見出し画像

【小説】ある駅のジュース専門店 第12話「カーナビ」

 これは、親友の知樹ともきと一緒に映画を観に行こうとしていた時の話。
 俺は買ったばかりの車に知樹を乗せると、カーナビを操作して映画館へのルートを表示させた。
「二百メートル先、右方向デス」
 カーナビの指示に従ってハンドルを操る。方向音痴なので、こうして的確に道を教えてくれる機械があるのは本当にありがたい。
「知樹、暑くない?」
「大丈夫。クーラー付けてくれてありがと。良いなぁ、自分の車……俺も免許取ろうかな」
「取ろうぜ、自分の車で走れるの楽しいし。しっかし混んでるな……」
「ゴールデンウィークだからなぁ」
「早めに出てきて良かったよな」
 他愛もない会話を交わしながら車を走らせる。
「コノ先、左方向デス」
「え、そっちじゃなくね?」
 カーナビの指示通りにハンドルを切ると、助手席で知樹が不思議そうに言う。
「たぶんこいつなりに良い道を選んでくれてるんだよ。こっちの道の方が空いてるし」
「あ、ほんとだ。でもなんとなく反対だった気が……」
「まぁ、とりあえず従ってりゃ着くだろ」
「そうだな……」
 知樹は納得しきれない表情だったが、俺は気楽にカーナビに従った。

「お、おい。やっぱ違うって」
 出発してから三十分が経った頃、知樹が声を上げた。
「ここどこだよ。こんな寂しい所に映画館なんてねぇだろ……」
 俺は眉をひそめ、いったん車を停めて辺りを見渡した。
 鬱蒼と木々が生い茂る、山の中のような場所。アスファルトで舗装された道には枯れ葉が散らばり、風に吹かれて舞うように転がっていく。車の進行方向、道の向こうには暗いトンネルが口を開けている。いつの間にこんな所まで来てしまったのだろう。
「戻ろう。映画に間に合わねぇって」
「そ、そうだな。ん? ちょっと待って……」
 カーナビを見て、言葉を失った。画面が真っ白で、現在の位置もルートも表示されていない。
「え、壊れ……え? 嘘だろ、買ったばかりなんだけど……」
 一度電源を切ってから入れ直し、再び目的地を入力しても、画面は真っ白のままだ。
「おい、しっかりしてくれよ、こんなところで……と、知樹、スマホで地図見てくれるか?」
「見てるよ。見てるけど……なんかバグってて、こっちも真っ白なんだよ」
 知樹が見せてくれたスマホの画面も、カーナビとほとんど同じ状態だった。
「マジかよ……どうすんだこれ……」
 頭の中でぐるぐると思考するが、解決策は見当たらない。俺たちが頭を抱えた、その時。
「コノ先、トンネルヲ出テ、左方向デス」
 音声と共にカーナビの画面が戻った。ルートもしっかり表示されている。
「良かったぁ……」
 一気に安堵した俺はアクセルを踏み、トンネルの中に入った。
「……本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だろ。こいつがしっかり案内始めてくれてるし、目的地も合ってる。ごめんな、時間取っちゃって」
 明るく言ってみせるが、知樹は不安げだった。
 そしてその不安は、見事に的中してしまうことになる。

