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【小説】ある駅のジュース専門店 第5話「頼み事」

 知らない駅で降りるのが好きだ。この町の駅はこんな外装なんだとか、こんなお土産を売ってるんだとか、新しい発見がたくさんあって面白い。気に入った駅があればそこにあった風景を写真に収め、スマートフォンの写真アプリにアルバムを作って保存している。
 その日は週の終わりで疲れていたが、知らない駅を見つけてリフレッシュしようと電車に乗った。帰宅ラッシュを過ぎて人の少ない車内に入り、少し硬めの座席に腰を下ろして窓の外を眺める。ドアが閉まり、見慣れたホームがだんだん遠ざかっていく。規則正しい揺れに沿って、私の鼓動も高鳴っている気がした。

 電車が駅に停まり、次々と人が降りていく。車内には私一人だけが残される。貸切か、と呟いて、窓の外の風景をじっと見つめる。外の明かりはもうほとんど無い。この辺りにはあまり来たことが無いから、次の駅で降りようかな。そうぼんやりと頭の中で呟いた、その時だった。
「次は、⬛︎⬛︎……⬛︎⬛︎です」
 車内に響くアナウンスにぎょっとして振り向く。駅名はノイズにかき消されて聞こえなかった。ノイズが入るなんて珍しい。めったに聞けない貴重なものを聞けたんだ。そう自分に言い聞かせて無理やりに気分を上げ、駅名が分からないという不安を拭い去ろうとした。
 そして数分後、電車は小さな無人駅に到着した。いつも知らない駅に旅する時は、未知の世界を冒険するかのような高揚感を覚える。しかし、なぜかこの駅に着いた時だけはずっと、何ともいえない不安感があった。おそらく電車の中にも駅の中にも、人の気配が無いからだろう。まるで、異世界に一人だけ放り出されたような気分だった。
 ドアが開くと、私は急かされるように駅に降り立った。アスファルトの隙間から生える背の高い雑草を避け、先程のアナウンスで聞こえなかった駅名を確認しようと、ホームに立つ看板に近づく。ところどころ錆びたその看板の文字は、まるで夢の中で見る文字のようにぐねぐねと曲がっていて全く読めない。あとで読み方を調べようとスマートフォンで撮影して、気づいた。液晶画面に小さく「圏外」と表示されている。
 この駅はおかしい。直感がそう告げる。文字でどう説明していいか分からないが、とにかくその場所は空気がずっしりと重いのだ。読めない看板。なぜか「圏外」の電話。明らかにおかしい。この駅はまずい。帰らないと。
 看板から後ずさった瞬間、ふいに人の気配がした。辺りを見回すと、ホームにぽつんと置かれたベンチに一人の女の子が座っている。見たところ六、七歳ぐらいだろうか。おかっぱ頭で、濃い抹茶のような渋い緑の着物を着ている。女の子はぼうっとどこか遠くを見ているようだったが、こちらに気づくとベンチから立ち上がり、近づいてきた。草履を履いた小さな足が地面に触れるたび、ざっ、ざっ、と玉砂利を踏むような音がした。
「ここに来るのは初めてか?」
 透き通った声が問う。は、はい、と答えると、女の子は「そうか、良かった」と小さく息を吐いた。
「次の電車に乗って帰れ。あと四十分で来る。それまでここで待っていろ」
 声は子供のものなのに、やけに大人びた口調だった。この女の子が何者なのか分からないが、なぜか味方だと思えて肩の力が抜ける。威厳のある口調に、こちらもつい敬語で話してしまう。
「あ、あの。どうして、こんな所にいるんですか……?」
「ここに来た者を無事に帰すためだ。ここは君たちにとってあまり良くない場所だからな」
「良くない……?」
 ああ、と頷いて、女の子は表情を少し曇らせた。
「本来なら、ここは笠岐かさきという場所の入り口だ。だが、厄介な奴がこの空間に割り込んで勝手に住みつき、商売を始めている。きっと生活に苦労しているのだろうと考えて、そこまでなら目を瞑っていられたんだが……奴が人を誘き寄せて食うようになると、さすがに黙って見ていられなくなった」
 女の子は改札の奥を見た。シャッターが立ち並ぶショッピングエリア。通路の半ばに一際鮮やかな明かりが灯っている。何だろうと思った瞬間、「奴の店だ」と透き通った声が短く答える。
「ここに来た者を目立つ明かりで誘い、飲み物を売って店の存在を拡散するように告げる。そうして自分の食料となる客を増やそうとしている」
「食料?」
 確かさっき、「人を食う」と言っていたような気がする。
「そうだ。あの店の店主は人を食う化け物で、奴の腹の減り具合によって、客を選んで食っている」
 そんなこと有り得ないと思いつつも、女の子がとても真剣な目で話すので、この駅の不穏な空気も相まって、そうなのかもしれないと感じてしまう。
「ここに来てしまった者やこの地域の者に危害が及ぶといけない。だから君はなるべく早く帰って、ここの存在を広めないようにしてほしい。店の存在が広まれば広まるほど、ここに迷い込んで危険な目に遭う者が増えてしまうおそれがあるんだ」
「わ、分かりました……」
 とにかくこの場所はあまり長居すべきではないことと、存在を拡散してはならないことだけは分かった。私が頷くと、女の子は口元を緩め、ほっとしたように微笑んだ。

 電車が来るまで三十分ほど時間があったので、どこから来たのとか、お父さんとお母さんはどうしたのとか、女の子にいろいろ質問してみた。しかし、女の子はどの質問にも明確に答えようとしなかった。俯いてじっと考え込み、「この地域にずっと住んでいる」「両親のことはよく分からない。気づけば一人だった」と答えた。女の子のことをもっと知りたかったが、誰にでも踏み入れられたくない領域はある、あまり質問攻めをするのは申し訳ないと自分に言い聞かせ、深入りするのを控えた。
 しばらくして、ホームに電車が入ってきた。
「これに乗れば……良いんだよね?」
 女の子はしっかりと頷いた。
「ああ。道中、気をつけてな」
「ありがとうございます」
 言いながら電車に乗り込み、ホームへと顔を向けて、え、と声を漏らす。
 女の子の姿は、もうどこにも無かった。

 大きな揺れで目を覚ました。いつの間に寝てしまっていたのだろう。気がつくと、電車がいつも降りる駅のホームに入って行くところだった。電車が停まると、私は明るく賑やかなホームに降りて、改札を通って家路に着いた。
 その後も何度か知らない駅への旅をしたが、あの無人駅に再び辿り着くことは無かった。
 あの駅は、あの女の子は、いったい何だったんだろう。あの改札の向こうで、いったい何が待っていたんだろう。今となっては何も分からない。
 今、私は自宅で、この不思議な体験を共有するため記事にまとめている。ただ、この文章を書いていると、ひとつの後悔が胸の中でせり上がってくる。あの子の頼みを無下にしてしまったのだ。でももう、体験を最後まで書き終えて。読み返して。「公開」ボタンを押して。

 広めてしまった。

                〈おしまい〉

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