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【小説】ある駅のジュース専門店 第35話「検索履歴」

 親友の知樹ともきが死んで、約一年が経った。
 俺のせいだ。俺があの日、カーナビを信じて知らない道を突き進んでしまったからだ。明らかに怪しい駅の中にどんどん入っていって、あのジュース屋で何の疑いもなくジュースを飲んだからだ。間違った判断を重ねた結果、知樹は化け物に喰われて死んでしまった。
 そろそろ過去のこととして割り切らなければならないのは分かっている。しかし、考えないようにすればするほど、あの日のことを鮮明に思い出してしまう。いつまでも前を向けないのが辛い。
 気晴らしに動画でも観ようと、スマホで動画配信アプリの検索窓を開く。検索窓の下に、過去に検索したことのあるキーワードがずらりと並ぶ。好きなアニメのPV、好きなバンドのMV、観たかった映画の予告——懐かしい検索履歴の一番上に、ひとつだけ、検索した覚えのないキーワードがあった。

「ある駅のジュース専門店」

 背筋が冷たくなる。これは完全に、俺と知樹が行った場所を指したものだ。闇の中に佇む真っ白な駅舎。静まり返った構内。鮮やかなネオン看板の明かり。甘ったるい果実の香り。あの日の記憶が蘇ってきて咄嗟に画面から目を逸らす。そして極力そのキーワードを見ないようにしながら、好きなゲームのタイトルを検索窓に打ち込んだ。

 一時間ほどゲームの実況動画を観ていたが、正直、あまり気晴らしにはならなかった。憂鬱な気分のままSNSの投稿を読み漁る。
 そういえば、今日は気になっていたアニメの第一話の放送日だったはずだ。アニメを観た人の感想を読めば、少しは気分が晴れるかもしれない。
 検索窓を開き、アニメのタイトルを打ち込もうとして指を止めた。ここの検索履歴にも「ある駅のジュース専門店」の文字がある。
「……勘弁してくれよ……」
 ため息を吐いた。どうして検索していないはずの言葉が検索履歴に出るのだろう。SNSの不具合も疑ったが、それなら動画配信アプリの検索履歴にはこんなキーワードは出ないはずだ。
 詳しい理由は分からなかったが、とりあえず今回もそのキーワードを視界に入れないようにして、アニメのタイトルを打ち込んだ。
 もう、親友の死に関することなど少しも考えたくなかった。考えないようにすれば、いつしか忘れていく。親友が死んだという事実だけを残して、他の余計な記憶は綺麗さっぱり消えていく。あの駅のことも、ジュース屋のことも、恐ろしい店員のことも、思い出さずに済む。そうなれば俺も、少しは前を向けるだろう。そう思っていた。

 しかしその日から、「ある駅のジュース専門店」の文字は様々な場所の検索履歴に出現し始めた。動画配信アプリやSNSだけでなく、検索エンジンやメールの検索履歴にも現れた。厄介なことに、必ず履歴の一番上に出てくるため、どうしても目に入ってしまう。まるで揶揄われているように思えて、苛立ちが募っていく。
 乱暴にキーワードをスワイプして削除ボタンを押した。だが、なぜか消えない。連打しても、消える気配がない。
「……くそっ……なんで……」
 その時ふと、あの日のことが脳裏をよぎる。駅から離れようと車に乗ってエンジンのボタンを連打しても、いっこうにエンジンが付かなかった。今も同じような状況だ。嫌な汗が肌を伝う。お前は一生忘れられないんだよ。そう嘲笑われているような気がする。
 俺は諦めて、そっと検索窓を閉じた。