 トンネルを出て左方向。カーナビの指示に従っていた俺はおかしなことに気がついた。
「……なぁ、俺たちが観る映画ってさ、昼の一時からだったよな」
「うん……」
「じゃあなんで……なんで、もう夜になってんの……?」
 目の前の光景が信じられなかった。トンネルを出ても暗いままだなと思っていたが、よく耳をそば立てると夜の虫の声が聞こえてくる。道沿いにぽつぽつと灯る街灯の明かりに、だんだんと心細くなる。
「これ、夢じゃないよな。現実だよな……?」
「現実だけど絶対ありえねぇよ、こんなの……」
「知樹、今何時くらい? カーナビに時間写ってなくてさ」
「え……に、二十一時……」
「 二十一時⁉︎」
「しかもこれ、圏外なんだけど……れん、これどういうこと……?」
「俺にも分かんねぇよ! なんだよこれ、怖……と、とにかく戻るぞ」
 今頼れるのはこのカーナビしか無い。何が起こっているのかは分からないが、きっとカーナビの指示通りに走れば知っている道に出られるはずだ。
「百メートル先、右方向デス」
「二百メートル先、左方向デス」
 人気のない夜の道路を縫うように走っていると、民家も何も無い闇の中に、突然真っ白な建物が現れる。
「目的地ニ到着シマシタ」
 その言葉を最後に、カーナビの音声案内は途切れてしまった。
「なんだここ……映画館でも無いじゃん」
 駐車場らしき場所に車を停め、外に出て、建物に近づいてみる。どうやら駅舎のようだ。
「……何駅?」
「分からない。看板の漢字が読めねぇ……そもそも漢字か? これ」
「なんでカーナビの目的地がここになってたんだ……でも、看板に明かりついてるな……人がいるかも。よし、ちょっと行ってみよう」
「え、ここ行くの? 怖いって」
 知樹が怖がっていたが、俺の中でなぜか好奇心がむくむくと膨れ上がってくる。
「行こうぜ」
「ちょ、ちょっと待って。蓮……お前正気か? こんな得体の知れない駅の中入るのか?」
「入らないと人がいるか分かんないだろ」
「そうだけど……おい! 階段登るの早いって! 少しは俺の話聞けよお前! ……はぁ」
 後ろから知樹が渋々といった様子で付いてくる。
「すみませーん! 誰かいませんかー?」
 駅の中は薄暗く、人の気配が全く無い。俺たちの足音や声の他に、水滴の音や、ブレーカーが低く唸る音まで聞こえてくる。自分も静かにしなければならないような気がして、思わず黙り込んでしまう。
 駅には店がたくさんあるようだが、どの店もシャッターが下りていて余計に心細くなった。
「……あれ?」
 前方に鮮やかなネオン看板の明かりを見つけて立ち止まる。
「あ、あの店だけ開いてる……人がいそうだな……」
「行ってみるか……」
「うん」
 俺たちは店に近づいてみた。
 店内にはピンクや紫の照明が垂れ下がり、こじんまりとしたカウンターと椅子があった。カウンターの向こうにはミキサーや積み重なったプラスチックの容器が置かれている。果物のような甘い匂いもする。ここはカフェか何かだろうか。
「いらっしゃいませー」
 唐突に声が聞こえてきて叫びそうになった。カウンターの横、スタッフしか入れない扉の前に、黒いマスクをした背の高い店員が音も無く立っている。店員は赤いシャツに黒いネクタイ、黒いズボンの上にエプロンを巻き、うなじ辺りまで伸ばしたウルフカットの黒髪を片耳に掛けていた。
「あ……すみません、ここって……」
 尋ねようとした声がひどく掠れていることに驚く。
「二名様ですね。どうぞ、お座りください。喉が渇いてるでしょう。最近、暑くなってきましたもんね」
 店員は気怠げな口調で言った。
「うち、ジュース売ってるんですけど……少し休んでいかれませんか?」
「え……」
「ま、まぁ……」
「ちょっと休んでいくか……涼しいし……」
 俺たちは顔を見合わせ、頷いてカウンター席に腰掛けた。
「お客さん方。なんか飲みます? ストロベリーソーダとラズベリーソーダがありますけど」
「うーん……じゃ、ラズベリーソーダひとつ。知樹は?」
「俺はストロベリーソーダで」
「かしこまりました」
 男とも女ともつかない低めの声が心地良く響いた。
 店員の動きに合わせて甘い香りがふわりと漂ってくる。ぼんやりと眺めていると、カウンターの隅に小さなかごが置かれているのに気付いた。かごには腕時計やネクタイやイヤリングなどがたくさん詰め込まれている。
「店員さん、あの……」
「はい」
「この、かごの中のものって……?」
「ああ、それですか? お土産です。良かったらどれでも好きなものを持ってってください。全部無料なんで」
 高そうな腕時計もネクタイも、全部無料なのは凄い。せっかくなので、かごからネクタイを手に取った。座席に戻ってしげしげと眺めていると、隣から「おい」と小声で囁かれる。
「ここがどこか聞くんじゃなかったのか」
 そうだった、すっかり忘れていた。俺はネクタイをズボンのポケットにしまって、ジュースを作っている店員に尋ねた。
「あの……ここって、どこですか? カーナビもスマホの地図も、バグってしまって分からなくて……」
笠岐かさきのすぐ近くです」
「え、笠岐⁉︎」
白淵しらぶちじゃなくて……?」
 笠岐は白淵から三駅は離れている。車で約三十分走っただけでは絶対に辿り着けないはずだ。
 混乱している俺たちの前にジュースが差し出された。考える余地さえ与えないかのようだ。
「ラズベリーソーダとストロベリーソーダです。どうぞ」
「あ……ありがとう、ございます……」
 喉の渇きに耐えられず、ストローに口を付ける。冷たいソーダが舌の上でしゅわしゅわと泡を立て、飲み込むとラズベリーの甘酸っぱい味が残る。
「うまっ……」
 思わず呟いて隣を見ると、知樹も幸せそうな顔を浮かべていた。
「嬉しいです。喜んでもらえて」
 店員の目が、糸のように細められた。

