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【小説】ある駅のジュース専門店 第45話「標的」

 これはついこの間、バスから降りて大学に向かっていた時の話。
那生なおくん!」
 後ろから名前を呼ばれた。振り向くと、知らない人がにこにこしながら立っていた。
 薄手の白いシャツに紺のジーンズと黒いスニーカーを合わせ、差し込む日光が黒髪のショートヘアを煌めかせる。顔の大部分は白い不織布マスクで隠されているが、緩く垂れた瞳から、穏やかそうな印象を受ける。
森越もりこし那生くんでしょ? 久しぶり! 良かったぁ、また会えて」
 久しぶり、と言われても、会った覚えがまるで無い。男とも女ともつかないその声を聞きながら、必死に思考を巡らせる。
「ほら、前にわたしのこと助けてくれたじゃん? すごい嬉しくてさぁ、いつかお礼したいなって思ってたんだよ」
「……そう、でしたっけ……」
「そうそう! だからね、もし良かったらさ、時間ある時にどこかでお茶できたらなって思ってるんだけど……どうかな? 今日の夕方にでも」
「えっ」
 たぶんこれは新手のナンパだ。どうして俺なんかを標的に選んだのだろう。少しずつ後ずさる。
「いやいや、ナンパとかじゃなくて! ほんとにお礼したいのよ。別に怪しいもんじゃないし……うーん、君からしたら十分怪しいかぁ。えーと、そうだ。名刺名刺……」
 その人はズボンのポケットに片手を突っ込み、白い名刺を取り出した。
「わたし、玉村たまむらっていいます。よろしくね」
 差し出された名刺には「玉村あみ」と書かれている。雑貨屋の店主を務めているそうだが、その名前を見ても、心当たりは無い。
「よ、よろしくお願いします……」
「やっぱり、覚えてない?」
「……はい。すみません」
「いいよいいよ。結構前のことだしさぁ」
 その人はポケットからスマホを取り出し、通話アプリの画面を見せてきた。
「じゃあさ、ここで連絡取れるようにしようよ。都合のいい時間とか場所があったらここに送って、待ち合わせしよう。ね?」
 やっぱりナンパじゃないか。俺が断ろうとすると、ふいに通知音が鳴った。その人のスマホに届いたメッセージが、ちらりと見える。
『勝手なことすんな』
 メッセージを見たその人は、小さく舌を打った。その舌打ちのしかたに、悔しげに目を細める表情に、なぜか激しい既視感を覚えた、その時。
「那生」
 再び背後から名前を呼ばれ、びくりとして振り向く。親友の井田いだが立っていた。
「びっくりしたぁ……お前かよ……」
「おはよう。どうしたの?」
「や、なんか……この人が……あれ?」
 俺は虚空を指さしていた。つい先程までいたはずのその人は、忽然と姿を消していたのだった。

「何それ。変なナンパだね」
「ああ。マジでビビったわ。なんだったんだ、あれ……」
「うーん……」
 授業が始まるまでの間、井田に朝の出来事を話すと、彼も首をひねっていた。
「よく分からないけど、連絡先交換しなくて良かったと思うよ」
「そうだな……」
「ところで……話変わるんだけど、もう知ってる? 『ある駅のジュース専門店』の新しい噂」
「え……新しい、噂?」
「うん」
 以前、俺たちは同級生の八坂やさかさんと共に、「ある駅のジュース専門店」という都市伝説に深く関わったことがある。人喰いの化け物と対峙し、必死で逃げ帰ってきたあの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
「新しい噂は知らねぇわ……どんなの?」
「あの無人駅の中にお店がいくつか並んでたと思うんだけど、ジュース屋しか開いてなかったよね? 他のお店はシャッターが閉まってて入れなかった」
「ああ。そうだな」
「でも最近、ジュース屋の向かいに新しく雑貨屋ができたんだって。ジュース屋で無料で貰えた『お土産』を、雑貨屋の方で売るようになったらしいよ」
「へぇ、あのネクタイとかハンカチとかをそっちに移して売ってんのか……ん?」
 雑貨屋。そう聞いた途端、思わずあの名刺を取り出していた。
「あ、それが名刺? 今朝会った人に貰ったっていう……」
「……あの人、雑貨屋やってる」
「え?」
 俺は、今朝の出来事と「ある駅のジュース専門店」の噂との間に、妙な繋がりを感じ始めていた。
「そういえば、俺と連絡先交換しようとしてきた時、あの人のスマホにメッセージ届いてた。『勝手なことすんな』って」
「え、誰から?」
「分かんねぇけど……その人、それを見た瞬間、悔しそうに舌打ちしてた。ほら、前に俺たちがサラセさんに喰われそうになった時、おさえさまが助けに来てくれたことあっただろ? あの時サラセさんがしてた、みたいな……」
「…………」
 嫌な考えが脳内を掠めた。
「……同じ人?」
「そ、そんなわけねぇよ。顔も声も全然違うし……」
「そういえば、どこで食事するのかちゃんと言ってた? お店の名前とか」
「……いや……特に……何も……」
「……あの人、ただの雑貨屋さんだったら良いんだけど」
「……ただの、雑貨屋だろ。たぶんな」
 あの時、軽率に連絡先を交換して、都合の良い時間を教えていたら。あの人は、俺をどこへ連れて行く気だったのだろう。
 チャイムが鳴るのを待ちながら、俺たちはずっと黙り込んでいた。

                〈おしまい〉

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