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【小説】時の砂が落ちるまで 第4話「Crimson night」

 今日は十月三十一日、ハロウィン。いつも高校からの下校途中に寄っているアンティークショップで、夕方からハロウィンパーティーが開かれるらしい。ゆかりは両親の許可を得て、張り切ってメイドの仮装をし、まだ明るいうちに家を出た。
 いつもの道を通り、雑居ビルの一角、路地裏に佇む店に到着する。扉を開けると、中から店主の紫苑が出迎えてくれた。
「紫苑さんこんにちは!」
「いらっしゃい! 可愛いメイドさんだね。似合ってるよ」
「ほんと? ありがとうございます! 紫苑さんも、魔女の帽子お似合いです」
 紫苑の頭には、黒い魔女の帽子が乗っていた。長い黒髪に黒いシースルートップスとズボンという服装なので、まるで本当に魔法が使えそうな雰囲気が醸し出されている。
「そう? ありがとう! せっかくのハロウィンだからね、張り切っちゃったんだ。さ、入って入って」
 促されて店内に入ると、壁にオレンジと黒のリボンが掛かっているのが見えた。いつもは黒と紫を基調とした落ち着いた雰囲気だが、オレンジのリボンが加わることで、一気に華やかな印象になる。
 続いてカウンターに目を移せば、椅子の上に丸まるハチワレ模様の猫が目に入った。その尻尾は、二股に分かれている。紫苑の愛猫、ミヤだ。
「ミヤくんこんにちは! あ、紫苑さんとお揃い?」
 ミヤの頭には、小さな魔女の帽子がちょこんと乗っていた。
「……何度も断ったんだが」
 ミヤは納得がいかないという顔で紫苑を見る。
「まぁまぁ。仮装に付き合ってくれたお礼に、チーズ倍にしとくからさ。パーティーの間だけでいいから我慢しとくれよ」
 ね、お願い、と紫苑が頼み込む。
「しょうがないな」
 ミヤはあくびをしながら面倒くさそうに答えた。
 店の外からさらさらと音が聞こえ始める。紫苑が少し扉を開けると、先程までは明るかった空が暗い雲に覆われ、小雨が降ってきていた。
「あら、降ってきたね。天気予報では晴れだって聞いてたんだけど」
「嘘! どうしよう、傘持ってきてない……」
 落ち込むゆかりに、紫苑は明るく声をかけてくれた。
「大丈夫。もし帰る頃になっても止みそうになかったら、傘貸してあげるよ」
「えっ、そんな……申し訳ないです」
「良いの良いの。またうちに来る時返してくれればいいからさ」
 あそこにあるからね、と黒い手袋に包まれた指が、扉の横の傘立てを指す。
「さ、気を取り直して……ハロウィンパーティーを始めるよ。こんな天気になっちゃったけど、じゃんじゃん盛り上がっていこう! ゆかり、座って座って。荷物、預かっとくよ」
「ありがとうございます……!」
 紫苑にショルダーバッグを渡し、カウンター席に座る。カウンターの上にはグラスと、お菓子の乗った紙皿が用意されていた。パッケージには、ハロウィンらしくオバケやコウモリが描かれている。その可愛らしいデザインを眺めている間に、紫苑がグラスにオレンジジュースを注いでくれた。
「紫苑。早く、チーズ」
 ゆかりの横の座席から、ミヤが声を上げる。
「ちょっと待ってて。今あげるから」
 猫用チーズを乗せたプラスチックの器が、カウンターに置かれる。
「はい、どうぞ」
 紫苑がそう言った途端、ミヤは素早くカウンターに飛び乗り、美味しそうにチーズを食べ始めた。
「お前にはひとかけらもやらんぞ」
 こちらを一瞥して得意げに呟く姿が、憎らしくも可愛らしい。ゆかりも見せびらかすようにクッキーのパッケージを開け、一枚頬張ってみせた。
「最近、学校はどう?」
「楽しいです! 同じアニメが好きな友達もできて……」
「お! 良かったじゃないか」
 ゆかりは紫苑と学校のことや趣味のこと、様々な世間話に花を咲かせていた。

