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【小説】ある駅のジュース専門店 第48話「玉村誠一の手記」

 あれは昭和五十年、湿った梅雨の時期だった。
 私の父、玉村善之たまむらよしゆきは、温室に新しく植える植物を買いにホームセンターへ行った。そこで買ってきたのが、サラセニアという食虫植物だった。
 当時小学生だった私は、父が見せてくれたサラセニアにおそるおそる顔を近づけた。食虫植物と聞くと、どこか獰猛で恐ろしいイメージがあったからだ。植物でありながら寄ってきた虫を捕らえ、ついには消化して養分にしてしまう。こんな怖い植物を自分の家で育てて良いのか。そう考えて、びくびくしていたのだと思う。
 しかし、赤い網目模様が広がる捕虫葉をじっと見つめているうちに、いつの間にか魅了されてしまっていた。綺麗だろう、と隣で父が微笑む。父もこの網目模様の美しさに惹かれて買ったのだという。ちょっと怖いけど、こんな綺麗な模様が家の温室で見られるのは嬉しい。私はサラセニアを受け入れることにした。
 父と私はさっそく温室に行って、水を溜めたバケツと植木鉢を用意した。植木鉢にふかふかの土を敷いて、サラセニアを植えた。この土は地元の晒根町さらしねちょうでとれたもので、鉄分が他の土より多いため植物が育ちやすいらしい。実際、このサラセニアは驚くほどよく育っていたから、もしかしたらこの土の成分が関係しているのかもしれない。
 温室で新しい植物を育て始めてから一年。冬を越したサラセニアは血のように赤い花を咲かせ、捕虫葉をどんどん伸ばしていった。そして最終的には私や父の背を通り越し、五メートルくらいにまで生長してしまった。
 たった一年で急に自分より大きくなったので、私は怖くなって、温室にあまり行かなくなった。でも父は、梯子はしごに上って優しく声をかけながら、捕虫葉に集まるアブラムシを取っていた。当時はなぜ怖がらないのか不思議で仕方なかったが、今思えば、大切に育てたサラセニアがここまで生長したのが嬉しかったのだろう。
 そのうち、近所の人たちが珍しがって、巨大なサラセニアを見に来るようになった。私が学校に行っている間、テレビの取材まで来ていたらしい。生でテレビカメラやスタッフさんを見られる機会を逃したのが悔しくて、父が仕事から帰ってくると、スタッフさんの様子はどうだったか、アナウンサーに何を聞かれたかなどと質問攻めにした。優しい父は質問にできる限り答えてくれた。私は父の話を聞きながら、自分の家で育ったサラセニアが注目を浴びているのを、とても誇らしく思った。
 その後もサラセニアは枯れる様子もなく、温室の奥で静かに佇み続けていた。天井に届きそうなほど背の高い捕虫葉の中を覗くと、ハチや蛾や、よく分からない羽虫が消化液の中で何匹も溺れ死んでいるのが見えた。たまに葉の中から、ぶぶ、ぶぶぶ、と苦しげな羽音が聞こえることもあった。いくら虫たちがもがいても、この巨大な食虫植物は気にせず消化していくんだろうなと考えると、恐ろしかった。いつか、人間さえも簡単に喰ってしまいそうな気がしたから。

