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【小説】ある駅のジュース専門店 番外編「征服」

 バスに乗っている。周りの乗客は不安げに前方を見つめている。何事かと進行方向へ目を向けると、アスファルトの上に太く白い植物の根がびっしりと張り巡らされていた。今から二十年前に父を喰った、あの化け物の根だった。
 バスは赤信号で停まった。横断歩道を渡る男性が根に近づき、瞬く間に絡め取られて引っ張られていく。向かう先は大きく口を開いた筒状の捕虫葉。男性は激しく暴れていたが、いとも容易く葉の中に放り込まれてしまった。車内のざわめきが大きくなり、悲鳴が聞こえ始めた。
 前方を見つめていると、捕虫葉のそばに一人の人物が立っているのに気づいた。ウルフカットの黒髪に赤いシャツ、黒いスラックス、黒い革靴。顔立ちは美しいが、その口元には捕虫葉と同じ、真っ赤な網目模様が走っている。あいつが人喰いの化け物だ。人の姿に化けて獲物を油断させ、根を絡ませてあの巨大な消化器官へ放り込むのだ。
 窓から見えるほとんどの住宅が、白い根に覆われている。どうやらこの町はあいつに支配されてしまったらしい。
「ふふ、そっちからまとまって来てくれるのは有難いわ。どれから喰うか選べるしな」
 楽しげな声が聞こえた瞬間、長い根がこちらに伸びてきた。車体を、窓ガラスを、おびただしい量の根が一斉に叩いてくる。近くにいた幼い子どもが泣き出す。母親が抱きしめて大丈夫、大丈夫と言い聞かせている。
「安心しな。五月蝿ぇガキは見逃してやるよ。そうだなぁ、まずは……こいつからにしようか」
 繰り返し叩かれた前方の窓ガラスにヒビが入り、音を立てて割れる。そこから根が入り込み、運転手に迫る。
「やめろぉっ」
 思わず叫ぶ。化け物はこちらを見て目を細めた。
「へぇ……お前もいたんだ。久しぶり、誠一くん」「ま、町中で何やってるんだ……ジュース屋はどうした」
「ジュース屋?」
 はっ、と嘲るように息が吐かれる。
「こっちの方が効率良いし楽しいのに、あの退屈な感情労働を続けろって言うの? 嫌に決まってんだろうが」
「……何が目的だ」
「目的? さぁ……何だろうなぁ。世界征服ってやつ?」
「世界……征服……⁉︎」
「ああ、そうだよ」
 切れ長の目に、妖しい輝きが宿った。
「これからもっと広い範囲に根を張って、家もビルも道路も全部使い物にならなくする。人間様の技術は手間暇かかってるから、こっちも時間をかけて壊していかねぇとな。そうして住処も逃げ場も無くなったところで……次にお前らが住むのは、私の腹の中だ。骨が無くなるまで溶かしてやるよ」
 車体に根が巻き付き、地面からゆっくりと持ち上げていく。ざわめきと悲鳴と泣き声が大きくなる。
「ふ、ふざけんな……! お前にそんなこと……」
「させるかって? じゃあ止めてみれば? バスから降りて、私に穴でも空けてみろよ。ほら」
 ばきん、とバスの降車口が外される。あそこから飛び降りてもなんとか軽傷で済みそうだが、その周りでは奴の根が蠢いている。
「降りられないの? 相変わらず怖がりだなぁ」
 くっくっと喉を鳴らして笑われる。
「じゃあ、他の奴でも貰っていくか」
 長い根が降車口から入り込もうとする。
「やめろっ……!」
 駆け出して降車口から飛び降りようとした瞬間、足首に根が巻き付いた。息を呑む間もなく引っ張られる。顔に、手首に、胴に、根が絡みつく。目を塞がれて何も見えなくなる。
 甘い香りがきつくなる。生温かい空気に包まれる。遮られていた視界に光が入ったと思った途端、身体中を掴んでいた根が離れる。体重が下へ下へと降りていく。
 どぶん、と重い水音がする。しゅうう、と炭酸飲料のような音がする。息苦しい。必死に水面に向かって息を吐きながら喉を触ると、ぶよぶよした感触から硬い感触へと変わっていく。
 もう私の体は溶け始めている。
 水面がぼやけ遠のいていく。そして、深い深い暗闇へ——。

 自分の呻き声で目が覚めた。カーテンの隙間から覗く日光が眩しい。ベッドから起き上がり、恐る恐るカーテンを開けてみたが、そこにはいつもと変わらない住宅街が広がっている。
 酷い夢だ。早くあの化け物についての記憶を忘れ去らないと、きっと、これからもあんな夢ばかり見てしまう。
 ため息を吐き、顔を洗おうと洗面所の蛇口に腕を伸ばして、はたと手を止める。
 パジャマの袖から覗く手首に、太い紐で締め付けたような痕があった。

                 〈おしまい〉

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