 ジュースを飲み終えると、店員が話しかけてきた。
「お二人は、どうしてこの駅に?」
「実は……映画を観に行こうとして道を間違えちゃったみたいで、気がついたらここに……」
「大変ですね。この辺りって道が結構入り組んでるんで、お客さん方のように道に迷う人が多いんですよ」
「そうなんです……ね……ん……」
 店員と話しているうちに、急に強い眠気が襲ってきて、瞼が重くなった。ここに来られて安心したからだろうか。それとも。
「ぅ……」
 必死に抗おうとしたが、とうとう意識が飛ぶ。カウンターに倒れ込んで目を閉じる瞬間、店員が口元のマスクに手を掛けたような気がした。

 目を覚ますと頭痛がする。どれくらい寝てしまっていたのだろう。
「う……ん?」
 辺りを見回して気付いた。知樹がいない。
「あれ? 知樹……?」
 カウンターで容器を洗っている店員に尋ねてみる。
「あの、一緒に来てた友達、どこ行ったか知りませんか」
「あぁ、ご友人なら、もうお帰りになりましたよ」
「え、帰ったって……」
 そんなはずはない。見知らぬ場所に来てあんなに不安そうにしていたのに、一人で帰るなんてことは絶対にしないはずだ。
 腑に落ちないまま、何気なく店員から視線を外すと「お土産」が入ったかごが目に入った。かごの中には腕時計、イヤリング、ヘアピン、お守り。
 その中に、先ほどまでは無かったはずの「お土産」があった。見覚えのあるケースに入った、見覚えのあるスマホ。
「……知樹の」
 背筋が冷たくなった。なぜかは分からないが、知樹に何かあったのではないかと直感する。
「お客さん。どうされました?」
 びくりとして振り向く。カウンターにいたはずの店員が、いつの間にかすぐ後ろに立っている。
「……知樹は……どこですか」
 声が震える。きっと、怖がっているのを勘付かれてしまったのだろう。店員は目を細めた。
「どこだと思う?」
 気怠げな声が、妙に艶めかしさを帯びる。俺は店員の顔を見ながらゆっくりと後ずさった。
「最初は一人だけでも良いかと思ってたけど、やっぱりまだ腹に入りそうだしなぁ……」
 後ずさるのに合わせ、店員も近づいてくる。
「……な、何言って……知樹を……知樹をどこにやったんですか……」
 店員はくすくすと笑い、見せつけるように黒いマスクを外した。頬いっぱいに広がった血管のような網目模様。吊り上げられた唇が開き、鋭い牙が覗く。その口がゆっくりと動いて音を発した。

