【小説】ある駅のジュース専門店 第10話「晒せ」
これは、音声スタッフとして働いている知り合い(仮にAさんとする)とお茶をした時に聞いた話。
ある日、某テレビ局の番組のロケーション撮影が行われていた。そのテレビ局では年に数回、心霊現象を収めた映像や巷で囁かれる都市伝説を扱った特別番組を放送している。思い入れのある番組なので、Aさんは張り切って撮影に臨んだ。
夕方、午後六時頃。都市伝説を調査する企画で、撮影陣は駅のホームに集まっていた。人気の芸人とタレントがカメラの前に立つ。Aさんのマイクを握る手にも力が込められる。
そしてチーフADからキューが出されると、芸人が明るい口調で話し始めた。
「はい! ということで、今我々は駅のホームに来ております。最近ネット上で流行っている、『ある駅のジュース専門店』という都市伝説を調査するためです」
「あ、なんか聞いたことある! 降りる駅を乗り過ごしてしまうと、知らない無人駅に着いちゃうってやつですよね」
「そうですそうです。ネットに投稿された体験談から一気に広まって、今も話題沸騰中の都市伝説らしいんですが……さぁ、今からさっそく電車に乗って、噂の無人駅に辿り着けるかどうかを確かめてみたいと思います!」
撮影陣は、二人を追いかけて電車に乗り込んだ。
車内の乗客は撮影陣と芸人、タレントだけだった。
「お、貸し切りですね」
「じゃあ、二駅隣の『白淵』という駅を乗り過ごしてみましょう」
「通過するだけでほんとに行けるんでしょうか……」
Aさんはマイクでたくさんの音を拾っていった。二人の話し声、がたんごとんと車体が揺れる音、衣擦れの音、車内に響くアナウンスの音声。
「間もなく、白淵……白淵です」
「お、じゃあここで降りずにそのまま乗っていましょう。この先、何が起こるんでしょうか」
「もうこの時点で怖い……」
タレントは怖がっていたが、スタッフ達は冷静に撮影を続けていた。もしかしたら奇妙な現象を目の当たりにできるかもしれないと期待していたAさんも、半ば諦めていた。
一応お祓いは済ませているが、幽霊が出るという噂でも無いし、そもそも本当に無人駅に着くかも怪しい。このまま電車が終着駅に着いたら「行けませんでした」というシチュエーションを撮るしかないだろう。その場にいたスタッフ全員が、そう思っていた。
まさか「成功」するとは誰も想定していなかったのである。
「次は、⬛︎⬛︎……⬛︎⬛︎です」
ノイズ混じりのアナウンスに、全員がぎょっとしてスピーカーを見上げた。
「い、今、何駅っていいました?」
「え、分かんない……よく聞こえなかったです。でも……ほんとにこんな所に駅なんてあるんですか? 周り、なんにも無いですよ……?」
「えっ」
窓の外を見ると、もう日はとうに落ちて、墨で辺り一面を塗りつぶしたような暗闇が広がっていた。明かりは何一つ見えない。
「待って待って、何これ⁉︎」
混乱している取材陣と二人の頭上から、再びアナウンスが響く。
「まもなく、⬛︎⬛︎……⬛︎⬛︎です。お出口は、左側です」
闇の中にホームと駅らしき建物がぼんやりと見える。電車は速度を落としてホームに入り、きいい、と甲高い金属音を鳴らして停まった。
「……無人駅って……ここじゃ……」
「は、はは。まさか。とりあえず降りて確認してみましょうよ」
「そう、ですね……」
一同は顔を見合わせて、開いた扉からホームへと降り立った。
雑草が伸びるコンクリートの上を歩き、色褪せたように白い駅舎に近づく。改札口の上で点滅する看板が示す駅名は、まるで適当に作った漢字のようで全く読めない。
「えー……どうやら、ここが噂の無人駅……らしいです……」
「うわ、改札の扉壊れて開いたまんまですね……こ、これじゃ改札の意味ないじゃん!」
「そ、そうですね! はは」
二人は不安を誤魔化すように笑う。
「え、えーと、じゃあ……さっそく、中に入ってみましょうか! 『ある駅のジュース専門店』は、駅の中にあるそうですし」
「そうですね。行きましょう!」
不自然に明るい二人の声を、Aさんはしっかりとマイクで拾っていた。
シャッターが立ち並ぶショッピングエリア。時折聞こえる、ぽた、ぽた、と水滴が落ちる音。辺りを包む静寂に気圧され、足を進める二人も取材陣も、みんな黙り込んでしまっていた。
通路の半分あたりまで来ても、シャッターが開いている店は無かった。ただ、一軒を除いては。
「あ、あの看板って……」
タレントが指差した前方に、ピンク色に輝く大きなネオン看板を掲げた店があった。全員で恐る恐る近づき、店の入り口から店内を覗き込んでみる。
