見出し画像

【小説】ある駅のジュース専門店 第52話「再会」

※この小説を読む前に、【小説】ある駅のジュース専門店 第33話「路地裏のジュース専門店」を読むとよりお楽しみいただけます。(下のリンクからご覧いただけます)

 十月三十一日、ハロウィン。毎年この日になると親友の花純かすみと遊ぶ約束を交わし、町に繰り出して買い物や外食を楽しんでいた。
 だが、去年一緒に遊んで別れてから、花純は忽然と姿を消した。ニュース番組で彼女の名前が画面に出され、アナウンサーの声で淡々と読み上げられる日々が、しばらく続いた。取材のために声をかけられることもあったが、まだ落ち着いて答えられる状況じゃないと断った。断ったのに放送されたこともあった。それでもう、テレビで何か番組を観るのすら、嫌になってしまった。
 今は彼女のことがあまり取り上げられなくなって、だいぶ気分も落ち着いてきた。でも、彼女との連絡はまだ取れていない。
「今日はハロウィン! 渋谷のスクランブル交差点では今年も混雑が予想されており……」
 お昼頃、何の気なしにつけたテレビからは、明るいナレーションと、ハロウィンらしいポップで怪しげな音楽が聞こえてくる。花純と最後に会った日から一年経っているのを、嫌でも実感せざるを得ない。
 憂鬱な気持ちでスマホをいじっていると、通話アプリにメッセージが送られてきた。花純と同じく親友の、りんからだった。
真耶まや! せっかくのハロウィンだからさ、今夜、一緒に仮装して遊びに行かない?」
 いつも通りの明るい調子で綴られた文章が、今だけは、胸をちくりと刺す。
「ごめん、ちょっと今年は出かけるの無理かも」
「あ……そっか。花純ちゃんが……ごめんね」
 申し訳なさそうな返事が来た。凛は花純と面識が無いが、同じアニメが好きだというので、いつか会ってみたいと話していたことがあった。きっと、ニュースで花純のことを知ったのだろう。
「ううん、大丈夫」
 寂しさを堪えながらメッセージを送る。いつも部活が忙しくて凛と遊べる機会が少ないので、いつか遊びたいとは思っている。でも今日は、花純がいなくなってから、初めて迎えるハロウィン。町中へ出かける気には、どうしてもなれなかった。
「じゃあさ、ホームパーティーするのはどう?」
 凛からそんな返事が来た。目を丸くする。
「ホームパーティー?」
「うん。今年は買い物しに行くんじゃなくて、どっちかの家でお菓子食べて遊ぶの」
 暗く沈んでいた心に光が差し込んだ。幸い、部屋の掃除は済ませている。家に凛を呼んで、少しの間だけでも一緒に遊べば、町中まで出かけなくて済む。
「良いね! 私の部屋もう掃除してあるから、こっちに凛呼びたい」
「お、やったー! じゃあ真耶んちでやろう! どっかで待ち合わせしよっか」
「そうだね」
 凛が私の家に来るのは初めてなので、近所のスーパーを待ち合わせ場所にして、そこから家まで案内することにした。
「じゃあ、七時にスーパーの前ね」
「オッケー。じゃあまた後でね!」
 メッセージを送り終えると、胸が久しぶりに高鳴るのを感じた。