「知樹くんはねぇ、もう、はらのなか」

 すぐさま駐車場へと走った。
 あいつは人間じゃない。知樹が喰われた。でもそんなこときっとあり得ない。でも実際に知樹のスマホがあそこにあった。そして、次は自分……様々な思考が渦巻いておかしくなりそうだった。
 車のドアを開けて乗り込み、エンジンのボタンを押した。しかし、肝心な時に限ってエンジンがかからない。
「なんで……なんでだよっくそ……」
 悪態をつきながら何度もボタンを押す。ふとバックミラーに何か赤いものが映っているのに気づき、目を凝らす。
「……!」
 あいつが追ってきていた。車の後ろから悠々と歩いてくる。窓を閉じているはずなのに、あいつの声がはっきりと聞こえてくる。
「酷いじゃないですかぁ、お友達を犠牲にして一人で逃げ出すなんて。知樹くんきっと悲しみますよぉ? 怖い、怖いって震えて泣いてたからねぇ」
 聞こえないふりをしても耳を塞いでも大声で叫んでも、あいつの声が鼓膜に流れ込んでくる。
「酷いねぇお前は。大事なお友達を裏切ったんだから」
「ぁぁぁあもう黙れ! 黙れ‼︎ くそっ!」
 俺はもう発狂寸前だった。
 何かを引きずるような音が外から聞こえ、車の窓を見ると、窓がみるみるうちに大量の植物のツルのような触手で覆われていく。そして車がゆっくりと持ち上げられる。ぎしぎしと不穏な音が響く。
「やめろっ……やめろぉおおおお」
 ハンドルにしがみついて叫ぶと、愉悦そうな笑い声が聞こえた。
「お前も来い。知樹くんだってそう願ってるよ」
 何本もの触手が巨大な蛇のように巻き付き、車が大きくきしむ。このままじゃ壊れる。あいつはきっと、車を潰してから俺を引きずり出して喰うつもりなのだろう。
 ああ、もう終わりだ。ごめんな知樹、自分だけ逃げようとしてしまって。俺も、もう、死ぬから……。
 ハンドルから手を離して天を仰ぐ。バックミラーから、あいつが唇を吊り上げてほくそ笑むのが見えた。

 突然ボタンが光り、エンジンがかかる。
「⁉︎」
 慌てて顔を戻す。あいつにとっても予想外だったようで、車に巻き付いていた触手の力が一瞬、緩んだ。今だ、とハンドルを握ってアクセルを思い切り踏む。
「チッ」
 小さく舌打ちが聞こえたが、素知らぬふりで駅から遠ざかっていく。
 どうしてボタンが急に反応したのかは分からないが、とにかく無事に脱出できて良かった。
 一応あいつが追ってきていないか確認しながらカーナビで自宅へのルートを設定し、元来た道を戻っていく。
 不思議なことに、あのトンネルを抜けて山道まで戻ってくると昼間になっている。あいつがいる空間だけ常に夜なのだろうか。
 現在は昼の一時。映画が始まる時間だが、もう映画館に行く気力など全く無い。もしここでまたカーナビが壊れたらと不安になったが、もう壊れることも無く、無事自宅まで辿り着くことができた。
(こ、怖かった……)
 あの体験はきっと、どんなホラー映画よりも脳裏に焼き付いて離れないだろう。だが今は、今日酷使した身体をゆっくり休めたい。そして親友をしっかりと弔いたい。
 車を停め、エンジンを切ろうとボタンに手を伸ばす。すると、カーナビから音声が流れた。

「またのご来店、お待ちしてます」

 あいつの声だった。
 それ以来、このカーナビは一切使っていない。

                〈おしまい〉

いいなと思ったら応援しよう!