 気がつけば日もすっかり沈み、アンティークショップの外は暗くなっていた。ざあざあと降りしきる雨の音に混じって、店の外からノックの音が三回、響いた。
「はーい、いらっしゃ……」
 扉を開けて客の顔を見た紫苑が、固まる。
「紫苑さん……?」
「どうした?」
 ゆかりとミヤは顔を見合わせた。いつもの紫苑はどんな客にも明るく飄々とした態度をとる。だが、その客を前にした彼女は、どこか夢見心地でうっとりとした表情をしている。
「で、ではどうぞ中へ……」
 紫苑がぎこちない動きで戻ってくる。後に続く客を見て、ゆかりは目を見張った。
 店内に入ってきたのは、背の高い美青年。肌も髪も雪のように真っ白で、すっと通った鼻筋と、切れ長の赤い瞳が一際目を引く。ジャボブローチの付いた白いフリルシャツに黒いズボンという服装は、まるで貴族のようだった。
 ゆかりは思わず青年に見惚れてしまう。これほど整った顔立ちの客が突然やって来たら、いつも飄々としている紫苑がうっとりするのも頷ける。
 青年はゆかり達の前で胸に手を当て、優雅にお辞儀をした。
「初めまして。私はヴィンセント・ジル・レジーと申します」
 薄い唇の奥から、心地の良い低音が奏でられる。イギリス出身だという彼は流暢な日本語で、迎えが来るまで店内で雨宿りをさせてほしいと頼んだ。紫苑もゆかりも快諾したが、ミヤだけは不服そうだった。
(なんだ? この男……妙に鉄臭い)
「ん、どうしたの?」
 紫苑が不思議そうな顔で尋ねる。
「……別に。なんでもない」
 訝しげにヴィンセントを見ながら、ミヤは答えた。

 こうして、ヴィンセントもハロウィンパーティーに参加することになった。
「花里ゆかりさん、でしたよね? 今日はよろしくお願いします」
 ヴィンセントがゆかりの目をじっと見つめ、話しかけてくる。
「はっ、はい! よろしくお願いします!」
 ゆかりはどぎまぎしながら頭を下げた。目の前の彼はとにかく美しい。そのうえ礼儀正しい。視線を合わせられると、なんだか恥ずかしい。でも目の色がとても綺麗で、ずっと見ていたいと思った。
「それにしても、このお店はとても居心地が良いですね。美しい店主さんがいらっしゃるからでしょうか」
「えっ⁉︎    いやぁ、美しいだなんて……」
 ヴィンセントに褒められ、紫苑は思わずにやけてしまう。ふと横を見ると、ミヤが冷めた目でこちらを見ていた。
「な……なによ。その顔は」
「別に」
 ふん、とミヤはそっぽを向いた。
「……で、では早速お料理をお出ししますね」
 舞い上がった心を隠すように、紫苑はヴィンセントに頭を下げ、キッチンへと入っていった。
「……それに、こんなに可愛らしいお嬢さんに出会えるなんて、夢にも思わなかった」
 ヴィンセントは再びゆかりの目を見つめ、思わず胸を高鳴らせるような台詞を、さらりと口にする。
「へ⁉︎    ちょっ……あ」
 突然身体から力が抜け、ゆかりは危うく転倒しそうになった。しかし、間一髪のところでヴィンセントに優しく抱きとめられる。
「おっと……大丈夫?」
 見上げると、整った顔がすぐそばにあった。
「ふぁ、ぁい」
 思わず声が裏返って変な返事をしてしまう。
「怪我はないようですね。良かった……」
 ヴィンセントは安心させるように、硬直しているゆかりを抱きしめた。首筋に息がかかるのを感じ、ゆかりの心臓が早鐘を打つ。このままでは失神しそうだ。
「お待たせしました! 鶏肉のガーリックソテーでーす!」
 紫苑が料理を持ってきた。ヴィンセントが素早く離れ、元の座席につく。ゆかりも胸の高鳴りを抑えながら、席に戻った。
「わ、わぁ……美味しそう!」
 皿の上には程よく焼き目のついた鶏肉と、薄く切ったニンニク、付け合わせのほうれん草が乗っていた。
「いただきまーす!」
 口に入れると、柔らかい鶏肉の食感とニンニクの香ばしさが合わさる。ほうれん草も、バターの風味が効いていてとても美味しい。顔を綻ばせ、ふと横を見ると、ヴィンセントがわずかに顔をしかめていた。
「あっ……ごめんなさい! ニンニクの匂い、すこいですよね」
「いえいえ。お気になさらないでください」
 ヴィンセントは柔らかく微笑んだ。
「お客様も、ソテーいかがですか?」
 カウンターを挟んで紫苑が尋ねる。
「いえ、私は結構です。皆さんで召し上がってください」
「そう? じゃあお言葉に甘えて、いただきます」
 紫苑もカウンターにソテーの皿をもうひとつ並べ、食べ始める。ヴィンセントの眉間に皺が寄ったのを見て、ゆかりは店内にニンニクの香りが充満していることに気づく。
「けほっ、おい紫苑。後で消臭剤とか置いて、何とかしろ」
 ミヤも顔をしかめている。
「あっ、ごめんごめん! あぁ、お客様もすみません! 張り切りすぎちゃったなぁ」
 困り顔の紫苑と目が合うと、ゆかりは一緒に笑い合った。
 食事の後、ゆかりはキッチンの洗面所へ歯磨きをしに行った。その時ヴィンセントが安堵したように息を吐いたのを、ミヤは見逃さなかった。