 数日後。大学の授業を終えてスマホを見る。SNSを開いても動画配信アプリを開いても、相変わらず検索履歴の一番上には「ある駅のジュース専門店」があった。小さくため息を吐いてスマホをズボンのポケットに入れ、駐車場に向かう。車に乗り込んでエンジンを付ける。
 あの日からしばらくは車にも乗れなかった。エンジンのボタンを押す時すら、何度押しても付かなかったらどうしよう、とよく不安に駆られたものだ。今ではだいぶ落ち着いていて、こうして再び車に乗ることができている。
 自宅に向けて車を走らせ始めてから、三十分。いつもは大通りに出るはずだが、なぜか窓の外は山の中だった。アスファルトの道路に枯れ葉が散らばり、目の前には暗いトンネルが口を開けている。
「…………え……」
 ひどく見覚えのある景色だった。慌ててUターンして引き返そうとするが、ハンドルがうまく効かず、結局トンネルの中へと直進してしまう。息が荒くなる。このままトンネルを出てしまったら、また、あの駅に着いてしまう。
 戻らなければ。戻れ、戻れ! 呪文のように脳内で呟きながらハンドルを操作していると、ふいに、遠くから声が聞こえた。
れん
 聞き覚えのある声の方を見やれば、暗いトンネルの出口に人影が立っている。一旦ブレーキを踏んで目を凝らす。薄手のTシャツにジーンズとスニーカーを合わせたその人物は、一年前に会った時と同じように、穏やかな表情をしていた。
「……っとも、き……⁉︎」
 車から降りてトンネルの出口に一歩近づく。生き延びていたのか、それとも幽霊の類なのか。どちらにせよ彼は今トンネルの出口に立って、俺に微笑みかけていた。
「蓮」
「知樹っ……知樹だろ⁉︎ なんで……」
「お前にまた会いたくなってさ」
 知樹の声が風に乗って耳に届く。涙が出そうになるくらい、柔らかな声だった。
「知樹……」
「なぁ、蓮。こっち来てくれよ」
「え?」
「ほんとはそっちに行きたいんだけど、ここから動けないんだ。だから、お前から来て欲しい」
「え……動けないって、なんで」
「……ダメ、かな?」
 知樹は少し寂しげに笑った。微かに甘い香りが花を掠める。ジュース屋で嗅いだ香りだ。もしかして、あの店員によってトンネルの向こうに閉じ込められてしまったのだろうか。それでこちら側に来られないのだろうか。それなら、俺の方から行くしかない。
「わ、分かった。今、そっちに行くから」
 俺がそう言うと、途端に彼の表情が明るくなる。
「ありがとう」
 へにゃりと笑う顔に思わずこちらの唇も緩む。俺は彼の方に足を踏み出し、思いっきり駆け寄ろうとした。

「違う‼︎」

 襟首を強く引っ張られ、後ろによろめいた。振り向いても誰もいない。戸惑いながら顔を戻すと、さっきまで穏やかな表情だった知樹が、恐ろしく冷たい目でこちらを見つめている。
 鳥肌が立った。こんな表情をする知樹は見た事がない。それに、冷静に考えてみれば、窓も開けていないのに車の外から声がはっきり聞こえた時点で既におかしかった。
「……お前……ほんとに、知樹……?」
「………………」

 数秒の沈黙の後、知樹は、小さく舌打ちをした。

 俺は車に飛び乗り元来た道を戻っていった。車をUターンさせてトンネルから出る時、後ろでずるずると何かを引きずるような音がしたが、聞こえないふりをする。
 あれは知樹ではなかった。きっとあのジュース屋の店員に違いない。知樹の外見と声を使って、俺を誘き寄せようとしていたのだろう。もしもあのまま何の疑いもなくあいつの方へ駆け寄っていたらと思うと、ぞっとした。
 そういえば、さっき俺の襟首を掴んで引っ張ったのは誰だったのだろう。違う、と叫んだあの声は何だったのだろう。普通に考えれば怪奇現象なのに、なぜか怖いとは思わなかった。怖いどころか、とても懐かしくて、安心感を覚えた。
 もしかして、知樹のふりをしたあいつから守ってくれたのだろうか。もしそうだとしたら、あの時、違うと言ってくれたのは。襟首を引っ張って、止めてくれたのは。
「…………お前なぁ……一年経って出てくるんなら、顔ぐらい、見せろ、よ……っ」
 勝手に視界が潤んで前が見えづらくなり、やけくそでアクセルを思い切り踏み込んだ。幸い車通りの無い一本道だったので良かったが、危険極まりない運転だ。きっと知樹も呆れた顔をしているだろう。いつまでも危なっかしい奴で、ほんと、ごめんな。

 その後、俺は無事に自宅に戻ってきた。
 まだあいつは懲りずにちょっかいをかけてきているのだろうか。スマホを取り出して確認すると、もうどの検索履歴にも、「ある駅のジュース専門店」の文字は無かった。
「……これで、俺を喰うのは諦めて欲しいな」
 ため息を吐くと、どこからか、それに同意するかのように、うん、と声が聞こえた。

                〈おしまい〉

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