 サラセニアが家に来てから二十九年後の、二〇〇四年五月。私が四十歳になった年。
 ちょうどゴールデンウィークの時期だったので、私は両親と共に三日間の旅行に出かけた。家を空ける間、サラセニアが枯れないか心配になって父に尋ねると、父は優しく微笑んだ。あの子は暑さも寒さも平気だし、バケツに水をたっぷり注いでおいたから大丈夫だ、と言って。
 その頃の父はもうだいぶ歳をとっていたが、植物への愛情は全く変わらず、母に「ほどほどにしなさいよ」と呆れられていた。小さい頃からこんな感じなので、父と母のやり取りを見ていると、とても安心できた。
 三日間の旅行をめいっぱい楽しんで、お土産をたくさん積んだ車で我が家に帰ってきた時。なぜか、妙な胸騒ぎがした。玄関の扉の鍵が開いている。
 家の中に足を踏み入れると、棚の引き出しという引き出しが開いていて、中に入っていたものが床に散乱していた。私たちの留守中に、泥棒が入ってきて荒らしたのだ。
 何か盗まれた物が無いか、父は温室の方へ確認しに行った。家の中を調べていると、母ががっくりと肩を落とした。貯めていたへそくりが盗まれていたのだ。とりあえず荒れた部屋を元通りにして、後で警察に被害届を出しに行こうと話し合った。
 だが、父が何時間経っても戻ってこない。荒らされた温室を片付けているにしても、こんなに時間がかかるものだろうか。私は温室を見に行った。
 温室には荒らされた形跡は無かった。だが、サラセニアの植木鉢の前に梯子が倒れていた。梯子は旅行の前には出されていなかった。嫌な予感がした。
 私は梯子を上り、巨大な捕虫葉の中を覗き込んだ。甘ったるい香りの奥から、金属みたいな匂いが鼻を突いた。葉の中に溜まった消化液には、ついさっきまで父が着ていた服や靴や靴下が浮いていた。よく目を凝らすと、父のものではない、若者が着るような服も浮いていた。消化液がやけに赤黒く色付いているのが分かった。
 すぐさま梯子を下りて母を呼んだ。何とか気持ちを落ち着かせ、母と共にもう一度確認すると、サラセニアの捕虫葉に小さく傷が付いているのに気づいた。木こりが斧で木を切りつけたような傷。たぶん泥棒がやったのだろう。サラセニアを切って無理やり植木鉢から引き抜き、どこかに売るつもりだったのかもしれない。そこからどうやって捕虫葉の中に落ちたのかは、よく分からないけれど。
 その後は警察に事情を話して、窃盗の被害届を出した。さすがに捕虫葉の中から父を引き上げることはできないので、葬儀は温室で行って、そこにお墓を建てることにした。まさか父がこんな風に亡くなるとは、誰も思っていなかった。
 今でも父のお墓へは毎日足を運び、水やお供え物をあげているが、正直あまり気が進まない。父が大好きな場所と、父が亡くなった場所が、ぴったり重なってしまったからだ。温室に行けば父に会える気がして、向かってみれば、嫌でも父のお墓が目に入る。父がもうここにはいないという現実を、いい加減受容しろと言われている気分になる。
 父を喰ったあのサラセニアは、今から六年前に温室から姿を消した。あれほど大きな植物を、植木鉢を残して誰かが持ち去ったとは考えにくい。非常に非現実的な話だが、私は、あいつが自分で温室を抜け出したんじゃないかと思っていた。そして、どうやらこの考えは当たっていたらしいということが、去年の秋頃に分かった。

 サラセニアに父を喰われ、母も病気で亡くし、繰り返される日常に嫌気がさして、電車に乗った。どこでも良いから、自宅から遠く離れた場所へ行きたかった。あの日のことを忘れたかった。でも、私を乗せた電車は、忘れたいものの一番近くに辿り着いてしまった。
 見知らぬ無人駅で待っていたのは、あのサラセニアの化け物だった。どうやら温室を抜け出してからは人の姿になって、駅に迷い込んだ人間を喰い漁っていたらしい。そして、今度は私に狙いを定めて招き寄せたのだと、そいつは愉悦そうに語った。
 絶望した。あの日のことを忘れられないなら、いっそ、この化け物に喰われてもいいと思った。だから、今ここで自分を喰ってくれと頼んだ。でもそいつは頷いてくれなかった。一生忘れずにいろと囁いてきた。どうしても喰ってほしいなら自分の噂を広めろ。そうしたらいつか喰ってやる。そう言って、私を絶望の淵に縛り付けた。
 自宅に帰った後、私は化け物の言葉を信じて、ブログで噂を広めてしまった。書いている途中で完全に良いように使われていることに気づき、乾いた笑いが漏れた。
 あいつは最初から私を喰う気など無いのだろう。私を利用するだけ利用して、私が自分のことを忘れられずに苦しむ様子を笑って見ているのだろう。
 どうか笑ってくれ。お前に出会ったおかげで、私の人生はこんなに虚しいものになった。これで楽しめるんなら大いに笑ってくれ。私にはもう、お前を呪う元気すら無い。お前のために苦しんで死ぬよ。

 無気力に日々を過ごしていた矢先、突然、知らない人からメールが届いた。送り主は白淵市しらぶちしの大学に通う学生さん。どうやら私のブログを見て連絡してきてくれたらしい。友達と一緒に都市伝説についてのレポートを書こうとしており、私のブログの内容が調べたい都市伝説に関わっているので、一度会って取材させてほしいという内容だった。
 最初は断ろうとした。とても人に会えるような気分じゃないし、会って話したとしても、またあの日のことを鮮明に思い出してしまうだけ。あの化け物を、さらに喜ばせるだけだ。
 でも、断りのメールを打っている途中で、ふと、別の考えが浮かんできた。
 もしかしたらこれはチャンスなんじゃないか。たとえ完全には信じてもらえなくても、私があの化け物について知っていることを洗いざらい話して聞いてもらえたら、少しは胸の内を軽くできるんじゃないか。それに、都市伝説に詳しい学生さんと話をすることで、何か新しく分かることがあるかもしれない。あいつのことでこれからも苦しむ必要は無くなるのかもしれない。
 私は先程まで打っていた文章を削除し、新しく文章を打ち込んだ。

 その後、学生さんと何度かメールのやり取りをして、お互いに都合の良い日時が決まった。
 メールを読み終えた私は椅子から立ち上がった。彼らが訪ねてくる日までに準備を整えておかなければならない。話すことはだいたいここに書いてあるから、まずは、部屋の掃除からだ。

                〈おしまい〉 

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