 その後もパーティーを楽しんでいると、いつの間にか雨音が止み、どこからか、がらがらという車輪の音と馬のひづめの音が聞こえてきた。
「そろそろ、おいとまします。迎えが来たようなので」
 ヴィンセントが席を立った。
「紫苑さん、ゆかりさん、ミヤくん。短い時間でしたが、ありがとうございました。とても楽しいひと時を過ごすことができました」
 ヴィンセントは店に入った時と同じように、胸に手を当ててお辞儀をした。
「楽しんでいただけて良かった! お気をつけてお帰りくださいね」
「はい」
 紫苑に見送られながら扉を開ける彼を追って、ゆかりも外に出てみる。そこには立派な黒い馬車が停まっていた。雲の切れ間から覗く満月に照らされ、丁寧に磨かれた車体が鈍く光る。どうやらこの馬車に乗って帰るらしい。
 もうちょっと、彼と話していたかったな。ゆかりは少し寂しさを感じていた。
「それでは、ご機嫌よう」
 別れの言葉を告げると、ヴィンセントは馬車に乗り込もうとして、おもむろに振り向いた。
「ゆかりさん」
「はっ……はい!」
 名前を呼ばれてどぎまぎしているゆかりをじっと見つめ、彼はこう誘いかけた。
「良かったら、私と一緒に来ませんか?」
 その瞬間、なぜか頭がぼうっとして、何も考えられなくなった。できることなら彼ともっと話していたい。いっそ、ずっと一緒にいたい。
「……はい……行きます……」
 手を差し伸べるヴィンセントへふらふらと近づき、ゆかりは迷わずその手を取る。そして促されるまま、馬車に乗り込んだ。
「え……ゆかり? ちょっと」
「待て、ダメだ! 今すぐ降りろ!」
 紫苑とミヤの制止も虚しく、黒い扉が閉められる。馬車は暗闇の中へ走り出した。

 馬車の中でも、ゆかりはぼうっとしていた。なぜかは分からないが、とても幸せな気分だ。身体に力が入らない。
「大丈夫?」
 ヴィンセントがそっと抱きしめ、優しく頭を撫でてくる。
「う……ん」
 ゆかりは頷いた。全く大丈夫ではないし、何かがおかしいとは思っているのだが、彼にじっと見つめられると、全てがどうでも良くなってしまう。
 再びゆかりの首筋に、ヴィンセントの唇が寄せられた。肌に吐息がかかる。多幸感に意識がふわふわと薄れゆく中、ふと、微かに何か尖ったものが首筋にあてがわれるのを感じた。