店内の照明も、目が痛くなるほど鮮やかなピンク色だった。座席はカウンター席のみで、その向かって左側の壁に「STAFF ONLY」と書かれた紙が貼られた扉があった。おそらくバックヤードへと続いているのだろう。
突如、じゃあじゃあと水の流れる音がしたので、一同はびくりとしてカウンターに視線を移す。
黒いカウンターの向こうで、一人の店員がプラスチックの容器を洗っていた。うなじ辺りまで伸ばしたウルフカットの黒髪を片耳に掛け、その耳には金色のピアス。赤いシャツの襟元に黒いネクタイを締め、黒いエプロンを腰に巻いている。口元が黒いマスクで隠れているため顔はよく見えないが、切れ長の目が美しかった。
思わず見惚れていると水が止められ、店員が顔を上げた。
「いらっしゃいませ。すみません、気づかなくて」
あ、ええと、などと一同は戸惑い、番組のロケーション撮影で来た旨を伝えた。
「へぇ、ついに取材来るようになっちゃったんですね。本当に、嬉しい限りです。わざわざ来てくださってありがとうございます」
男とも女ともつかない気怠げな声が、どこか楽しげに言う。Aさんは店員の近くでマイクを握りながら、ずっと聞いていると心地良くなってくる声だと感じた。
「あ、あの、ここってジュース屋さん、なんですよね?」
芸人が尋ねると、店員は「ええ。炭酸系のジュース売ってます」と答えた。
「ラズベリーソーダとストロベリーソーダ。どちらもお客さんに好評なんですよ」
「そうなんですね」
「あ、お客さん方。良かったらなんか飲みます?」
「え? あ、いや……我々はこのお店がほんとにあるのかどうかを確かめに来ただけで……」
「遠慮しなくて良いんですよ。どうぞ、ゆっくり休んでいってください。喉も渇いているでしょうし」
そう店員に言われてみると、確かに喉の乾きを感じる。じゃあせっかくなので、と一同はそれぞれ飲みたい味のジュースを注文した。
「かしこまりました」
店員は手際良く、全員分の容器にミキサーで絞った果実とソーダを注いでマドラーでかき混ぜていく。鮮血のように赤いソーダにラズベリーとイチゴが添えられ、ストローが差される。手慣れた仕草にカメラマンも思わず見入っていたらしく、はっとしてカメラを店員からジュースに向けた。
「お待たせしました。ラズベリーソーダとストロベリーソーダです」
店員は一同にジュースを手渡していった。Aさんもマイクを片手に持ち替えて受け取る。果実の甘い香りがふわりと漂った。
「いただきます……」
そっとストローに口を付け、上ってきたジュースを飲み込んでみる。しゅわしゅわと弾ける炭酸とラズベリーの甘酸っぱい味が溶け合っていく。
「ん! 美味しい……」
辺りを見回すと、他のスタッフやタレント、芸人からも美味しいという声が上がっていた。
「ありがとうございます。こんなに多くの方に喜んでいただけて嬉しいです」
店員の目が細められた。
その後、一同は一人五百円ずつ代金を支払って店を出た。最初は本当に駅に辿り着けるかも分からず諦めかけていた企画だったが、実際に辿り着けたうえに、絶品のジュースを飲むことができた。Aさんは幸福感に包まれながらマイクを握っていた。
ホームで待っていると、遠くからライトが近づき、誰も乗っていない電車が停まる。帰りも貸し切りですね、と微笑み合い、タレントと芸人はカメラの方に向き直った。
「ということで……『ある駅のジュース専門店』は、本当に存在することが分かりました! いやーびっくりですね!」
「そうですね……ちょっと怖かったけど、ジュース美味しかったですね!」
「皆さんも、ぜひ行ってみてはいかがでしょうか」
「いやいや、たぶん来ちゃダメでしょ! あははっ」
こうして和やかにロケーション撮影は終了した。
労いの挨拶を交わした後、Aさんを含めたスタッフ達は電車で元の町に戻り、テレビ局で映像と音声の確認を行った。
「……え……嘘ぉ……」
「撮れてない、ですね」
「映像ぼやけてるじゃん」
「音声はしっかり入ってるんですけどねぇ」
無人駅に着いたところからなぜかどのカメラの映像も大きくぼやけ、駅の中やジュース屋の店内の様子も店員の顔も、全く撮れていなかったという。
「音声だけじゃ、さすがに伝わらないですよね……」
「これはもう、企画自体をボツにするしか無いですね……」
「お蔵入りだな」
スタッフ達は深いため息を吐いた。
「……それで結局『ある駅のジュース専門店』のロケの映像は流されなくて、他の心霊映像とか体験談とか、そういうのをメインにして番組が放送されたんですけど……」