 午後六時半。私は家を出て、近所のスーパーに向かった。途中で小さな黒猫を連れた魔女や、白いシーツを被ったオバケとすれ違う。胸の中で、楽しさと寂しさが入り混じる。
 本当は、花純とも一緒に遊びたかった。凛に紹介したかった。一緒に仮装して、三人で町へ出かけて、ハロウィンの夜を楽しみたかった。いったい花純はどこに行ってしまったのだろう。
 沈んでいく気分をなんとか引き上げ、住宅街から大通りに出ようとすると、どこからか甘い香りが漂ってきた。イチゴのような、甘い香り。
「……あ」
 狭い路地に、一台のキッチンカーが停まっていた。車体に巻かれたピンクや紫のジュエリーライトが輝いている。確か、ハロウィンシーズン限定で営業しているジュース屋だ。去年はもっと町中にこのキッチンカーが出ていて、買ったジュースを花純と一緒に飲んだ。今年は家のすぐ近所に出ているので、なんだか嬉しくなる。
 車の中では、赤いシャツを着た店員がプラカップを洗っていた。ウルフカットの黒髪を片耳にかけ、そこから金色のフープピアスがのぞく。少し切れ長の瞳に通った鼻筋、薄い唇。全てのパーツが綺麗だった。口元に浮き上がった血管のような模様にびくりとしたが、去年もそうだったのを思い出して納得した。たぶん今年も、同じ特殊メイクをしているのだろう。
 じっと見つめていると、顔を上げた店員と目が合った。
「いらっしゃいませー。あ、去年も来てくれましたよね?」
 薄い唇の奥から、男とも女ともつかない気怠げな声が聞こえる。
「今年も、ちょっと場所を変えてやらせていただいてるんです。お客さん、良かったらなんか飲んでいきます?」
「あー、ええと……」
 凛と待ち合わせしているので断ろうとしたが、問われた瞬間、喉が乾いているのに気がついた。
「じゃあ……ちょっとだけ」
「ラズベリーソーダとストロベリーソーダがありますけど、どっちにします?」
「ストロベリーソーダでお願いします」
「かしこまりました。お先に代金として、五百円頂戴いたします」
「はいっ」
 代金を支払った後、車の近くでジュースができるのを待つ。店員はミキサーにかけたイチゴとソーダをプラカップに注ぎ、マドラーで丁寧にかき混ぜていく。私が急いでいるのを察したのか、ものの数分でジュースを作ってくれた。
「ご注文のストロベリーソーダです。どうぞ」
 黒いマニキュアを塗った指から、プラカップを受け取る。
「ありがとうございます……! すみません、急かしちゃったみたいで」
「いえ。なるべく早い方が良いと思って。ご友人と待ち合わせされてるんでしょう?」
「えっ……なんで」
 思わず声が裏返る。まるで、心の中を見透かされているようだ。
「分かりますよ。顔に書いてあったんで」
「そ、そうですかね……」
 どうやら私は、側から見ても分かりやすいほど焦った様子だったらしい。えへへ、と笑ってみせると、店員は静かに目を細めた。
「来年のハロウィンシーズンもキッチンカー出す予定なんで、もし良かったら、またジュース飲みに来てくださいね」
「はい……ありがとうございます!」
 軽く頭を下げ、プラカップに差されたストローに口を付ける。舌の上で弾ける炭酸とともに、甘いイチゴの味が流れ込む。渇いた喉が潤っていく感覚が心地良い。あっという間に飲み干してしまった。
「はぁ……美味しかった」
「喜んでいただけて良かったです」
 店員が目を細めたまま言った。
「去年も私ストロベリーソーダ頼んだと思うんですけど、なんか、今年はもっと美味しくなってる気がします!」
「ありがとうございます。今年は隠し味入れましたからね。たぶん、それが効いてるんでしょう」
「え、隠し味? なんだろう……うーん……んん……」
 考えているうちに、なぜか、急に眠気に襲われる。目がうまく開かない。足がふらついて、転びそうになってしまう。
「お客さん。大丈夫ですか?」
 後ろから左肩を掴まれ、もう片方の手で空のプラカップを取られる。つい先程まで車の中にいた店員が、いつの間にか、すぐ後ろに立っていた。
「ん……」
「あぁ、眠そうですね。少し移動しましょうか。ここだと何ですし……もっと、よく眠れる場所に」
 耳元で、やけに艶めかしい声が囁いた。同時に、イチゴとは違う甘ったるい香りが、鼻腔に流れ込んでくる。本能が警鐘を鳴らす。
 この人、本当は危ない人なんじゃないか。逃げなきゃいけないんじゃないか。頭ではそう思っているのに、眠気が強くなって、思考が揺らぐ。体が後ろに傾き、店員に背中を預けてしまう。
「好きなだけ寝な」
 囁く声が、地を這うように低くなった。
「大人しく寝てたら花純ちゃんに会えるよ」
「……か、すみ?」
 花純の名前が聞こえた途端、意識がはっきりしてきた。どうして花純のことを、この店員が。
「……そりゃあ、去年喰ってるからだよ」
「え?」
 振り向いた私の前で、店員は大きく口を開けてみせた。唇の奥に、鋭い牙が見える。その間から、唾液を纏った長い舌が垂れ下がってくる。
「ぁ……」
 体がすくむ。私の顔を見て、店員、いや、人の形をしたそれは、愉悦そうに唇を歪めた。
「お前らほんと仲良しだよな。反応も一緒、上げる声も一緒。私の餌になってくれるのも、一緒だもんなぁ」
 長い舌の先が牙をなぞっていく。背筋が凍った。花純は本当にこいつに食べられたんだ。そして、次は私が。
 慌てて逃げようとしたが、駆け出す前に後ろからきつく抱きしめられる。そのまま路地の方に連れて行かれる。必死に身を捩っても振り解けない。ずるずると、後ろへ引きずられていく。
「い、や……誰かぁっ」
 声を張り上げても人が来る様子は無い。耳元で、くっくっと喉の奥を鳴らす音が響く。
「じゃあ、そろそろ……ご飯にしますか」
 甘い香りがきつくなった。ひどく息苦しい。必死に息を吸おうと口を開けるがうまくいかない。視界がぼやけていく。意識が、遠のいていく。
 こんなところで死にたくない。こんな化け物に、食べられたくなんてない。
「痛くしないよ。ゆっくり溶かしてやるから寝てろ」
 首筋に、生ぬるい息がかかるのが分かる。
「い……や……っ」
 もがきながらなんとか言葉を絞り出したところで、とうとう、視界が真っ白になった。