「ゆかりーっ‼︎」
 突如、窓から一匹の猫が飛び込んできた。たまらず御者が手綱を引き、馬車が停まる。
「ミヤくん⁉︎」
 我に返ったゆかりは目を丸くした。
「……邪魔が入ったか」
 ヴィンセントはミヤを睨みつけ、首輪を掴んで持ち上げた。ミヤの体は宙吊りになる。
「たまには猫の血も悪くないかな?」
「ぐ……離せっ、この!」
 抵抗するミヤの様子を、ヴィンセントはにやにやと見つめている。
「ヴィンセントさん……? な、何やって……!」
「では、お望み通りに」
 彼は馬車から降り、ミヤを路上に手放した。
「ミヤくんっ……きゃあ⁉︎」
 ゆかりも馬車から降りてミヤに駆け寄ろうとしたが、後ろから強く腕を掴まれ引き寄せられた。右肩に回された手は不気味なほど青白く、生気が感じられない。
「は、離して……!」
「安心しなさい。大人しく良い子にしていれば、何も危害は加えない」
 ゆかりの耳元で甘ったるい声が囁く。今まで紳士的だった彼とは、まるで別人のようだ。恐る恐る見上げれば、薄い唇の奥から鋭い牙が覗いている。
「ひっ……」
 ゆかりが息を呑むと、その口元には歪んだ笑みが浮かんだ。
「早くそいつを離せ!」
 ミヤが毛を逆立てて威嚇する。ヴィンセントは挑発するように、人質の頭を撫でてみせた。
「私の邪魔をしに来たのなら、すぐに立ち去った方がいい。君の行動が、このお嬢さんの命運を分けることになるのだから」
「お前……ゆかりに何をする気だ」
「城に連れて帰り、夕食として頂こうと思っている。あぁ、もしくは……『眷属』になっていただくという手もあるがね」
 ゆかりは愕然とした。必死に抵抗するが肩を掴む指の力が強く、どうしても逃れられない。ゆかりの耳元で、再び甘ったるい声が囁く。
「そう怯えることはない……貴女が望んだ通り、『ずっと一緒に』いてあげよう」
「のっ、望んでない‼︎   お願いだから離して‼︎」
「おやおや、さっきまではあんなに幸せそうな顔をしていたのに」
 ヴィンセントはゆかりの顎を掴んで、顔を上げさせた。
「もう一度、あの愛らしい顔を見せておくれ」
 肩を掴む手が離れたかと思うと、長い爪の先が近づいてくる。身構えて目を瞑った瞬間、つ、と頬をなぞられる。
「っう……ぅ」
「その顔も愛らしいな。貴女によく似合う」
 吸血鬼の声が嗤う。
「クズが……ゆかりに触るな!」
 ミヤは飛びかかろうとしたが、ヴィンセントがゆかりの首筋に噛みつこうとするのを見て、歯ぎしりをしながら後ずさった。ヴィンセントは楽しげに笑みを深め、かたかたと震えるゆかりの顔を覗き込む。
「さぁ、ゆかり。一緒に城に帰ろう」
 血のように赤い瞳がゆかりをじっと見つめた。今度は絶対に惑わされまい。そう意識していても、徐々に力が抜けていく。
 今ここで催眠にかかってしまえば、間違いなく殺される。たとえ命を奪われなかったとしても、吸血鬼に変えられてしまうだろう。嫌だ。何とかしなきゃ。何とか逃げ出さなきゃ。
 意識が揺らいでいく中、ゆかりは必死に考えを巡らせていた。

