【小説】ある駅のジュース専門店 第49話「約束の日①」
土曜日のお昼頃。俺と親友の井田は白淵市から電車に乗って、晒根町の駅に降り立っていた。この町に住んでいる、玉村誠一さんという方の話を聞くためである。
今、俺たちは都市伝説「ある駅のジュース専門店」について調べている。主にSNSを中心に広まっている噂で、電車やバスや車に乗っている時、あるいは道を歩いている時、見知らぬ無人駅に辿り着いてしまうというものだ。駅の構内に佇むのは、鮮やかなネオン看板を掲げた店。そこは「サラセ」と呼ばれる店員が営むジュース屋で、出されるジュースはとても美味しい。ジュースを飲んで会計を済ませた後、駅にやって来た電車やバスに乗れば、きちんと元の世界に帰って来られる。そして、無事に帰ってきた者がSNSでジュース屋を「宣伝」することで、噂がさらに広まっていくという仕組みになっている。
この都市伝説は、「きさらぎ駅」や「かたす駅」などの他の駅の噂と比べると「ジュースが飲める」という異質な点が際立つし、無事に駅から帰って来たという体験談が多い。そのため、「ある駅のジュース専門店」には危険性がほぼ無いと見なされていた。
しかし、噂が広まっていくうちに、この都市伝説の危険性が明らかになってきた。
実はジュース屋の店員——サラセさんの正体は人喰い怪異で、店を訪れた客をバックヤードに引き込んで喰ってしまうのだ。見た目は黒いマスクを付けた美しい店員なのだが、マスクを外すと、口元に血管のような網目模様が広がっている。水に溺れるような感覚を起こして意識を遠のかせたり、植物の根のような触手を操ったりして、駅から逃げ出そうとする者を追い詰めてくる、非常に厄介な化け物なのである。
そんな「ある駅のジュース専門店」のことを調べていくと、人喰い怪異サラセさんと、玉村さんの家で育てられていた食虫植物サラセニアとの間に、奇妙な繋がりが感じられるようになった。だからこの日、玉村さんと実際に会って話を聞くことで、サラセさんとサラセニアとの関係の有無を明らかにしようとしていたのだ。
玉村さんから送られてきたメールに手書きの地図が付いていたので、俺たちはその地図をスマホの地図アプリと照らし合わせながら歩き、玉村家に辿り着いた。
二階建ての一軒家。隣に広い温室があり、植木鉢の中で様々な植物が花を咲かせている。温室のそばに墓石のようなものが建っているのが気になったが、とにかく玉村さんに挨拶しようと玄関へ向かう。
インターホンを鳴らすと、中から初老の男性が顔を出した。落ち着いた色合いのシャツを着た、穏やかそうな人だ。この人が玉村誠一さんなのだろう。
「こんにちは。メールで何度かやり取りさせていただいてた、森越と井田です」
「ああ、森越さん、井田さん。初めまして」
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。どうぞお上がりください。今、お茶を用意しますね」
「ありがとうございます。お邪魔します」
「お邪魔します」
玉村さんは俺たちをリビングに通し、温かいお茶とお菓子を出してくれた。
「すみません。普段若い人と話すことが少ないもんですから、お煎餅やら羊羹やら、渋いものしか無くって……」
「いえいえ、お気遣いありがとうございます」
「あ、暑いから冷たいお茶の方が良かったかも。もし冷たいお茶飲みたくなったら、遠慮なく言ってくださいね」
玉村さんはそう言って、柔らかい笑みを浮かべた。
軽く雑談をした後。俺は井田と目を合わせ、ゆっくりと口を開いた。
「あの……実は、玉村さんに謝らなければいけないことがあって」
玉村さんが怪訝そうな顔になった。俺の隣で、井田が言葉を紡いでくれる。
「メールでは、大学の授業で都市伝説についてのレポートを出すためとお伝えしていたんですけど……あれは、嘘です。本当は、僕たちの個人的な興味で、都市伝説のことを調べているんです。都市伝説に出てくるサラセさんと、こちらのお宅で育てられていたサラセニアとの関係を知りたくて。でも、そのままお伝えすると不審に思われるかもしれないと思って、あのような連絡をさせていただきました。嘘を吐いてしまい、申し訳ございません」
