【小説】ある駅のジュース専門店 第24話「連結⑥」
俺たちは駅の駐車場へと走った。後ろから、ずるずると何か重いものを引きずる音が聞こえてくる。振り返ってみると、あの化け物の白い触手が放射状に伸びて壁や天井や床を這い、すぐそこまで迫ってきていた。
「うわぁあああ!」
走るスピードを上げるが、息が上がってしまい減速していく。
「がぁっ……はっ……ダメだ、もう走れない……」
「や、八坂さん、立ち止まっちゃダメです!」
「でも……」
息が切れそうな八坂さんの背後から、暗い影が差す。
「八坂さん後ろ‼︎」
八坂さんの腕を引いて走る。だんっ、と触手の先が床に勢いよく叩きつけられ、硬いタイルが細かく割れる。触手がうねる様子はまるで巨大な蛇の尾のようだ。捕まればきっとひとたまりもない。
「これ、使えないかな」
井田がおさえさまから貰った風呂敷包みを解く。
「使うって言っても……飴とかタケノコとかゼンマイしか入ってないぞ。どうやって使えば良いんだ?」
尋ねると、井田は風呂敷の中身に目を通し、はっと目を見開いた。その瞳はきらきらと輝いている。彼が目を輝かせる時は大抵、好きなものに反応した時か、妙案を思いついた時だ。
「これ……そうか。タケノコと……この味があるなら……もしかしたら、いけるかも!」
「い、井田?」
「何か良い方法があるんですか?」
俺と八坂さんには何も分からないが、井田が明るい笑顔で頷くので、とにかく彼の案を信じてみることにする。
「任せといて」
井田はキャンディの袋から、ブドウ味と書かれた包み紙に入ったキャンディを二、三個掴んで取り出した。そしてそのまま後ろへ振り向き、触手の方に放り投げる。
キャンディを投げていったいどうしようというのか。疑問を抱きながら見守っていると。
「⁉︎」
キャンディのひとつひとつが眩い光を放ち、それぞれ太く長いブドウのつるに変わる。つるは俺たちに伸びていた触手に巻き付き、足止めするように強く締め付けた。
「やった!」
井田は目を輝かせて喜んでいる。
「な、何だよあれ⁉︎」
「黄泉の国から脱出する方法だよ。風呂敷の中身を見て思い出したんだ。神話通りじゃないけど、効果があって良かった。今のうちに早く逃げよう」
「え? あ、ああ……」
よく分からないまま井田の背中を目で追いかけ、再び走り出す。
「すごい……魔法みたいですね!」
八坂さんも目を輝かせている。たぶん、いまいちついていけていないのは俺だけなのだろう。複雑な気持ちで走っていた。
ようやく駅の駐車場まで来ると、赤茶色に錆びついた一台のバスが停まっている。駅に向かう時に乗ったあのバスだ。これに乗れば帰れそうだが、運転手はいないし、車体の錆び具合からしてもちゃんと動くか不安になる。
「……の、乗ってみるか……」
開いていた乗降口から車内に入り、運転席に一番近い席に座る。続いて井田と八坂さんも俺の後ろの席に座る。3人全員が座ったタイミングでちょうど扉が閉まり、エンジンがかかった。バスが走り出す。
「良かった。ちゃんと動くみたい、で……」
安堵して井田と八坂さんの方を振り向いた瞬間、俺は凍りついた。
バスの後ろからおびただしい数の触手が伸びてきている。
「うわぁあ来てるじゃねぇか‼︎」
「え⁉︎」
「うわっ」
触手はバスの側面にべったりと張り付き、水垢だらけの窓ガラスをがんがんと叩く。車体が軽く左右に揺れる。
「うわぁああっ!」
窓ガラスは経年劣化で脆くなっているらしく、触手に叩かれた衝撃でどんどんヒビが入っていく。割れるのも時間の問題だろう。もし窓ガラスが割れたら、大量の触手が車内に入ってきて、俺たちは捕まって——その後はもう、考えたくもない。