Aさんは伏目がちに語った。
「放送が終わった後、視聴者の方から何件か問い合わせがあったみたいで。私も人づてに聞いたんでその時はよく分かんなかったんですけど、なんか……『ぼそぼそと人の声が入ってる』って」
放送日の翌日は仕事が休みだったので、Aさんはアパートの自室で録画していたその番組を観て確認してみた。心霊映像や体験談のVTRが終わった後、スタジオに画面が切り替わったところで耳を澄ます。特に変わったところは無い。
やがてスタッフロールが流れ、MCが締めの挨拶を始める。そろそろ番組が終わるな、と思いながらぼんやりと画面を観ていた、その時。
「……せ……く……」
はっとリモコンを握った。BGMやMCの声に混じって、ぼそぼそと何かを呟く声が入っている。
Aさんはそこで映像を止めた。少し巻き戻して繰り返し再生し、テレビの音量を少しずつ上げていく。音が大きくなるに従って、声が話している内容も徐々に聞き取れるようになっていく。
「……せを……ろめ……く……」
「……せを……ろめてくれる……」
そして耳の奥へ響くほど音量が大きくなったところで、男とも女ともつかないその声がはっきりと呟いた。
「店を広めてくれると思ったから帰してやったのに。お前ら、もう」
テレビを消した。なんとか気分を上げようとスマートフォンをいじる。しかしSNSのトレンドを見たAさんはスマートフォンの電源も切って、全てを忘れるように布団に入ったのだという。
「……トレンドに入ってたんです。『ある駅のジュース専門店』。しかもその言葉が使われてたの、番組のハッシュタグが付いた投稿がほとんどで。たぶん、今までずっとやってきた都市伝説の企画の放送を今回だけやらなかったからでしょうね。あの声が言った『店』という言葉から、都市伝説を知ってる人達はピンと来たんでしょう。本当は『ある駅のジュース専門店』が紹介されるはずだったのかもしれないって……実際のところは分かりませんけど、とにかく怖かったです。放送されなかったはずなのに多くの人の間で話題になってて。まるで都市伝説自体が意思を持って、自分から注目を浴びようとしているみたいで、すごい気持ち悪くて」
Aさんはコーヒーを一口飲み、ふうっとため息を吐いた。
「私の体験はこんな感じです。聞いてくださってありがとうございました」
「うわぁ……怖かった……」
思わず体を震わせながら、ふと頭に浮かんだ疑問をAさんにぶつけてみた。
「あの、ところで、番組の最後に入ってた声って……『お前ら、もう』で途切れたんですか?」
「はい。声が途切れたのとほぼ同時に番組も終わって、CMに入りました」
「そうなんですね……もし『もう』の後に続きがあったとしたら、なんて言おうとしてたんでしょうか……『もう許さない』とか……?」
「いえ。たぶん、違うと思います」
Aさんは首を横に振った。
「もし『もう許さない』と言おうとしていたとしたら、イントネーションがおかしいんです」
「イントネーションが?」
「はい……ちょっと言ってみてください。『もう許さない』って」
「え? は、はい……『もう許さない』……」
「もし仮に『もう許さない』と言おうとしていたんだとすると、『もう』の部分、音が下がるんです」
Aさんは服のポケットからメモ用紙とペンを取り出し、「もう」という文字を書いて、その後ろに下向きの矢印を書き足した。
「あ、ああ、確かに下がりますね。音」
「でもあの時聞こえた『もう』は……音が上がってたんです。それも……なんて言ったら良いんでしょう……『う』だけじゃなくて、『も』から音が上がってたんです」
再びメモ用紙に「もう」の文字が書かれ、その上に左から右へ伸びる矢印が書き足される。
「なんか、変ですね……『もう』の後に言葉が続くなら、音が下がるはずなのに……」
「……私もそう思って、いろいろ候補を考えてたんです。そしたら、もしかしてこれなんじゃないかって言葉が、見つかってしまって」
Aさんはそう言うと、絞り出すように言葉を続けた。
「……『もう一度』……『お前ら、もう一度来い』って、言おうとしてたんだと思います」
しばらく環境音だけが聞こえていた。私たちは無言でカップを口に運んだ。
「……すみません、どうか気にしないでください。私の勝手な想像なんで……でも、あれから電車に乗るの、ちょっと怖くなっちゃったんですよね。あの駅がもう一度私を引き寄せようとしている気がして……」
頼むから、これ以上恐怖を倍増させないで欲しい。私は引きつった顔をAさんに向けて相槌を打っていた。
〈おしまい〉