井田と一緒に頭を下げると、安心したような声が聞こえた。
「そうだったんですね。うちのサラセニアに興味を持ってくださって……ありがとうございます。なんにも気にしていませんから、どうか、頭を上げてください」
「あ、ありがとうございます……」
玉村さんが優しくそう言ってくれたので、俺たちはほっとしながら顔を上げた。
「今話してくださったのを、父が聞いたら……きっと、すごく喜ぶだろうな。あのサラセニアを大事に育てていたから」
なんだか寂しげな笑顔だった。
「あの、失礼を承知でお聞きしますが……お父様は、もう、お亡くなりになられてるんですよね……」
「ええ。もう二十年前になりますね。植物が大好きな人でした」
「もしよろしければ……お父様やサラセニアについて、お話をお聞きしたいのですが」
「ええ、ええ。私もお二人にお話するつもりでしたから」
玉村さんはにっこり笑って、サラセニアについて話してくれた。
「あの記事を読んでくださったなら、もうご存知かと思いますが……あのサラセニアは、父がホームセンターで買ってきたものなんです。これを温室で育てるんだって言って。確か……レウコフィラ、とかいったかな。そんな感じの品種名でした」
玉村さんの話を聞きながら、俺たちはメモをとった。
「父はサラセニアに惚れ込んでましたから、植える土にもこだわってて。この町でとれた土を、植木鉢の中に敷いてました」
「え、この町の土、ですか?」
「ええ。父によると、晒根町の土は他のところよりも鉄分が多めに入ってるので、植物が育ちやすいらしいんです」
「へぇ……あ、だからここのサラセニアは五メートルの大きさにまで生長したんでしょうか」
「そうかもしれませんね」
俺と玉村さんは納得していたが、井田の方を見ると、なんだか腑に落ちない表情をしている。
「どうした?」
「いや……ほら、晒根町って山の麓にあるし、火山の近くの土は鉄分が多くなるって聞いたことあるんだけど……ここの山、火山だっけと思って」
「い、いいえ。火山じゃないです」
「え? じゃあ、どうして……」
玉村さんはしばらく考え込んだ後、あっ、と小さく声を出した。
「もしかして……あのことが……ここの歴史が」
「ここの……歴史?」
「ええ。前に図書館の本でこの町の歴史を知る機会があって、それを今思い出したんですけど……もしかしたら、この町で起こったことが、土の中の鉄分の多さに繋がっているのかもしれません。すごく馬鹿げた考えですが……話半分で、聞いてくださいね」
玉村さんは険しい顔で、晒根町でかつて起こったことを語り始めた。
「この町は山の麓にあるので、昔から、雨がたくさん降ると川の氾濫や土砂崩れがよく起きたそうなんです。江戸時代には、それが原因で大飢饉も起きたみたいで。作物が実らなくて食糧がすぐに底をついて、たくさんの水と泥が流れ込んだせいで病気も広まって……もう、ひどい状況だったようで」
当時は食べるものも無く、十分に発達した医療技術も無いので、飢餓と病気が瞬く間に広まっていく。人々は飢え、追い詰められ、極限状態に至り。
「そしてとうとう、人同士が、お互いに齧り付いて、肉を噛みちぎり、喰い合うようになってしまったそうです」
俺たちは、ただ絶句していた。
「その時大量に流れた血が、この町の土に深く深く染み込んだことで、今でも鉄分が多く含まれているんじゃないか。こう考えるとね、あいつが、あのサラセニアが、人喰いの化け物になったのも、妙に納得がいくんです。かつて人が人を喰って、流れた血が染み込んだ土に、根を下ろして育ったわけですから」
しばらく時計の秒針の音だけが聞こえていた。
「……すみません。いきなりこんな恐ろしい話をしてしまって……」
「いえ……俺も、なんとなく分かった気がします」
「ぼ、僕も」
