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【小説】ある駅のジュース専門店 第2話「ネクタイ」

 よれよれのスーツを着た男は、途方に暮れていた。帰宅するために電車に乗ったは良いものの、居眠りのせいで、どうやら降りる駅を乗り過ごしてしまったらしい。そして辿り着いたのは、人の気配が全くない寂れた無人駅。携帯も繋がらないし、駅名を確認しようとしても、なんだか字がぐねぐねしていて読めない。さて、これからいったいどうしたものか。
 駅の構内を見回してみて、煌々と輝く明かりに気がついた。桃色や水色の鮮やかなネオン看板。多くのシャッターが降りている中、その店だけが開いている。
 男は店に近付いた。店内の照明も派手な桃色。若者の間で流行っていそうな雰囲気だ。
「いらっしゃいませー」
 奥から突然聞こえてきた声に「お、ぉ」とうめきを漏らすと、「あ、すいません。驚かせちゃって」と店員が歩み寄ってくる。
 その店員は黒いマスクに赤いシャツ、黒いネクタイ、黒いエプロンといった、これまた派手な服装だった。うなじ辺りまで伸ばした黒髪を片方の耳にかけ、金色のピアスまでしている。なんだこいつ、ガラの悪そうな奴だな。男はそう思いながらも、とりあえず店員に尋ねた。
「次の電車っていつ来るの?」
「電車? あー、あと四十分くらいですかね」
「四十分か……」
 帰るのが遅くなることを家族に連絡しようと携帯を取り出して、そうだ圏外だった、と肩を落とす。そんな男の様子を見て、店員は「お客さん、良かったらここで待ちます? うちの店、冷たいジュース売ってますけど」と持ちかけてきた。
「あ、あぁ……そうしようかな」
 男が頷くと、「ではこちらへ」とカウンターに案内された。席に着いたが、店内に漂う甘い香りが鼻をついて、どうも落ち着かない。辺りをきょろきょろ見回していると、「ラズベリーソーダとストロベリーソーダ、どちらにします?」と聞かれた。どちらも男には聞き馴染みがなかったが、とりあえず、比較的味が想像しやすいストロベリーソーダを注文した。
 何気なく目を逸らすと、カウンターの隅に置かれたかごが視界に入った。中には古めかしいお守りやハンカチが入っている。
「店員さん、これ、何?」
「あ、かごの中のやつですか? お土産みたいなもんですよ。全部無料なんで、どうぞご自由に持ってってください」
 そういうことなら、と男はかごに手を伸ばしてお守りを掴んだ。鞄にしまった瞬間、店員から「ストロベリーソーダです、どうぞ」と声をかけられた。
(え、もう出来たのかよ。早くない?)
 男は訝しげに眉をひそめつつ、差し出された容器を受け取ってストローに口を付ける。
「……うん、美味い」
 思わずそう口にすると、「気に入っていただけて良かったです」と店員が目を細めた。
「なんでこんな所で店やってんの? もっと町中まちなかでやればいいのに」
「この場所、ジメジメしてて好きなんですよ。人もあまり来なくて静かですし」
「あ、そう……」
 変わってるなぁ、と男が思っていると、店員が目を合わせて「やっぱり、そう思います? よく言われるんですよ」と言った。
「え……」
 心の中で思っただけで、口に出していないのに。男はなんとなく薄気味悪さを感じて、「じゃ、お、俺もう帰ろうかな」と席を立った。
「電車、まだ来てませんよ」
「ホ、ホームで、待ってるから。あと何分で来る?」
「あと五分くらいですかね」
 店員から時間を教えられた時、男は少し安心感を覚えた。そしてつい、悪い癖を出してしまった。
「そっかそっか、ありがと……この店、ジュースは美味かったけどさ。ちょっと居心地が悪くって落ち着けなかったんだよ。そもそも何だよ、アンタのその格好。派手すぎて、他のお客もきっと話しかけにくいと思うぞ」
「……あー、そうですかね? すみません」
「すみませんじゃねぇよ。こっちは疲れ果ててんだから、もっとマシな接客してくれねぇと困るんだよ……ああ、だから客が来ないんじゃないか? 客に対する態度がなってねぇもんな」
 男は笑いながら店を出ようとした。
「あの、お客さん。お代、まだ貰ってないんですけど」
「お代? ……いくらよ」
「五百円です」
「五百円⁉︎」男はわざと素っ頓狂な声を出した。
「ジュース一本でそんなにすんの? あんなのタダで良いんじゃねぇの?」
「え、払ってくれないんですか? お客さん、それはさすがに困りますよ」
「お前が困るか困らないかなんてどうでも良いんだよ、こっちは。だって金足りねぇんだから」
 男は、本当は札束が入っているはずの財布をわざと空にして、逆さに振ってみせた。
「いいだろ、早く帰らせてくれよ」
「……それ、他の所でもやってるんですか? 酷いですね」
「うるせぇ、客に対する態度じゃねぇだろ。なんで店員が客の言うこと聞けねぇんだよ!」
 バン! と男はカウンターを叩いた。
「……じゃあ、お代払う気は本当に、全く、ないんですね?」
「ああ、そうだよ」
「そうですか……なら、早く帰ってください」
(ん? 誰も呼ぼうとしねぇな……ここ、本当に駅員も警官もいねぇのかよ。じゃあ好都合だな)
 男は心の中でほくそ笑んだ。客という立場を利用して店に難癖をつけ、自分で代金を払わず出て行くのが彼の常套手段だった。
「ああ、言われなくても帰るよ!」
 男は勝ち誇ったように言いながら勢いよく出入り口の方を振り向いた。そして、小さく息を呑んだ。
「……お、おい。なんで勝手にシャッター閉めてんだよ。出られねぇだろ」
「だって電車、もう行っちゃいましたし。本当は今すぐ帰って欲しいんですけどね。あ、あともう四十分待ちます?」
 店員の言葉に、微かに馬鹿にしたような笑いが込められる。
「は⁉︎ お前……ふざけんな! 客が帰りてぇって言ってんだよ、開けろ!」
 男は興奮気味にシャッターを叩きながら声を上げた。しかし、店員がシャッターを開ける様子はない。
「……もしかして、まだ『お客様は神様』みたいな価値観持ってます? はは、いつの時代の人間だよ」
「おい! 笑ってねぇで早く開けろよ! なぁ‼︎」
「開けて欲しいならさっさと代金払ってくれます? たったの五百円ですよ。良い歳した社会人なのに悪い所探して騒ぎ立てて、恥ずかしくないんですか?」
「うるせぇ! お前にごちゃごちゃ言われる筋合いねぇんだよ‼︎ こんな店、びた一文も払わねぇからな‼︎」
「……そうですか。分かりました」
 耳元で聞こえる冷たい声に振り向くと、いつの間にか、カウンターにいたはずの店員がすぐ後ろに立っていた。
「な、なんだよ……っ⁉︎」
 文句を言おうと開いた口を塞がれる。それと同時に、辺りに立ち込める甘い香りがだんだんときつくなる。やがて激しい頭痛に襲われ、意識が遠のいて、男はその場に倒れ込んだ。
「代金払ってくれないと、本当に困るんですよ……食べるものに」
 店員は淡々と呟きながら、気を失った男の足首を掴んで、店の奥——バックヤードに引きずっていった。

 数十分後。店員はバックヤードから戻ってきて、何事も無かったかのように入り口のシャッターを開けた。
 カウンターの隅に置かれたかごには、先程までは無かったネクタイが入れられていた。

                〈おしまい〉

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