「どうする⁉︎」
「一か八か……タイミングを見計らうしか無いと思う」
井田は風呂敷の中に入っていたタケノコを掴み、ヒビが広がっていく窓ガラスを冷静に見つめていた。
とうとう窓ガラスが割れる。降り注ぐ破片と共に、触手が入り込んでくる。素早く席を立って後ずさるが、乗降口が閉まっているため逃げ場は無い。
すると、井田が前に出た。
「二人とも、下がって!」
井田は触手が入ってきた窓の外にタケノコを放り投げる。すると、タケノコは先程のキャンディと同じように光を放った。タケノコが落ちた地面から、大量の竹がバスの側面と後ろを守るように広がり、周りの触手を弾き飛ばしながら天高く伸びていく。車内に入り込んだ触手も、竹に弾かれてバスから離れていった。
「す、すげぇ……」
思わず感嘆の声を漏らす。井田も安堵した表情を見せたが、すぐに真剣な表情に戻って、割れた窓ガラスの外を遠く見つめた。
「まだ油断しちゃダメ。あともう一回来る」
「え、な、なんでそんなこと分かるんだよ」
「だって、二度あることは三度あるっていうでしょ」
そう言って井田はキャンディの袋の中に手を入れ、ごそごそとキャンディを掻き分けた。
「……あれ?」
「どうした?」
「ピーチ味の飴が一個しか無いんだ。もし投げるのに失敗したら後が無い。それに……桃って、サラセさんにも効くのかな」
「どうして、桃なんですか?」
八坂さんが尋ねる。
「桃は魔除けの象徴なんです。日本の神話で、イザナギという神様が黄泉の国から逃げ出す場面があるんですけど……身につけていたものを後ろに投げたらブドウとタケノコになって追っ手を足止めしてくれて。それでもまだ追いかけてくるので、振り切るために最後に投げたのが、桃の実だったんです」
その説明で、今まで井田がとった全ての行動に合点がいった。彼は神話をなぞるように、追ってくる化け物の触手をキャンディやタケノコで足止めしていたのだ。
「そうか。だから桃じゃないとダメなんですね」
「はい。でも……サラセさんに桃が本当に効くかどうか、分からないんです。神話では追っ手が桃を投げられた瞬間に恐れて逃げ出しているので、効果はありそうなんですけど……サラセさんがこの飴を見て、怖がるかどうか……」
「うーん……」
おさえさまにさえ反抗的な態度を示したサラセさんのことだ。もしかしたら魔除けとしての桃が効かないかもしれない。
「……でも、やってみないと分かんないよな」
「そうだね……投げてみるよ」
井田はピーチ味のキャンディをしっかりと握りしめた。
バスは元来た道を走り、暗いトンネルに入った。トンネルの中に明かりは無かったが、出口の方に小さく光が見える。胸の内から希望が湧くのを感じながら、俺たちはバスの振動に身を任せていた。
突然、バスの上からどん、と重い音がする。音の方を見上げた視界の端に、窓ガラスの外で蠢くあの白い触手たちが見えた。
「うわっ‼︎」
思わず席を立って後ずさったが、触手はなぜか割れた窓ガラスから車内に入ってこようとはせず、バスの上から側面へ這って降りてきている。
車内の明かりに照らされ、触手が一層白く不気味に見えた。さらに、よく見るとまるでムカデの足のように何本も横に細く枝分かれしている触手があり、その分かれた部分もうねうねと動いていた。
「き、気持ち悪い……何するつもりなんだよコイツ……」
「分からない。でも、窓から入っては来ないみたいだね。今がチャンスかも」
井田は割れた窓ガラスに向かってピーチ味のキャンディを構え、バスの外に放り投げた。
「よっしゃ! 後は効くかどうかだな」
