【小説】ある駅のジュース専門店 第27話「人違い」
よく晴れた休日。人でごった返す町中を歩いていると、前方から見覚えのある人が歩いてくるのが見えた。口元は黒いマスクで隠れているが、その涼しげな目元から、過去に会って話した時の記憶が鮮やかに蘇る。
「舞! 舞だよね⁉︎」
思わず声を上げて駆け寄る。その人はこちらを一瞥し、微かに眉間に皺を寄せた。
「……どちら様ですか?」
「えっ?」
「私、舞じゃなくてサラセです」
「あ……す、すみません! その、友達によく似てて……勘違いしてしまいました」
必死に頭を下げると、「別に良いですよ」と先程よりも少し優しい声が頭上から降ってくる。舞とは全く違う、低めの声だ。そもそも友人と町中で出会うこと自体めったに起こらない。勘違いしてしまったことが余計に恥ずかしくなり、ぺこぺこと頭を下げた。
「本当にすみません」
「私とその、舞さんって方……結構似てるんですか?」
「は、はい。彼女もウルフカットだったんです」
「そうなんですね」
「はい……最近会ってなかったので、遠くから見て、もしかしたらって思っちゃって」
目を伏せる。最近どころか、もう二年は会えていない。連絡も取れないままだ。
「どうかされました?」
その人——サラセさんの声にハッとして顔を上げる。いつの間にか、物思いにふけってしまっていた。
「い、いえ! なんでも」
「そうですか。では、大丈夫そうなら私はこれで」
「あ、引き止めちゃってすみませんでした」
「いえいえ。気にしないでください。では、失礼します」
サラセさんの背中を見送りながら、私はもやもやとした気持ちで過去の記憶を思い返していた。
舞は、私が高校生の時に出会った親友である。知り合ったばかりの頃は背中辺りまで髪を伸ばしていたが、高校二年生の夏頃に髪をうなじ辺りまで切って、襟足をくるんと巻いたウルフカットになった。
「最近ウルフカット流行ってるし、一度やってみたかったっていうのもあるんだけどさ。ほら、今の時期やっぱ暑いじゃん。髪長いと乾きにくくって。だから、ここまでバッサリいっちゃってくださいって美容師さんにお願いしたんだ。これ、どうかな? 変じゃない?」
「全然変じゃないよ。すっごく似合ってる!」
「ほんと⁉︎ ありがとー!」
それから彼女はこの髪型が気に入ったらしく、髪が伸びてくると美容院で必ずうなじ辺りまでのウルフカットにしてもらっていた。
「春香もさ、きっと似合うよ。ウルフカット」
「そうかなぁ」
「一回お揃いにしてみない?」
「お揃い? そしたら私たち、親子みたいになっちゃうよー」
「あはは、なんでよー」
「だって舞、私より背高いじゃん」
舞は身長が百八十センチ近くあり、体育で球技があった時に大活躍していた。
「大丈夫だよ。親子というか姉妹だよ姉妹」
「あははは、じゃあ舞がお姉ちゃんだね」
「私は春香がお姉ちゃんの方が良いなー」
そんな会話を交わしながら、二人で笑い合ったのをよく覚えている。
その後、舞と私は同じ大学に進学し、休み時間や放課後に待ち合わせて会話に花を咲かせた。高校生の頃より会う頻度は減ってしまったが、通話アプリで連絡を取り合えるし、大学の構内で偶然会えることもある。大学生になっても舞とこうして一緒に話ができるのが嬉しかった。
「ねぇ。春香はさ、もう就職先決めてる?」
「うーん……今のところ、市役所で働こうかなって思ってるよ」
「え、市役所ってことは……公務員⁉︎ すごいじゃん!」
「あ、ありがとう。舞は?」
「私はね、建築の仕事行こうとしてるんだ。土木作業員」
「建築! かっこいい」
「ありがとっ」
舞はパワフルな人だから、きっと現場でも活躍できるだろう。
「頑張ろうね。なんか困ったことあったら教えて! なんでも聞くし」
「ありがとう。私も愚痴とかあったらいつでも聞くよ」
こんな風に、私たちはお互いに励まし合いながら、就職に向けて歩みを進めていた。
そして私は、公務員試験に無事合格して、大学を卒業した。新しい環境や仕事に少し慣れてきた頃、しばらく連絡を取れていなかった舞から通話アプリでメッセージが届いた。
「やっほー久しぶり! 元気? 私ね、今、笠岐の方で働いてるんだ」
メッセージを見て思わず笑みが溢れる。久しぶりに舞と話せるのが嬉しかった。
「久しぶり! 笠岐? すごいね! 建築の仕事?」
「うん! なんかね、駅作るんだって」
どうやら舞は、笠岐という地域に駅を建てるという大きなプロジェクトに参加しているらしい。
「笠岐に線路を敷こうって計画があって、それに合わせて駅を建てようとしてるんだ」
「へぇ……!」
「でもね、ちょっと困ったことがあって」
「え、なになに?」
そこから少し間が空いて、メッセージが送られてきた。
「駅を建てる場所はもう決まってるんだけど、そこにいつの間にか、建物が建っちゃってるんだよね。もうほんと面倒くさくて」
「あらー……」
「今度ね、その建物の責任者? みたいな人に会って、立ち退いてくれるようにお願いしなきゃいけないんだ」
「大変だ……頑張ってね」
「うん! 頑張ってくるわ」
このメッセージのやり取りが、私たちの最後の会話になった。これ以降、舞とは一切連絡が取れていない。
あれから笠岐に駅を建てる計画はどうなったのだろうか。サラセさんと別れた後、スマホの検索エンジンで検索してみると、結局駅の建設自体が中止になったことが分かった。インターネット上では地元の方々の大変残念だという声や、工事を再開して欲しいという声も多数紹介されていたが、中止になった理由については明確な情報が上げられていなかった。
ただ、笠岐に駅を建てる計画が中止になった旨を伝えるネットニュースの記事やサイトに混じって、「ある駅のジュース専門店」という都市伝説を紹介するサイトも表示されているのが気になった。おそらく「笠岐」と「駅」という二つのキーワードに関連するものとしてヒットしているようだが、知らない都市伝説だったので、興味を惹かれてサイトのリンクをタップしてみる。
そのサイトで紹介されていたのは、笠岐にあるのではないかと囁かれている「異界駅」の噂だった。実際には存在しないはずの無人駅が突如現れ、通勤・通学途中の人がたまに迷い込んでしまうのだという。また、その無人駅の中には鮮やかなネオン看板を掲げたジュース専門店があって、「サラセ」という店員が一人で経営しているのだという。その店員が作るジュースは、驚くほど美味しいのだとか。
(あれ?)
そういえば先程、私が舞だと勘違いして話しかけてしまった人の名前も「サラセ」だった。奇妙な一致に少し怖くなる。
きっと、ただの偶然だろう。都市伝説の中の人物名が先程会った人の名前と一致しているのも、笠岐での駅の建設計画が中止になったことと最近流行っている都市伝説との間で「笠岐」「駅」という二つの要素が重なっているのも、サラセさんの顔が舞の顔によく似ていたのも。
「確かに……自分の身体は食べた物で構成されてるって、よく言いますもんね」
耳のすぐ近くで低めの声がそう言った。飛び退いて辺りを見回しても、声の主は見当たらない。
何を言われたのかはよく分からなかったが、なんとなくその言葉の意味を理解してはいけない気がして、私はその場から逃げるように早足で歩き出した。
〈おしまい〉