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【小説】ある駅のジュース専門店 番外編「ある駅の小さなレストラン」

 仕事帰りに乗った電車で居眠りをしてしまい、慌てて降りた駅に、人の気配は無い。構内のシャッター街を彷徨っていると、一軒だけ、シャッターが開いている店を見つけた。
 レンガ調の壁紙と木製のフローリング。ダークブラウンのカウンターに赤い椅子。やけに薄暗い店内を、カウンターの上に置かれた赤いテーブルランプがぼんやりと照らしている。出入り口の上に掲げられた看板を見ても、見たことのない文字ばかりで全く読めず、なんのお店か分からない。
「いらっしゃいませー」
 ふいに声をかけられ、慌てて顔を店内に向ける。いつの間にか、カウンターの向こうに背の高い人がいた。白い服に白いマスク。切れ長の黒い瞳。コック帽を被っているから、たぶんシェフなのだろう。
「あの、ここって」
 何のお店ですか、と聞く前に、シェフが口を開いた。
「うち、レストランやらせていただいてるんです。まだお店始めたばかりでカウンター席しかないんですけど、これから席をもっと増やそうと思ってて」
「そうなんですね」
 レストランなんだ。でもレストランにしては、ちょっと店内が暗すぎる気がする。
「……いつも、こんなに暗いんですか?」
「ええ」シェフは頷いた。「お料理の食感や味に意識を集中させることで、より美味しく召し上がっていただくため、店内の明かりを落とさせていただいてます」
「なるほど」
「それにね。暗い方が、お料理の彩りが映えるんですよ」
「へぇ」
 そう聞くと、どんな料理が出るのか気になってくる。お腹が小さく音を立てた。
「お客さん。何か召し上がっていかれますか?」
「はい。お願いします」
「ではこちらのお席にどうぞ。今メニューお出ししますね」
 私はカウンター席に腰掛けた。シェフの背後、カウンターの向こうに扉が見える。おそらく厨房に繋がっているのだろう。
「こちらがメニューです。ご注文決まりましたらお声掛けくださいね」
「はい。ありがとうございます」
 シェフから受け取ったメニューに目を通す。焼き加減が選べる牛肉のステーキ。とろりと甘いコーンスープ。バニラ味のジェラートもある。見ているうちにさらにお腹が空いてきたので、とうとうシェフに声をかけ、牛肉のステーキを注文した。
「焼き加減はいかがいたしますか?」
「ウェルダンで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
 シェフは一礼し、扉を開けて厨房へ入っていった。

 しばらくして、シェフが戻ってきた。
「お待たせいたしました。牛肉のステーキ、ウェルダンです。どうぞ」
「わ、ありがとうございます」
 カウンターにステーキが乗った皿と、ナイフとフォークが入ったかごが置かれる。さっそく肉を切ってみると、中から滲み出た肉汁が、テーブルランプの明かりに照らされきらきらと光った。フォークで刺して、肉汁ごと口に入れる。
「……っんん!」
 美味しい。硬すぎず柔らかすぎず、口の中で程良くほぐれていく。すぐに二口目、三口目と食べ進めていき、全て食べ終える頃には寂しささえ感じられた。
「ごちそうさまでした! 美味しかったです!」
「ありがとうございます。喜んでいただけて嬉しいです」
 シェフは目を細めた。

