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【小説】ある駅のジュース専門店 第4話「⬛︎⬛︎駅のジュース専門店」

 俺は、昔からオカルトの類——特に、インターネット上で囁かれている現代の都市伝説が好きだった。
 俺が物心ついた時にはもう、「きさらぎ駅」「かたす駅」「やみ駅」などの様々な、いわゆる『異界駅』と呼ばれる都市伝説が生まれていた。小学生の頃の俺は父から借りたタブレットでそれらを片っ端から検索して、体験者が無事に現実世界に戻って来られるか、ハラハラしながら読み進めていた。
 そして大学生になった今でも、都市伝説への興味は尽きない。暇さえあれば、同じくオカルト好きの親友と都市伝説について語り合う日々を過ごしている。

 夏休み直前のその日、期末テストを無事に終えた俺は、親友と一緒に帰る約束をしていた。バス停で待ち合わせて、お互いの姿が見えると軽い挨拶をして、バスが来るまでオカルト談義に興じた。
「お前、いつもバスで駅まで行って電車で帰るだろ。もし異界駅に行っちゃったらどうする?」
「えー? そうだな……木の枝と板を見つけてきて火を起こすかな。ほら、火を起こしたら帰れるって言うでしょ」
「おお、結構サバイバルだな……」
「命懸けだからね」
 そんな風に話し合っていると、親友が突然こう切り出した。
「あ、そういえばさ……最近、"新しい"異界駅が見つかったらしいよ」
「えっ、マジで? 今度は何駅?」
「それがね」親友は目を輝かせながら話した。
「何駅か、分かんないんだって」
「え?」
「なんかね、駅の看板にはそれっぽい字が書いてあるんだけど、漢字のようで漢字じゃなくて、『駅』って字以外読めないらしいよ」
「何だそれ……なんか、面白そうじゃん」
「でしょ? しかも、その駅には他の異界駅には無い特徴があるらしくて……」
 ほらこれ、と親友は俺にスマホの画面を見せた。そこには怪談や都市伝説に関する掲示板のページが写し出されていて、『ある駅のジュース専門店』というタイトルが表示されていた。
「ジュース専門店?」
「うん。駅の中にあるんだって。誰かがその店に行って、ジュース飲んで帰って来たって」
「え、大丈夫なのかよ、そのジュース。異界駅なんだろ?」
「まぁとりあえず、これ、読んでみて。めちゃくちゃ面白いから」
 俺は親友に言われるがまま、差し出されたスマホを受け取って、体験談を読んでみた。それは簡単にまとめると、こんな話だった。
 ある女子高生が電車で自宅へ帰る途中、居眠りして降りるはずの駅を乗り過ごしてしまう。辿り着いたのは寂れた無人駅。スマホは圏外、駅名も読めず、そこが『異界駅』だと悟った彼女は不安でいっぱいになる。とりあえず駅の構内を見回して目についたのが、ネオン看板が輝くジュース屋だった。店員は中性的でミステリアスな雰囲気で、気怠げな態度で接してくる。その店のジュースは絶品で、タダでお土産まで貰うことができた。そして会計を済ませた彼女は店員の「店を宣伝して欲しい」という頼みを受け入れ、電車に乗って無事帰宅することができた。
「どうだった?」
 最後まで読み終えると、親友が話しかけてくる。
「今までに無いパターンだったな。面白かった」
「そうだよね、僕も最初読んだ時びっくりしたんだ。今まで読んだ『異界駅』とは雰囲気が違う気がしてさ」
「そうだな……あ、他にこの駅に来た人の体験談とかは無かったのか?」
「さぁ、どうなんだろう……僕もまだそこまでは調べてなくて。ただ、ジュース屋の店員がお洒落だって話題にはなってたよ。もう名前付けられてた」
「へぇ、店員の名前か」
 親友は再びスマホを操作して、別の掲示板のページを見せた。
「え、髪がサラサラでセクシーだから『サラセ』になったのかよ。名前テキトー過ぎないか?」
「まぁ……別の都市伝説で、髪がサラサラで激しい動きをするから『アクロバティックサラサラ』って名付けられた怪異もいたからね」
「あぁ、いたな。懐かしい……」
 その時、バスが到着したので、俺たちはバスの中で続きを話すことにした。三十分ほどオカルト談義を続け、そろそろ降りる停留所が近づいてきた頃、俺は親友に話しかけた。
「なぁ、井田」
「ん、何?」
「明日、暇?」
「うん」
「俺さ、さっきの駅の話聞いた時からずっと考えてたんだけど……」
 俺がある提案をすると、親友は再び目を輝かせて賛成してくれた。そして、明日の午前十時に会う約束をした。

