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【小説】ある駅のジュース専門店 第39話「話し声」

 これはある年の八月、母と買い物に出かけて家に帰ろうとしていた時の話。
 町中からバスに乗り、自宅に一番近いバス停で降りてしばらく歩くと、背の高い木々に囲まれた石造りの大きな鳥居が見えてくる。
 そこは「開戸神社ひらきどじんじゃ」という神社で、日本神話に登場するイザナギの杖から生まれた神様を祀っているらしい。神社のそばには、かつてこの地域が村だった頃に入り口を守っていたという神様の石碑が建てられている。その石碑の管理も、開戸神社がしているのだという。
「もうそろそろ夏祭りの時期だね」
 鳥居の奥を覗き込みながら、母が言った。
「今年はやるっていってたし、お祭り始まったら行こうか」
「行く! ベビーカステラ食べたい」
あやは小さい頃からベビーカステラ好きだもんね」
「うん。ふわふわで甘くて美味しいし」
 話しながら神社の前を通り過ぎ、苔むした石碑に差し掛かった、その時だった。
「おさえさま、おさえさま」
 すぐ近くでひそひそと声が聞こえた。立ち止まって辺りを見回しても、私と母の他には誰もいない。
「綾? どうしたの?」
「え? う、ううん。なんでもない」
 母には聞こえていないようだった。
 その後も小さい子どものような声がひそひそと呼びかけ、途中から別の透き通った声が入ってくる。
「おさえさま。あのお守りを仕掛けてきました」
「そうか、ありがとう。急に頼んでしまってすまない」
「いえいえ。お力になれて嬉しいです」
「それで、彼奴の様子はどうだった?」
「お守りに気付いたようで、すごい不機嫌でした。ぼくは物陰に隠れて様子を伺っていたのですが、見つかって、叩き潰されそうになっちゃいました」
「そうか、君にも牙を剥いてきたか……怖かったろう。よく戻ってきてくれた」
「だって、ぼくはおさえさまのお使いを引き受けた身ですから。あそこで死ぬ訳にはいきません」
「ふふ、頼もしいな。これからも、何かあったらおつかいを頼んでもいいか?」
「はい! もうなんなりと、お申し付けください」
「ありがとう。よろしく頼む」
「しかし、おさえさま。これであの得体の知れない奴の行動は、少し抑制できるのでは?」
「そうだな。あの駅に来る者たちに警告できるようになった。ここは来てはならない場所であると」
「人間が駅名を言った時に、大きな雑音を入れるんですね?」
「ああ。それでも来てしまうのであれば、私が直接あの駅へ行って、迷い込んだ者を帰しに行こう。彼奴は人を招くのを得意としているようだからなかなか手強い。あれが、少しでも彼奴の妨げになると良いのだが……ん」
 そこで会話が途切れた。
「綾ーっ」
 母の声で我に帰り、走り出す。
「もう、どうしたのよ」
「ごめん。なんか、誰かが喋ってるのが聞こえて……」
「喋ってた?」
「うん」
 母と一緒に辺りを見回すが、やっぱり誰もいない。
「もしかして、おばけの声じゃない? 綾に聞いて欲しかったのかも」
 母はにやにやしながら両手を顔の前でだらりと下げてみせた。
「えー、やめてよー!」
「あははは、ごめんごめん」
 笑い合っているうちに自宅に着いた。手を洗って自分の部屋に入る頃には、あの声が話していた内容のことは、すっかり気にならなくなっていた。

                〈おしまい〉

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