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【小説】ある駅のジュース専門店 番外編「サラセニアの邂逅」
これは、私が育ての親の家を抜け出し、人間に擬態し始めた頃の話。
当時はとにかく、人間社会に溶け込もうと必死だった。昼間は図書館でファッション雑誌や図鑑を読み漁り、人間について理解を深めた。たまにデパートへ服を買いに行くこともあった。
そして夜は、ひと気の無い路地裏に根を張って、獲物を待っていた。路地の入り口でうずくまって苦しげな声を上げ、人が近づいてきたら暗がりに引き込み、消化液で溶かして吸収する。この頃は根を張る場所も食事のタイミングもひどく不安定だった。今まで馴染みが無かった社会にいきなり飛び込んだこともあり、私の中には疲労が溜まってきていた。
そんなある日。いつものように図書館に向かっていた私の後ろから、声がした。心地良い声だった。
「あの、すみません」
振り向くと、一人の男性が立っていた。顎のあたりまで伸ばしたボブカットの黒髪に、青緑色のメッシュ。切れ長の黒い瞳。すっと通った鼻筋。薄い唇。薄いグレーのタートルネックに黒いズボン。もしや、人では無いとバレたのだろうか。恐る恐る答える。
「……はい」
「いきなり声を掛けてしまってすみません。ご迷惑かとは思ったんですが、もしかしたら仲間じゃないかと思って嬉しくて……あなたも、人間に擬態されていますよね?」
男性は声をひそめて言った。
「……あなた『も』?」
「ええ」
彼の指がタートルネックの首元に掛けられ、持ち上げられる。青い、羽毛のようなものがちらりと見えた。この男性も人では無いらしい。自分だけがこの社会に紛れている訳ではないと分かると、なんだか安心できた。
「あぁ、すみません、こんな人の多いところで。少し、場所を移しましょう。お時間大丈夫ですか?」
「……ああ。まぁ」
「良かった。お気に入りの場所があるんです。そこでお話しましょう。その方がリラックスできますから」
男性は私を小さな公園に案内した。幸い、私たちの他には誰もいない。日当たりの良いベンチに座る。
「申し遅れました。私は青沼と申します。青果店……いわゆる、八百屋さんですね。そこで店員として働いています」
「へぇ……店員を」
「ええ。あなたは……もう、名前は付けていらっしゃいますか?」
「いや、まだ」
「そうですか。人間社会で暮らすなら名前は必須ですからね。早めに付けておくことをおすすめします」
青沼、と名乗った男性は柔らかく微笑んだ。初対面なのに緊張が早く解けて、私は自然と砕けた口調で喋っていた。
「面倒くせぇとこだな。人間社会って」
「ふふ、そうですね。慣れてくると楽しいところですよ」
「……お前はもともと鳥なの?」
「ええ、そうです。あなたは……植物、でしょうか」
「ああ。ここじゃサラセニアって名前が付いてるらしい。食虫植物ってやつ」
「食虫植物……では、もしかして虫を食べていらっしゃる?」
「ああ、まぁ」
瞬間、青沼は目を輝かせた。
「私も虫が大好きなんです……!」
「あ、鳥って虫食うんだっけ」
「ええ。栄養満点で美味しいですよね」
「ああ。なんだっけ……タンパク質? たくさん入ってて美味いよな」
「ええ!」
同じように虫を美味しいと感じる存在と出会えたので、私は嬉しかった。
「こちらに来てからも、虫をよく食べるんですか?」
「いや、最近は人の方が多い」
「ああ、人が多いので人の目が気になって、虫捕まえにくくなっちゃいましたよね」
「それもあるけど、人の方がタンパク質多くて美味いから」
「ああ……ん? え? ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、待ってください」
それまで穏やかに話していた青沼が、動揺した様子を見せた。
「……人を、食べているんですか?」
「ああ」
「……どうして……え、だって、もともとは食虫植物だった訳ですから、虫を捕まえて、食べていたんでしょう?」
「そうだけど。空き巣が私の葉を切ろうとしたから、ムカついて捕虫葉の中に入れたら美味かったんだよ」
「それで、人を……?」
「ああ」
「そう、ですか……」
青沼はベンチから腰を上げ、私から少し離れて座った。引かれているのが分かった。
「……悪かったな」
「いえ、私が人と友好的に接したいというだけなので……お気になさらず。お互い主食は違いますけど、これからも、どうぞよろしくお願いします」
「ああ。よろしく」
私と青沼はお互いに微笑み合った。これが、親友との出会いだった。
「サラセさん、こんにちは」
私が店を始めてからも、彼はジュースの材料になるラズベリーやイチゴを持ってきてくれる。
「青沼。今日もありがと」
「どういたしまして。ジュースの売れ行きはどうですか?」
「結構売れてると思う。噂も順調に広まってきてるし、良い飯も喰えてるから」
「そうですか……なら、良かったです。食べ過ぎには気をつけてくださいね」
「分かってるよ」
私と青沼は、初めて出会ったあの日と同じように微笑み合った。
〈おしまい〉