 翌日、俺たちは駅で待ち合わせた。目当ての電車が来るまで結構時間があったので、売店で昼食を買ったり、持ち物を見せ合ったりしていた。
「お前、昨日は自力で火起こしするって言ってたのに……ライター持ってきてるじゃん」
「ほら、枝と板が無い場合もあるかなって……燃やす用にいらない紙も持ってきたし、もし本当に異界駅に着いたとしても、これに火を付けて燃やせば大丈夫だと思うよ」
「まぁ確かに……駅で丁度良い火起こしの材料が見つかる可能性、低いもんな」
「そうだよね」親友は楽しそうに笑った。
 この日、俺たちが駅に来たのは、「ある駅のジュース専門店」に行けるかどうかを検証するためだった。無謀な挑戦だということはお互い承知の上で、それでも一生に一度は誰かに体験談として語れるような、不思議な体験をしてみたかったのだ。
 しばらく話している間に電車が来る時間が近づいてきたので、俺たちはICカードで改札を通り、ホームに向かった。足を進めるたび、少しずつ鼓動が速くなってくる。まるでどこかの観光地へ行くかのような浮ついた気分だった。
 ホームで待っていると、電車が入ってきてゆっくりと減速し、車体が完全に停止した後に扉が開く。俺たちは思わず駆け足になって乗り込んだ。
「えーと、降りる予定の駅はここだから……」
「うん。きっと、ここを乗り過ごしちゃえばいいんだよ。あの体験者の人は、降りる駅を乗り過ごしてあの駅に行ってるんだから」
 車内の乗客は俺たちを含めて十人ぐらい。夏休み初日にしては空いている。
 俺たちは電車の揺れを身体に感じながら、定期的に流れるアナウンスに耳をそばだてていた。駅に停車するたび、乗客も次々に降りていく。
 そうして、俺たちが乗車してから三十分ほどが経過した。乗客は俺と親友を残して、みんな降りていた。電車は乗り過ごす予定の駅を通過し、トンネルの中を走っていく。俺が、本当にこれで異界駅に行けるのかな、と話しかけようと隣の座席を見た時、ちょうどトンネルを抜けたのか、車内が少し明るくなる。それと同時に、ずっと窓の外を眺めていた親友が、目を見開いた。
「……えっ」
「どうした?」
「ねぇ……今、何時?」
「え? えーと今は……正午になるぐらいじゃないか?」
「そう、だよね……でも、外がもう……」
 親友の目が輝いている。なんだろうと窓の外を見た俺も、その時たぶん、親友と同じように目を輝かせていたんじゃないかと思う。
 窓の外はもう、夜だった。遠くにビルの明かりで作られた夜景が見えて、虫の声も聞こえてくる。でもそれは明らかにおかしかった。十時に駅に集まって、十一時半に来た電車に乗って、そこからさらに三十分以上は経っているから、今は正午になるかならないかの時刻。つまり、電車に乗っている間に日が沈んで夜になるなんてことは、絶対に起こり得ないはずだった。
 窓の外を見つめる俺たちの耳に、アナウンスが飛び込んできた。
「ご乗車ありがとうございます。次は、⬛︎⬛︎……⬛︎⬛︎です」
 アナウンスの途中でノイズのような雑音が入り、駅名がよく聞こえない。
「これって、もしかして……」
「本当に、異界駅に行けた……?」
 俺たちは顔を見合わせて、息を呑んで喜び合った。

