マスクが作るほどよい心の距離
決して叶わない事とは知りつつ私にはひとつの願いがある。家族とその周囲を除いて人と関わらなくて済む社会の実現だ。いろいろあって人と関係性を構築するのが怖かったり、面倒だったりするのだが、こんな考えをしている人はそれなりにいらっしゃるのではないだろうか。
身勝手な事を言っているかもしれないが、世界を襲った新型コロナウイルス感染症対策によって人々の行動が変わるだろうし、おさまりを見せない状態によって行動様式も変化するのでターニングポイントとなるのは間違いない。
日本のニュースでは7割がテレワークに進めていないと報告されていたが、それで簡単に決めつけないことだ。人は汚れるからシャワーを浴びるのを辞めたり、毎日腹が減るからといって食べることを辞めたりしない。
アフターコロナ、ウィズコロナいろいろあると思うが、新型コロナの次だって必ずある。必ずだ。それは温暖化によって溶け出した古代の人類には致命的なウイルスかもしれない。突然変異がもたらした凶悪なウイルスが猛威を振るうのかもしれない。
近いうちにマガジン「人生観に影響を与えた本」で紹介するが人類の進歩によって生み出された皮肉なウイルスかもしれない。
それでも人と人との触れ合いは無くなることはないだろう。暮らし方、働き方が変化するのは間違いないだろう。変化に耐えられるだけの技術はあるが人の保守的な気持ちが壁を感じているだけだ。
この先は人類が徐々に受け入れていくことになるんだろうが、スティーブジョブスが再発明をしてスマートフォンが世界の津々浦々まで一気に普及したように意外に一気に変わる可能性もあるだろう。
私はその世界を受け入れたい。そこでなら生きれると思うのだ。近年、敏感すぎる人々なんて本も読んだが、そういう人も生きやすい世の中になると良い。ちなみに私は逆の鈍感すぎる人間で生きにくいとは考えていないが、人生ハードモード過ぎて、周りにも心配や迷惑をかけるので生きてて良いのかと悩むことがある。
新型コロナウイルス感染症対策のひとつとしてマスクをすることがある。私にはマスクをする習慣が無かったので嫌だった。逮捕前にも自宅で仕事をしていたので、習慣が生まれなかった。妻のススメでスーパーなどに買い物へ行くときだけしている感じだった。
しかし、留置施設に入れられてマスクの着用を義務付けられたため、マスクを寝るとき以外、着用していたが意外な効能に気が付いた。こんな小さな布切れが人との距離を少しだけ広げて安心感をくれるのだ。
私の息子は学校でイジメにあっていた時にマスクを家でも外すことはなかった。今では彼も素敵な妻をみつけて結婚している。もう伊達マスクはしていない。きっと彼女との出会いによって彼の心は成長し、救われたのだろう。
彼が伊達マスクで心を守っていると考えていた頃(息子に聞いたわけではないので推測)、マスク着用に関する実証的研究の伊達マスクと呼ばれるマスク着用について心理学の視点から調べたことがある。
皆さんもご存じのようにマスクは不織布やガーゼ地で作られ、鼻および口を覆うことによって病菌や塵埃、花粉などを防ぐためのものである。しかしながら本来とは別の目的でマスクを着用しているのではないかと思われる例が特に大学生の間で頻繁に見受けられるようになっていたのだ。
インフルエンザの流行する時期でない真夏でもマスクを常時着用しているケースもあって調べてみると、そもそもマスクも非言語的コミュニケーションの中の人工品の一つとして分類されていたのだ。
要はこの分野からみると服装とかバッグ、眼鏡やネックレスなどの各種装飾品と同じように、それらの持ち物や身に着けた品物からさまざまなイメージとしてメッセージが相手に送られたり、受け取られたりするのだそうだ。
本来の健康上の理由から着用するのではなく、それ以外の目的で着用されるマスクを「伊達マスク」と呼ぶ傾向が定着しつつある。伊達メガネもファッションの一つとして定着しているがマスクを着けていることによって、相手に対し自分の印象をどのように発信したいのであろうか。
研究によると自己呈示の一般的な種類である「取り入り」「自己宣伝」「示
範」「威嚇」「哀願」などはどれも当てはまりにくいようである。しいて言えば相手からの同情や支援を引き出そうとする哀願が近いかもしれないらしいが、ことさら体調不良や病気がちであることを前面に示して哀れみや支援を取り付けようとしている様子はうかがえないとのこと。
反対に自他の健康のために誠実にマスクをかけて周囲から立派な心掛けの人だと認められたいというような積極的な動機もみられず、むしろマスクに関心を寄せられたり注目されたりするのを避けようとしている消極逃避的な姿勢が感じられるようだ。
つまりマスク着用によって自己に関する特定の印象を強く相手に刻み付けようという目的意識は希薄であって、反対に特別な印象を与えたくないという気持ちのほうが強いのではないかと考えられ、マスクには自己呈示としての明確な意味合いはほとんどなさそうである。
顔を隠したい、目立ちたくない、人との距離を作りたいというのが本質かもしれない。マスクも進化していくだろう。宣伝販売時などに利用されてきた透明のプラスティック素材のもあるが、光学式のマスクなんかもでてくるかもね。
そうなると素顔に変化を与えるのが容易になるので顔を全体を覆うマスクになったりして。化粧も必要無くなるし、それこそ生活様式が変わってくる未来がやってくるかもしれない。