【小説】ある駅のジュース専門店 第19話「連結①」
「あの、すいません! 森越さんと井田さん、ですよね」
昼休み。親友の井田と大学の食堂に向かっていると、前から歩いてきた人に声を掛けられた。淡い青色の半袖Tシャツに、黒い長ズボンといった装いの青年だった。
「は、はい。そうですけど……」
「突然すいません。俺、八坂っていいます。前にお二人が『ある駅のジュース専門店』に行ったことがあるとお聞きしたので、ちょっとご相談したいことがあって……もし良かったら、授業が終わった後にでも聞いていただけませんか?」
俺と井田は顔を見合わせる。
「今日、何時間目まで?」
「僕は三時間目までだけど……」
「俺も」
「その後用事は?」
「特に無い」
「じゃあ、三時間目の後でも大丈夫ですか?」
「はい! 大丈夫です……ありがとうございます!」
八坂というらしいその人は、ほっとしたような笑顔を見せた。
「じゃあ、三時間目の後、食堂で待ってます」
「分かりました」
「授業終わったら、食堂行きますね」
そう言葉を交わし、俺たちは八坂さんと別れた。
三時間目の終わりを告げるチャイムが鳴る。ノートやペンケースを鞄にしまい、俺たちは食堂へと向かった。
この時間帯に食堂を使う人は少ない。扉の奥を覗き込むと、座席にぽつんと座り、スマホをいじっている八坂さんが見えた。他に人がいなかったので、扉を開けて声を掛ける。
「こんにちは」
「あ、こんにちは! 来てくださってありがとうございます。どうぞ、座ってください」
八坂さんは軽くお辞儀をして、真向かいの椅子に座るよう促した。失礼します、と言って席に着く。
「昼休みは突然声を掛けてしまってすいません」
「いえいえ」
「あの、相談というのは……?」
「……今日ご相談したいのは、俺の、友人のことなんですけど……」
八坂さんは、思い詰めた表情で話し始めた。
八坂さんは俺たちと同じく一年生で、友人と一緒に日本史を学んでいる。その友人、渡貫さんとは同じオカルト好きということから意気投合したという。
「二人とも、怪談や都市伝説が好きだったので……今からもう、一ヶ月前になりますね。一緒に駅に行って、『ある駅のジュース専門店』が本当にあるかどうか、確かめようとしたんです」
「ある駅のジュース専門店」とは、最近巷で急激に流行している都市伝説のこと。「きさらぎ駅」や「かたす駅」「やみ駅」などのように、この世に存在しないはずの「異界駅」にまつわる噂である。
電車に乗っている時に降りる駅を乗り過ごすと、見知らぬ寂れた無人駅に辿り着く。その駅の名前は全く読めず、携帯電話の電波も繋がらない。構内に入ると鮮やかなネオン看板を掲げたジュース屋があり、黒いマスクを付けたミステリアスな店員に接客される。そして迷い込んだ人がジュースを飲んで、ホームにやって来た電車に乗って無事に元の世界に帰ってくる、というのが代表的な内容である。しかし、八坂さんと渡貫さんが体験した内容は、少し異なっていた。
「駅には辿り着けたんですけど、肝心のジュース専門店が開いてなくて、シャッターが閉まってるんです。それで、仕方ないから帰ろうってホームに戻ろうとしたんですけど、宗也が……友人が、シャッターに向かって動画を撮り始めたんです」
元の世界に帰った後、八坂さんが動画を撮った理由を聞いたところ、渡貫さんは「シャッターの奥から誰かの会話が聞こえていたため、興味本位でスマホを構えた」と語っていたそうだ。
「でも、宗也はその動画をなかなか見せてくれなかったんです。なんでだよって聞いたら、誰にも見せてないはずなのに、ネットにいつの間にか動画が公開されてたって話してて……あ、その時に宗也が送ってくれた画像、見せますね」
八坂さんは画像を表示したスマホの液晶画面を見せてくれた。そこにはSNSの投稿をスクリーンショットしたものが写っており、「ある駅のジュース専門店からのお知らせです。広めてください」という文章とともに、一本の動画が添付されていた。
「この動画って、まだ観られますか?」
「観られると思います。物凄い勢いで拡散されてたので……宗也も怖がってました」
実際の投稿を見られるならこの目で確認したいと思い、スマホを取り出してSNSでアカウント名を検索しようとすると、「あ、ちょっと待ってください」と止められる。
「もう、ここに写ってるアカウント名じゃ無くなってるんです」
「渡貫さん、アカウント名変えたんですか?」
「……は、はい。まぁ……」