 電車が駅に着くと、嬉しさのあまり、ドアが開いた瞬間にホームへ駆け降りた。
「わぁ、本当に看板の文字読めない……!」
「よし、記念に写真撮っとこうぜ!」
 俺たちはスマホで看板とホームの写真をたくさん撮って、まるで幼い頃に戻ったかのようにはしゃぎ回った。
 次は件のジュース専門店を探そうと、ICカードで改札を通ろうとしたが、改札口が開いたまま壊れていてカードが反応しなかった。駅員がいる気配も無いので、そのまま改札を通って進んでいった。
「ここ、店がいっぱいあるんだな……」
「でもみんなシャッター閉まってるね」
 薄暗い構内に俺たちの話し声や、歩く音だけが響き渡る。シャッターが並ぶ通路の半分ほどまで来ると、「ねぇ、あれじゃない?」と親友が前方を指差した。その指の先に、鮮やかなピンク色のネオン看板が見えた。
「あれだ!」
 俺たちは吸い寄せられるかのように看板へと走った。一軒だけ開いていた派手な照明のその店は、紛れもなく昨日の体験談の中で記述されていた、あのジュース専門店だった。
「どうする? 入る?」
「ちょっと怖いよな……でも、喉渇いてるからなぁ……」
 入るのを躊躇っていると、中から「いらっしゃいませー」と声が聞こえた。
「え、あ……」
 俺たちは思わず後ずさってしまった。店の奥から出てきた店員は赤いシャツと黒いエプロンとズボンとマスクを身につけ、ウルフカットの黒髪を片耳に掛けて、そこから金色のピアスが見えて。外見も醸し出す雰囲気も全て、あの体験談と一致していたのだ。
「お客さん、二名様ですか?」
 黒いマスクの奥から、男性とも女性ともつかない声が聞こえた。は、はい、と頷くと、「ではこちらへ」とカウンターに案内された。
「……ほ、本当に、『サラセ』さんだ……」
 席に着いた親友が小さく呟いた。するとそれが店員に聞かれていたらしく、すぐに切れ長の目が俺たちの方を振り向いて、糸のように細められた。
「あぁ、名前付けてくださったんですか? ありがとうございます」
「え? あ、いえ……勝手に誰かが付けてしまって……」
「良いんですよ、どうぞお好きに呼んでください。それだけこの店の存在が広まったってことですよね。本当に嬉しい限りです……あ、お客さん方。なんか飲みます? ストロベリーソーダとラズベリーソーダがありますけど」
「んー……どうする?」
「僕はラズベリーソーダにしようかな……」
「じゃあ俺もそれで……ラズベリーソーダ二つ、お願いします」
「かしこまりました」
 店員はカウンターに背を向けてジュースを作り始めた。その間に俺たちは店内を見渡して、異界駅にあるとは思えないほど色鮮やかな内装に圧倒されていた。
「あ、あの、サラセさん……」俺は意を決して、店員——サラセさんに話しかけた。
「はい」
「お店の中の写真とか、動画撮っても、よろしいでしょうか……?」
「あぁ、別に大丈夫ですよ。好きなだけ撮ってください。それと……もし良かったら、SNSでうちの店のこと宣伝してくださると嬉しいです」
「あ、ありがとうございます……!」
 俺たちは席を立って、店内の写真や動画をたくさん撮った。カウンターの隅に置かれたかごの中のネクタイや腕時計(サラセさん曰く「お土産」らしい)、ピンクや紫の照明。特に、親友は壁に飾られた赤い花の絵画に惹かれたらしく、色々な角度から写真を撮っていた。
 写真や動画を撮り終えてカウンターに戻ると、サラセさんがラズベリーソーダを手渡してくれた。お礼を言ってストローに口を付けると、たちまち口の中が溶けていく炭酸と甘酸っぱいラズベリーの味でいっぱいになった。
「めっちゃうま……」
「最高……」
「良かったです。そんなに気に入ってもらえて」
 サラセさんは嬉しそうに目を細めた。