 会計を済ませてお店を出ようとした時、「あの」とシェフに呼び止められた。
「もし良かったら、厨房の中を見ていかれませんか? 普段はこんなことしないんですけど、お客さんがとっても美味しそうに召し上がってくださったんで、嬉しくて。ここでお客さんのご要望をお聞きして、一緒に新しいメニューを考えていきたいんです」
「え、いいんですか?」
 あの美味しいステーキが生み出される場所を特別に見せてくれるうえに、新メニューの要望まで聞いてくれるという。空腹が満たされ高揚の中にいた私は、迷わず頷いた。
「ぜひ……ぜひ! お願いします」
「ありがとうございます。ではこちらへ。暗いので、気をつけてくださいね」
 シェフの案内に従ってカウンターの後ろに回る。扉の奥に入ってすぐに、銀色のシンクと大きな冷蔵庫があった。シンクの中に何かぎらりと光るものを見つけ、親き込んでみる。それは先ほどのステーキを切り出す時に使ったのだろう、大きな肉切り包丁だった。
「おお……大きいですね」
「ええ。切れ味が良いのでお気に入りなんです」
 シェフは前を向いたまま言った。
「それで、新しいメニューのことなんですけど……先ほどお客さんが召し上がった牛肉の他に、もうひとつ、別の種類のお肉を使いたいと思ってて。普段あんまり使わないようなお肉を使って、もっとたくさんのお客さんに来ていただきたいんですけど……何か、こんなお肉を食べたいというご要望はありますか?」
「えー……なんだろう。迷いますね。豚も美味しいし、鶏も……いや、普段あんまり使わないお肉だったら、猪とか鹿とか……そうだ、ジビエなんてどうでしょう?」
「ジビエ?」
「はい! 自分で狩った動物の肉を出すんです」
 シェフに意見を聞かれたのが嬉しくて、私はつい興奮に任せて力説してしまった。
「あの、個人的なことになるんですが、普段猪とか鹿の肉ってめったにお目にかかれないし、一度気軽に食べてみたいと思っていまして……こういうところで出してもらえたら、お客さんがいっぱい来るんじゃないでしょうか」
 喋りながらシェフの様子をうかがっていると、シェフは、すっと目を細めていた。
「ありがとうございます。良いですね、ジビエ。やってみます」
「ありがとうございます……!」
 深く下げた頭の上から、「では、どんなメニューが良いかもお聞きしてよろしいですか?」と言う声が降ってくる。
「はい! ええと……やっぱり、ステーキでしょうか」
「焼き加減は?」
「うーん……すみません、ジビエ料理の焼き加減はよく分からなくて……」
「そうですか。内臓はどうしましょう。別の料理に応用します?」
「え、内臓? うーん、まぁ串焼きとかに使えそうですけど……」
「骨は付いていた方がいいですか?」
「骨付きなら煮込み料理の方が……」
 答えながら、少しずつ、違和感が膨れ上がっていくのを感じる。
「煮込みですか。それなら眼球まで余す事なく使えそうですね。あ、爪はどうします? 剥がして捨てちゃうともったいないですよね」
「……爪? ああ、ヒヅメか」
「いえ、爪です。両手両足についてる、それ」
 シェフは、私の手を指差していた。
「……え? い、いやいや、冗談やめてくださいよ」
「だって、お客さん。ジビエ料理が良いって言ったのは、貴方じゃないですか」
 じゃあじゃあとシンクの蛇口から水が流れる。シェフの手で洗われた肉切り包丁が、いっそう鋭い光を帯びる。
「……煮込み料理で、内臓は串焼きに応用。両手両足の爪はどうしましょうか。剥がして煮込み料理に入れるか、それともすり潰してアクセントにでもするか。お客さんが好きに決めていいですよ」
 シェフがマスクを外した。頬いっぱいに広がる血管のような網目模様。固まった私を見てゆっくりと口角を上げる。薄い唇の奥から、白い牙が覗く。
「ぁ……あ……あぁああ」
 必死に後ずさるが、同時にシェフも私の方に歩いてくる。扉の前に追い詰められる。
「さぁ、どうする? 爪を煮込み料理の具にするか、アクセントにするか。いっそ、ごみとして捨てられたいか」
 シェフが顔を近付ける。切れ長の瞳が覗き込んでくる。甘ったるい香りが鼻腔に入ってくる。
「あ……ぅ……っ……ぐ……」
「具でいい?」
 もう何も考えられない。私は必死にこくこくと頷いた。
「……じゃあ、ご注文通りにしてあげますね。お客さん」
 私の背後で、かちゃん、と鍵が閉まる音がした。

                 〈おしまい〉

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