 ふわり、と顔に布のような感触があった。それ以外、何も起こらない。
「……え?」
 気がつけば、頭上から白く薄い布が被さって、視界を覆っていた。
「チッ……鬱陶しい残りかすが」
 後ろから悔しげな声が聞こえる。呆然と立ちつくしていると、突然、前から手が布をめくって、腕を掴んできた。その指の冷たさに声を上げる。
「ひゃあ⁉︎」
「大丈夫。走って逃げよう」
 布の向こうから、同い年くらいの女の子の声がした。そのまま腕を引っ張られ、訳も分からず走り出す。いきなり布を被せられ、腕を掴まれ、無理やり引っ張られているのに、不思議と怖くなかった。
 しばらく走った後、手の主から「止まって」と指示されたので、言う通りにした。
「そのまま静かにして、できるだけ何も考えないようにしてて。私が良いって言ったら、動いていいからね」
 腕を掴む手が離れ、布が少しめくれる。すると後ろから、あの低く恐ろしい声が聞こえてきた。
「あぁ、クソ。面倒くせぇ」
 靴音が近づいてくる。必死に息を潜める。店員はなぜか私に気づいていないようで、すぐ近くを歩きながら、荒々しい言葉を呟いている。
「ふざけんなよ……『バレませんように』? 隠れてないで出て来い。ここら辺から聞こえてんだよ」
 足が震える。私の心を読み取って、それを頼りに探しているのだ。あの人の言う通り、できるだけ頭を空っぽにする。
「……出て来ねぇんなら、お前の代わりに友達と遊んでやっても良いけど? あいつ、今一人で待ってるんだよな。スーパーのところで」
 凛のことだ。思わず息を呑む。
「お前にとってはその方が良いかもな。自分は助かるんだから。もう怖い思いしなくて済むし、私に喰われなくて済む。そしてまた、大事なお友達がいなくなる」
 くつくつと笑う声。はらわたが煮えくり返りそうになる。こいつ、こいつ、凛まで‼︎
「大丈夫。ただの脅しだよ。何も考えないで。考えたら、真耶がどこにいるかバレちゃう」
 耳元で、あの人の声がした。はっとして、昂る気持ちをなんとか落ち着かせる。できるだけ、何も考えないようにする。
 数時間にも感じられるような沈黙が続いた後、再び、悔しげな舌打ちの音が聞こえた。
「クソ。ダメか」
 吐き捨てるような言葉とともに、靴音が遠ざかっていった。
「もう良いよ」
 布が引き上げられ、遮られていた視界が戻る。もうあの店員の姿は無かった。代わりに、白いシーツを被ったオバケが、私のそばに立っていた。
「ケガしてない?」
「は、はい……ありがとう、ございます」
 お礼をいいながら、その人をまじまじと見つめる。体を覆うシーツからのぞく赤いワンピースの裾と、赤いストラップシューズを履いた足。片手にかごを持っているのも見えた。中に入っているのは、葡萄酒の空き瓶。
「真耶。ごめんね。怖い思いさせちゃって」
 その言葉を聞いた途端、温かいものが込み上げてきて、両目からこぼれ落ちた。
「ぅ……っぁぁあああっ」
 駆け寄ってシーツ越しに抱きつく。抱きしめ返してきた手は、とても冷たかった。
「なんで……なんで、花純……っ」
「だって今日、ハロウィンでしょ? せっかくだから仮装してきたの」
 一年ぶりに会う親友が、シーツを脱ぐ。去年と同じ、赤ずきんの格好をしていた。
「実はさっき、あっちの道を歩いてきたら、あいつのキッチンカーが見えて。その後、真耶とすれ違ったんだけど、このままじゃ真耶がキッチンカーの方行っちゃうなと思って。急いで戻ってきたんだ」
「え、じゃあ……もう、会ってたってこと……?」
「うん」
「……言ってよぉ……」
「ごめんごめん」
 花純が照れくさそうに笑う。
「……ほんとに、ありがとう。助けてくれて」
「ううん、こちらこそ」
 花純と微笑み合い、ハンカチで涙を拭いた後、バッグからスマホを取り出す。
「あ……もう七時だ」
「凛ちゃんと待ち合わせしてるんだったよね? じゃあ、もうそろそろ」
「え、ちょ、ちょっと待って!」
 帰ろうとする花純を、慌てて呼び止める。
「まだ、こっち……にいられる時間、ある?」
「え? あ、あるけど……」
「もし良かったらさ……三人で、ホームパーティーしない?」
「え……?」
「ほら、前に凛と一度会ってみたいって言ってたじゃん」
 そう言うと、花純は戸惑った様子を見せる。
「良い、の? 私、もう、こんな状態だけど……」
「せっかくのハロウィンだもん。それにさ……花純と遊べるの、なんとなくだけど、今日しか無い気がするんだよね」
「……確かに、そうかも」
 花純の顔に一瞬、寂しげな表情が浮かぶ。その後、ぱっと明るい笑顔に変わる。
「じゃあ、私も行く! パーティー終わったら帰るから」
「やったぁ! じゃあ一緒に行こ!」
「うん!」
 月明かりの下、私と花純は、スーパーの前で待っている凛の元へ歩いていった。

                〈おしまい〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?