「投げるのは成功した……けど……」
井田の表情が不安げに曇っていった。触手たちはキャンディには何も反応せず、ただバスの側面を這い回っている。
「えっ……」
「桃が効いてねぇ!」
「どうしよう」
焦る俺たちの耳に、ぎし、ぎし、と何やら不穏な音が入ってくる。辺りを見回すが、どこから聞こえてくるのか分からない。
と、突然車体が大きく左右に揺れた。思わず手すりに掴まる。
「な、何だ⁉︎」
エレベーターで上に向かう時の、体重が下から支えられるような感覚を覚える。
「あ、上がってる……?」
窓の外を見ると、大量の触手が車体に巻き付いてバスを持ち上げていた。地面から離れた車体が不安定に揺れる。
「うわぁあっ」
天井が軋み、べきべきと音を立てて窓枠が凹んでいく。サイドミラーが外れて落ちる。バスの下から触手が床を叩いてくる。
「な、何する気だよ‼︎」
「……このままじゃ、バスが潰される」
いつも冷静だった井田の顔にも焦りが浮かぶ。
「潰されるって……もしかして、ここで俺たちを殺す気か⁉︎」
早くここから脱出しなければ。辺りを見回すと、運転席の横の乗降口の扉が触手に潰され、外れかかっているのが見えた。
「あ、あそこから逃げるぞ! 今飛び降りればなんとか……」
「でも、絶対怪我するよ」
「化け物に殺されるよりはマシじゃ……うわぁああ!」
車体が大きく揺れて後ろに傾いたため、転んで段差に乗り上げてしまう。乗降口は顔を上に向けなければ見えなくなった。酔ってしまったのか、八坂さんが青い顔で口元を押さえている。
「や、八坂さん。大丈夫ですか?」
「ぅ……は、はい……なんとか……」
「い、井田、何か他に効きそうなものねぇか? その風呂敷ん中!」
井田は風呂敷の中身を確認したが、やがてゆっくりと首を横に振った。
「ううん……もう、何も使えない」
「そんな……!」
とうとう運賃箱が倒れて乗降口が塞がれる。触手に叩かれて凹んだ天井が、ばきばきと音を立てながら頭上に迫ってくる。
(もう……ダメだ……)
俺たちは姿勢をできるだけ低くして、天井に押し潰される瞬間をただ待つことしか出来なかった。
上から押されていた天井の動きが、ふいに、止まった。
「……え?」
何事かと辺りを見回すと、バスを持ち上げていた大量の触手が跡形もなく消え去り、バスがゆっくりと地面に降りてきていた。
「もう出てきても良いぞ」
外から透き通った女の子の声が聞こえる。
「お……おさえさま……!」
一気に安心感が押し寄せてくる。俺たちは半泣きになりながら運賃箱を跨いで乗降口から外に飛び出した。いつの間にかトンネルの出口の前まで来ていたらしく、眩しい夕日の光が視界を橙色に照らす。
バスの外では、俺たちに背を向けたおさえさまと、あの化け物が睨み合っていた。おさえさまは俺たちに気づくと、指でトンネルの出口を示した。早く行けということなのだろう。
「ありがとうございます……!」
頭を下げて走り出す。背後でおさえさまと奴の会話がちらりと聞こえた。
「ここから先は一歩も通さんぞ。これ以上彼らに手を出すことは絶対に許さない」
「チッ……良いところでまた邪魔しやがって。しかも何だよ、あいつらが投げてきたやつ。お前が仕向けたんだろ」
「彼らが良い判断をした結果がこれだ。私はただ、貰った物を譲っただけだ」
「はっ、全部思惑通りのくせに」
「用が済んだならさっさと引っ込め。口から先に生まれたのか?」
「五月蝿ぇ。もともと口しか無かったんだよ」
「そうか。ならどうしようもないな」
おさえさまの勝ち誇った声と共に、背後から突き刺すような視線を感じたが、気付かないふりをしてトンネルを出た。
〈おしまい〉