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【小説】『テオ』第5話

 俺は思わず、息を呑んだ。
 その絵に描かれている人物は、テオそのものだった。
「あいつが、絵から抜け出してきてたってことか……?」
 とてもにわかには信じられないが、テオが絵の中の人物だと考えると、全ての違和感に納得がいくのだ。住所や電話番号を教えてくれなかったのも、小学生のままの姿を目撃されていたのも、長袖のシャツを着ているのに暑がる素振りを見せなかったのも、全て。
「……そういうことになるね」伊藤先輩が頷いた。
「でもさ、なんか全然怖くないよな。ありえないことが起きてるのに」
 竹村がそう言うと、井田がぽつりと呟いた。
「きっと、座敷わらしとか、ケセランパサランみたいな感じなんだよ。夏休みの間に絵から抜け出して、一緒に遊んで幸せな思い出を作ってくれる、優しい子なんだよ」
「そうなのかな……」
「きっとそうだよ」
 俺たちは麦茶を飲み干した。いつの間にか居間には西日が差し込み、風鈴の音と蝉の声だけが遠く響いていた。

「じゃあ私、そろそろ帰るね。急に来ることになったけど、ありがと!」
「いえいえ、こちらこそ。ありがとうございました!」
「お気をつけてー!」
 先輩は玄関で軽く頭を下げ、引き戸を閉めて去っていった。

 俺たちは井田の家を出て、もう少しだけ思い出巡りを続けることにした。来た道を戻り、別の裏道を曲がっていくと、遊び慣れた公園に到着した。
 もう夕方だからか、公園で遊んでいる子どもはいない。砂場には誰かが完成させた洞窟が残され、ところどころペンキの剥げた滑り台はどこか寂しく見える。
 きいきい、と金具が擦れる音。振り向くと、ブランコを漕いでいる懐かしい親友の姿が目に飛び込んできた。
「……テオ?」
 テオはブランコの動きを止め、こちらに顔を向けた。大きな瞳がぱっと輝いた。
「コウちゃん、ユウちゃん、ハルちゃん」
 そして俺たちのところに駆け寄ってきて、満面の笑顔で言った。
「久しぶり。大きくなったねえ」

 その言葉を聞いた瞬間、なぜか胸に熱いものが溜まってくる。
「お前……全然、全然変わってないじゃん」
「どうして絵の中からこっちに来てたの?」
 井田が聞くと、テオは目を丸くした。
「……知ってたの?」
「さっき知ったんだよ」
「そっか……僕ね、学校にみんながいる時はいつもみんなの声を聞いてたんだ。廊下を楽しそうに走る音、チョークの音、みんなの笑う声。でも夏休みに入るとみんなの声が聞こえなくなって、ちょっと寂しくて。でも、夏休みの間にこっちに来てみたら、まだ見たことないものがいっぱいあって……なんだか、こっちの方が楽しくなっちゃったんだ」
「じゃあ毎年、夏休みの間はこっちに来てるの?」
「うん。来るたびに新しいお家が建って、だんだん遊んだ場所が無くなっていくのは寂しいけど……新しい友達いっぱいできるし、たまに久しぶりに会える子もいるから。今日もコウちゃんたちに会えて、とっても嬉しい」
 その時俺は、テオに出会った人が「幸せになれる」といわれている理由がなんとなく分かった気がした。
「あ、もう日が暮れちゃう……帰らないと」
 テオが公園の時計を見上げる。
「俺たちもそろそろ解散するか」
「そうだね」
 俺たちはテオの方に向き直った。
「じゃあな、テオ……あっ」
「どうしたの、コウちゃん」
「実は今日、俺たちだけで文具店と井田の家に行ってきたんだ。また来年の夏、会えたら……テオも一緒に、遊びに行こう」
「うん!」テオが頷く。「絶対、会いに行く。絶対、一緒に遊ぼうね!」
「……でも、そしたら待ち合わせ場所はどうしようか」
 井田が尋ねると、竹村は「あそこしかないだろ」と笑った。そして、瞬く間に来年の遊ぶ約束が決められたのだった。
「じゃあ来年の夏休み、校門前に朝十時な!」
「オッケー!」

                 〈おしまい〉

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