「しっかりしろ! そいつはお前を殺す気だ、惑わされるな‼︎」
 ミヤの叫ぶ声も、ゆかりにはもう聞こえていないようだった。ヴィンセントに連れられ、ふらふらとおぼつかない足取りで、馬車に乗り込もうとする。
「ゆかり! ダメだ! 行くなーっ‼︎」
「無駄だよ。この子は私と共に来ることを選んだ。彼女が心から望んでいるのだから、こちらも喜んで望みに応えなければね……それではご機嫌よう、猫くん」
 ヴィンセントがそう言い放ち、嬉しそうにゆかりを抱きかかえて馬車の座席に座った、その時。

バチン‼︎

 ゆかりの手のひらが、思いっきりヴィンセントの頬を叩いた。
「なっ……」
 ヴィンセントが目を丸くしているうちに、ゆかりは馬車から降り、自分を捕まえようとする吸血鬼の鼻先で勢いよく扉を閉めた。急いでミヤの元へ駆け寄る。
「ゆかり⁉︎    正気に戻ったのか」
 ミヤが驚いて聞く。
「ううん……ずっと、正気だったよ」
 息を整えながら答える。
 ヴィンセントが催眠をかけた時、ゆかりは必死に正気を保ち、あたかも完全に催眠にかかってしまったかのような演技をしていた。そしてヴィンセントがすっかり油断している隙に、その頬にビンタをお見舞いして逃げてきたのだ。
「うまくいって、良かった……でも、なんでビンタなんかしたんだろう」
 馬車の中で気絶しているヴィンセントを見やりながら、首をかしげる。
「お前の意思でやったんじゃないのか」
「だって私、あの人が油断した隙に逃げようと思ってただけで……なんか勝手に手が出ちゃって、おかげで無事に逃げられたんだけど……」
 ゆかりは微笑んだ。
「ミヤくん。ありがとう。助けに来てくれて」
「……お前がいなくなったら紫苑が寂しがるから、仕方なく来ただけだ」
 ふん、とミヤはそっぽを向く。
「……とにかく、早く帰るぞ。紫苑や親が心配しているだろう」
「うん」
 ゆかりとミヤは、並んで夜道を歩き出した。

 その頃、ヴィンセントは馬車の中で目を覚ましていた。
「……もう、行ってしまったのか」
 彼は少しの間物思いにふけり、ふっと微笑む。そして馬車から降りて御者の元に歩み寄ると、指示を出した。
「引き返してくれ」

 ゆかりとミヤが店に戻って来ると、紫苑が心から安心した顔で出迎えた。
「ゆかり! 良かった……心配したんだよ!」
「心配かけてごめんなさい……」
「本当に、無事で良かった」
 紫苑はゆかりを抱きしめる。
「まったく。世話の焼ける奴だ」
 ミヤがため息を吐く。
 気がつくと、紫苑のそばには、五人の美しい女性たちが立っていた。皆、華やかなドレスを身に纏っている。
「あの、紫苑さん……この人たちは……?」
 首を傾げるゆかりに向かって、女性たちは優雅にお辞儀をしてみせた。
「ヴィンセント・ジル・レジーの妻です。この度は、うちの夫が大変ご迷惑をおかけしまして……申し訳ございません」
女性の一人が頭を下げると、もう一人が憎らしそうに声を荒らげた。
「ほんっと変わらないわね、あの女たらし……しかも、こんなに若い女の子にまで手を出すなんて!」
 そうよそうよ、と他の三人も頷く。
「ゆかりちゃん」
 最初に口を開いた女性がゆかりに歩み寄り、語りかけた。
「私たちもあの男に騙されたのよ。だからどうしても助けたくて……一瞬だけあなたの身体を借りて、あの男にビンタを食らわせてやったの。怖い思いをさせてしまって、本当にごめんなさいね」
「……え? 身体を借りる? ビンタ?」
 驚いて女性たちをまじまじと見つめたゆかりは、彼女たちの体が薄らと透けているのに気がついた。
「あ、そうか……」
 合点がいったゆかりに、紫苑が説明する。
「ヴィンセントさんはね、上流階級の女性と結婚を繰り返してたイギリスの侯爵だったんだって。でも彼は自分の財産を増やすために、自分と結婚した女性を次々に殺害して、地下室に遺体を捨てた……そして亡くなった後も吸血鬼になって、若い女性を狙って、血を吸ってるらしいよ」
 ゆかりは愕然とした。まさか生前に自分の妻を五人も殺害していたなんて。自分が、そんな恐ろしい男の標的になっていたなんて。
「あいつも少しは懲りたと思うんだけど……もしまた狙われるようなことがあったら、これを使ってちょうだい」
 女性たちはゆかりに、銀で作られた十字架のペンダントを渡した。
「やっぱり、吸血鬼には十字架が効くんですか?」
「もちろんよ。私たちの思いもしっかり込めておいたから、効果が強くなってると思うわ」
「ありがとうございます!」
「こちらこそ! では、私たちはそろそろお暇いたしますわ」
 ご機嫌よう、と女性たちはお辞儀をして、溶け込むように消えていった。
「いやぁ、今日はいろいろと忙しいハロウィンパーティーだったねぇ」
 紫苑が言うと、ゆかりとミヤが揃って頷いた。
「……そういえば、もうそろそろ帰る時間じゃない?」
「え?」
 紫苑に預かってもらっていた鞄からスマホを取り出す。ロック画面の時刻は八時半。ゆかりは慌てて帰り支度をし、紫苑とミヤにお礼を言った。
「今日は、本当にありがとうございました。ちょっと怖かったけど、楽しかったです!」
「私もハラハラドキドキして楽しかった。気をつけて帰るんだよ。ミヤ、ゆかりを送って行ってあげて」
「しょうがないな」
 ミヤはあくびをしながら、ゆかりと一緒に店の外に出た。