八坂さんは何かを隠すように言い淀み、視線を外した。
「どうか、されました?」
井田が不思議そうに尋ねる。
「……実は、そのアカウント名のことなんですけど……」
そう言って、再び液晶画面を見せてくれる。そこには渡貫さんとやり取りしたメッセージが表示されていた。
「今さ……通知がずっと止まらないんだよ。あの動画にたくさん反応付いて拡散されてる。お前に送らなくて良かったけど……これ、どうしよう。勘弁してくれよ……どうすれば良いんだよ……削除って押しても消えないし、なんか、アカウント名も変えられ」
「どうした? 宗也」
「おーい」
「宗也?」
「ジュース専門店【⬛︎ヶ2乃#:】の公式アカウントをつくりました。貴方も拡散よろしくお願いします」
「ジュース専門店【⬛︎ヶ2乃#:】からのお知らせを公式アカウントで発信しています。貴方も拡散よろしくお願いします」
「ジュース専門店【⬛︎ヶ2乃#:】からのお知らせを公式アカウントで発信しています。貴方も拡散してみませんか?」
「ジュース専門店【⬛︎ヶ2乃#:】からのお知らせを公式アカウントで発信しています。貴方も拡散してくれませんか?」
「うわっ……」
思わず声を出してしまった。最後の方のメッセージは、渡貫さんの方から一方的に送られてきている。宣伝めいた文面が続けて並んでいて、文末が少しずつ変わってきているのも不気味だ。そして何より気になるのは、「ジュース専門店【⬛︎ヶ2乃#:】」という部分。
「あの、八坂さん。この『ジュース専門店』っていうのは……」
「たぶん、『ある駅のジュース専門店』と何か関係があるんじゃないかと」
「渡貫さんは、なんでこんなメッセージを送ってきたんだろう……」
「分かりません。この宣伝みたいなメッセージが何度も来てて、普通の、普段の宗也のメッセージはまだ来てないんです。しかも、あいつ、最近会わないなと思ったら大学休んでるみたいで……」
「えっ」
「休んでるんですか?」
「はい。メッセージもさっきお見せしたような宣伝っぽいものばかり送られてきて、電話を掛けても出ないし、すごく心配で……あの、自分勝手でほんとに申し訳ないんですけど、もし良かったら……なんで宗也のメッセージがこんな感じになったのか、『ある駅のジュース専門店』とどんな関係があるのか、調べて欲しいんです」
よろしくお願いします、と八坂さんは勢い良く頭を下げる。自分が何か役に立てるのなら、力になりたい。俺は頷いた。井田も、隣でしっかりと頷いていた。
「俺たちで良ければ、ぜひ」
「僕も『ある駅のジュース専門店』については詳しく調べてみたかったんです。ぜひ、ご協力させてください」
「あ、ありがとうございます……!」
嬉しそうな声を聞いて、俺たちは微笑んだ。
「それにしても、俺たちがあの駅に行ったこと、結構広まっちゃってるんだな……」
「そうだね……僕もびっくりした。噂って、思ったよりも早く広まるんだよね」
八坂さんと別れ、二人で喋りながらバス停に向かっていると、既にバスが停まっているのが見えた。
「やべ、もう来てるじゃん」
駆け出そうとすると、「待って」と井田が引き止める。
「まだバスが来る時間じゃないよ」
「え? でも、もう……」
言いながらバスの方を振り向いた俺は、目を見張った。
表示されている行き先が読めない。漢字らしき文字が三つ並んでいて、一番右端の文字が「駅」ということしか分からない。だが、この三文字にはひどく見覚えがあった。
呆然と見つめていると、ブザーが鳴って、バスの乗降口の扉が閉じた。そのままスピードを上げて走り去っていく。
「……あっぶねぇ……ありがとな、井田」
「ううん。なんか、いつもこんな時間にバス来てたっけって引っかかってさ。乗らなくて良かったよ」
もしあのバスに乗っていたら、俺たちはきっと、あの駅にもう一度連れて行かれていたのだろう。以前は無事に帰ってくることが出来たが、今度は無事に帰れるとは限らない。
「……あの駅、バスでも行けるようになったんだな」
「行く手段、電車だけじゃないんだね……最近は『ある駅のジュース専門店』の都市伝説調べてなかったから、知らなかった。今ちょうど流行ってる噂だから、きっと、僕たちの知らない間にもっといろんな話が出てきてるんだと思う。八坂さんのお友達のこともあるし、いろいろ詳しく調べないとね」
「そうだな……」
井田の言葉に頷きつつ、なんだかとても恐ろしいことに関わってしまった気がして、俺は少し、身震いした。
〈おしまい〉