 ジュースを飲み終えた俺たちは、代金の五百円を支払って店を出た。親友が持ってきたライターで紙を燃やして、異界駅から無事に帰るためだ。
「じゃあ、いくよ」
 店の前で、親友がライターに火を灯して紙に近づけた、その瞬間。
「お客さん。火遊び危ないですよ」
「わ!」
 いつの間にか、俺たちのすぐ近くにサラセさんが音も無く立っていた。驚いた拍子にライターのボタンから指が離れ、炎が消えてしまう。あ、と声を漏らした俺たちに、サラセさんは気怠げに話しかけてくる。
「そんなに焦らなくても良いんじゃないですか? もうすぐ電車来ますんで」
「な、なんで……」
 なんで、俺たちが帰ろうとしているって分かったんだろう。
「はは、分かりますよ。それくらい」
 楽しげな口調だった。まるで頭の中をずっと覗き見られているようで薄気味悪くなり、俺たちは素早く立ち上がって会釈し、荷物を引っ掴んで逃げるようにホームへと走った。

 その後、俺たちはホームに到着した電車に乗って、無事に元の駅へと戻ることができた。
「いやぁ、凄い体験したな……」
「そうだね……あ、後で今日のことネットに上げようよ。写真も動画もあるし」
「これはバズりそうだな」
 さっそくスマホを起動して、異界駅で撮った写真と動画を確認してみると、二人揃って「えっ」と声が出た。
 先程撮った写真が全て、輪郭が掴めないほど激しくブレている。動画に至っては、まるで指がカメラを隠しているようにぼやけていて全く撮れていない。
「何これ……」
「ダメだ、これじゃネットに上げられねぇ」
「せっかく撮ったのに……文章だけで伝えるしかないか……」
「そうだな……」
 俺たちはがっくりと肩を落とした。
「まぁ……とりあえず、一緒に異界駅に行けて良かったよ、ありがとう」
「ううん、こちらこそ。良い体験が出来た」
「また夏休みの間に、どっか遊びに行こうぜ」
「そうだね、また遊ぼう。今日は本当にありがとう」
 そんな言葉を交わして、その日は駅で解散して、それぞれSNSに異界駅での体験を投稿した。

 後日、親友からスマホにメッセージが届いた。
「この前行った異界駅のジュース専門店、壁に絵が掛かってたでしょ? 赤い花の」
 親友が熱心に写真に収めようとしていた、あの絵のことだ。俺はすぐにメッセージを返した。
「ああ、そういえばそうだったかも」
「あれ、写真はハッキリ撮れなくて残念だったけど、あの花が印象に残っててさ。写真の輪郭と記憶を頼りに、なんて名前なのか検索してみたんだ。そしたら」
 少し時間を空けて、メッセージが続けて送られてきた。
「なんか、食虫植物らしくて」
「食虫植物?」
「うん。虫を甘い蜜で誘って、袋みたいな葉に落としちゃうってやつ。それで、その名前がね……ちょっと、怖くなったんだけど」
 そして、固唾を呑んで見つめている画面に、新しいメッセージが表示された。
「……『サラセニア』って、いうんだって」
 そのメッセージを見た瞬間、俺はあの異界駅で気になった所を思い返して、ああ、だからか、と腑に落ちた。改札が開いたままになっていたこと。あの店だけが開いていたこと。火を付けて早く帰ろうとするのを引き止められたこと。そして、店のカウンターに置かれていたかごの中の「お土産」が全て、『人が直接身につけるもの』だったこと。
 もし、体験談を綴った女子高生や俺たちの他にもあの店に来ていた人がいるとしたら。あの店員の名前が『サラセニア』から来ていて、本当に「そういう目的」で客を——「人間」を、呼び寄せているのだとしたら。
 俺たちは、あの店をインターネットで「宣伝」してしまって、本当に良かったのだろうか。

                〈おしまい〉

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