「おふたりでお出かけかな?」
 店を出たゆかりとミヤの耳に、聞き覚えのある甘ったるい声が入ってきた。振り向くと、雑居ビルの屋上に、背の高いシルエットが佇んでいる。
「ヴィンセント……さん……⁉︎」
 黒いマントが生温かい風にはためく。ヴィンセントはゆかりを見て、妖しく微笑んだ。
「来年のハロウィンパーティーは、ぜひとも最後までご一緒したいものだ」
 意味深な台詞にぞっとする。
「こ、来なくていいです……じゃあ私、もう帰るから……」
 おや、もう帰ってしまうの、とヴィンセントは悲しげな顔をしてみせる。
「それは残念……もう少し、貴女と話していたかったのに」
 きっと生前の妻たちにも、このような台詞をたくさん囁いていたのだろう。彼は生者ではないのに、人ではなくなっているのに、自分の命を狙ってきた恐ろしい相手なのに。内心、ちょっぴりときめいてしまっているのが悔しい。
 複雑な気持ちでいるゆかりに、ヴィンセントは心配するように声をかけた。
「夜道は暗いから気をつけた方が良い。だって、ハロウィンはまだ終わっていないのだから」
 そこで言葉を切ると、ヴィンセントはわざと歯を見せて笑った。月明かりに照らされ、長い牙がぎらりと光る。ゆかりは思わず息を呑んだ。
「油断していると、悪霊にどんなイタズラをされるやら……」
 吸血鬼はくつくつと笑いを漏らす。
「この野郎……そんなことは絶対にさせんぞ」
 ミヤが毛を逆立てて威嚇する。
「おっと、失礼。軽いジョークのつもりだったんだが……本気にさせてしまったかな? まぁ、貴女をお連れしようにも、小さな騎士が守っているから、そう簡単に手は出せないがね」
 どこか挑発的に言うと、彼はゆかりを見て愛おしそうに目を細めた。
「それではご機嫌よう、諸君。ぞっとするような夜を楽しんで……」
 ヴィンセントは優雅にお辞儀をした後、黒いマントを翻して消えた。
「……とんでもない奴に気に入られたな」
「う、うん……」
 ゆかり達は揃ってため息をつく。
 どうか、来年のハロウィンパーティーは怖いことが起きませんように。ゆかりはそう願うしかなかった。

                〈おしまい〉

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