼のような表情で睨みつけている。奴も眉をひそめ、面倒臭そうな表情で女の子を睨み返している。
「邪魔してんじゃねぇよ」
「また随分と大口を叩くようになったな……お前にはこれ以上私の土地で暴れられては困る。あまり調子に乗っていると、そろそろお返しが来るぞ。彼らを喰うのは諦めろ」
「は? 諦めろ?」
 やなこった、と奴は低く笑いを漏らした。
「やっと今から喰えるところだったのに、ここで逃がせる訳ねぇだろ。お前なんかもう、怖くも何ともねぇんだよ」
 再びバックヤードに続く扉の奥から、無数の触手がじわりじわりと伸びてくる。
「はぁ……全く、懲りん奴だな」
 女の子はため息を吐き、こちらを振り返った。安心させるような笑顔だった。
「怖かったろう。遅くなってしまってすまない」
この声を、前にどこかで聞いたことがあるような気がする。記憶を辿っていると、井田がはっとした顔で呟いた。
「……お、おさえさま?」
 息を呑んだ。そうだ、おさえさまだ。笠岐かさきを守る神様。渡貫さんのSNSに投稿された動画に入っていた、透き通った声の持ち主。
 着物姿の女の子——おさえさまはしっかりと頷いた。
「君たちは駐車場まで走れ。私がここで食い止めておくが……彼奴は諦めずに君たちを喰おうと襲ってくるだろう。もし追ってきたら、これを使ってくれ」
 おさえさまから井田に、うぐいす色の風呂敷包みが手渡される。
「これは……?」
「町の者から貰った品だ。私はもう味わったから、今度は君たちが使う番だと思ってな」
 風呂敷の結び目を解いてみると、中からは様々な果物の味のキャンディが入った袋と、タケノコやゼンマイなどの山菜が出てくる。おそらく笠岐の人たちがおさえさまに供えた物なのだろう。しかし、これらがあの化け物に対してどのような効果があるのか分からない。
「君たちなら、上手く使えるだろう? でも、次はきっとこのようにはいかない。ここにはもう近づくんじゃないぞ」
「は、はい……」
 訳が分からないまま頷いてしまう。おさえさまは意味ありげに微笑んだ。そして、再び厳しい表情になって奴の方へ振り向く。
「さぁ、早く行け。早く!」
「は、はい! ありがとうございます!」
 俺たちは風呂敷包みを抱えて走り出した。

                 〈つづく〉

いいなと思ったら応援しよう!