「と、とにかく、江戸時代に起こったことと、あのサラセニアが鉄分の多い土で育ったのは本当です。その後に……起きてしまったことも。たぶん」
玉村さんは目を伏せて、ゆっくりと、言葉を絞り出した。
「……あのサラセニアは、私が四十歳になった頃、旅行から帰ってきた日に、父を……喰いました。おそらくその前に、私たちが留守の間に侵入してきた空き巣も喰っていると思います。捕虫葉の中に……父と、知らない人の、服と靴が、ありましたから」
この人はきっと、捕虫葉の中を覗いて、知ってしまったのだろう。五メートルにまで生長した食虫植物が、人さえ喰ってしまうことを。
「父があんな形で亡くなるとは……ちゃんとしたお別れや、火葬もできずに見送ることになるとは、思っていなかったので……せめてもの供養として、母と私とで、温室のそばにお墓を建てました。でも……やっぱり、ちゃんとした踏ん切りがなかなかつかなくて。父が亡くなった日のことを忘れられなくて。いっそ、もう、父のことすら、忘れたいと思ってしまいました」
玉村さんの声が、微かに震えた。
「だから……去年の秋頃、電車に乗ったんです。どこか遠くに行きたくて、逃げたくて。でも、着いたのはあの駅でした。お二人が調べている、都市伝説の……あの、無人駅でした。その駅に着いた時、不思議な懐かしさを感じて……甘い香りに誘われるように、駅の中に入ってしまったんです」
「じゃあ……玉村さんは、もう、サラセさんに」
「はい。会いました」
「何か、されたりしましたか……?」
「ええ。私を喰おうとしてきました。でもその時、私は日常にひどく疲れていて、そのうえ、父を喰った化け物のところに来てしまったことに絶望していました。だから……言ってしまったんです。『喰いたいなら喰ってくれ。父のことを忘れさせてくれ』と」
「…………」
「でも、あいつは私を喰いませんでした。『喰われたいならうちの店のことを広めろ』と言われたので、その日のうちに自分の体験をブログに書き込んだのを覚えています」
「その時の体験が、ブログに投稿されたあの文章なんですね」
「はい……今となっては、なんて馬鹿なことをしたんだろうと思っています。あいつの言うことを聞いたところで、あいつが願いを聞いてくれる保証なんてどこにもありません。あいつはきっと、楽しんでるんです。私が苦しむ様子を。私を手の中で転がしてるんです。死ぬまで。一生」
とても苦しそうな表情だった。俺たちはお菓子を食べるのも忘れて、玉村さんの顔を見つめていた。
「……だからね。お二人から連絡をいただくまで、すごく、辛かったんです。でも、お二人のおかげで心が楽になりました。また生きる活力を持てました。聞いてくださって、本当に、ありがとうございました。少しでも、調べ物のお役に立てられれば嬉しいです」
玉村さんは柔らかく微笑んで頭を下げた。
「いえ、こちらこそお話してくださりありがとうございました」
俺たちも頭を下げた。頭を上げると、玉村さんとタイミングが偶然ぴったり合った。三人で笑い合う。
「暗い話が長く続いたので、父の思い出話でもしましょうか」
「ぜひ聴かせてください」
「じゃあ、ちょっとアルバム取ってきますね」
玉村さんは座布団から立ち上がり、リビングを出て行った。
私は二人にアルバムを見せるため、自分の部屋でクローゼットを漁っていた。
「誠一」
背後から名前を呼ばれた気がした。なんだかひどく懐かしい声なのに、誰の声なのか思い出せない。アルバムを探り当ててページをめくると、父の笑顔が視界に飛び込んでくる。
「誠一」
すぐ後ろからもう一度名前を呼ばれた瞬間、少し掠れた低音が父の笑顔と重なった。
「……父さん?」
さっき父のことを話したばかりだから、もしかしたら、会いに来てくれたのだろうか。私は期待を込めて振り返った。
「父さ……っ」
息を呑む。
あいつが、サラセが、目を細めて立っていた。
「誠一くん。久しぶり」
〈つづく〉
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