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君も、飛べる。
2024年振り返り
2024年12月某日、私は2024年を振り返りつつ、2025年はどんな年にしていきたいか思索を巡らせていた。
2024年の個人テーマを2023年末に「駆け上がる」と決め、1年を駆け抜けてきた。このテーマは仕事面はもちろんのこと、ライフステージを次の段階へ進めることを目指し、”人生の階段を駆け上がる” イメージを持って掲げたもの。
人生の階段のイメージとしては、ポケットモンスターダイヤモンド、パールに登場するマップ ”やりのはしら” にて「てんかいのふえ」というアイテムを使うことで出現する階段のようなものを想像していた。その階段を駆け上がることでアルセウスと対峙するみたいな、そんな展開が2025年を迎える頃に待ち受けているといいなと思っていた。
そんなことを思いながら2024年の上半期を過ごすうちに、”階段を登った先には何も待っていないんじゃないか” ということを考えるようになり、踊り場で足踏みするようになってしまった。
気づいてしまったのだ、”階段をどれだけ進んでも、この先にアルセウスはいない” と。
仕事を頑張って昇給しても生活は苦しい、手取りは全然増えない現実。マッチングアプリで出会った方とお付き合いを始めたものの何かが違うという違和感。そんな要因が同時期に重なって、階段を上がろうとするモチベーションが著しく低下してしまいました。
『何のために頑張るのか。どこに向かって頑張っていけばいいのか』を見失った私は、”そもそも私自身が登りたい階段ってなんなんだろう”という哲学的な問いに辿り着き、人生の迷子になってしまったのです。ダイパでいうなら、”もどりのどうくつ”という感じでしょうか。
どうしようもない資本主義の話
※ここから綴る話は、誰にも話したことがない話です。話したところで、わかってくれる人は少ないだろうし、わかってくれたとてどうしようもないから話さなかった話です。
備忘録として、書き留めておきたいだけなので、楽しい話だけ読みたい人は次のチャートまで飛ばしてください。このチャートを読むと、読後感として私のことを嫌いになるか、好きになるか極端に分かれると思うので、、、FPPとして、Flyersの歌詞の話だけ読みたい人は飛ばしてください。私のことをフラットに見れなくなるかもしれない話なんで、、、。
どこを目指して頑張ればいいのか行き先を見失った私は、本を読んだら答えが書いてあるんじゃないかと思って、たくさん本を読みました。しかし、しっくりくる答えはなく、社会情勢なんかも踏まえた上で一つの結論に辿り着きました。
資本主義が行き過ぎている。さらなる利益を求めて、過剰な要求が行われるようになった現代資本主義には耐えられない。こんなところに階段はない。階段があると思っていることすら、資本主義社会が生み出した幻想。資本主義構造が生み出したイデオロギーの産物だと気づいてしまったのです。
そう思い出したからには、”こんな社会やってられない”と思いつつ、お金がないと生活ができないから働き続ける。現実ってのは、そんなもんです。
だけど、働き続けて給与でお金をもらうという労働者側の資本主義構造自体にも疑問を持つようになり、いろんな限界を感じるようになりました。
そんなことを考えながら過ごすうちに”あぁー狂ってる”って思いながら過ごすようになりました。
世の中は仕事で回っている。純粋なクリエイティブの結果、対価としてお金のやりとりが発生するというのならいいが、そんな純粋なものだけが生きて、食っていけるような社会じゃない。どこをみても、資本主義の”金儲けの匂いがぷんぷんする”社会なんだ現実は。残念ながら。抗えない。巨大資本には太刀打ちできない。
安いから買う。そうしないと生活が回らない。安いものを作って、売れるのは巨大資本があるからで、どこかでコストを抑えるために誰かの生活が犠牲になっている。その循環でこの社会はできている。なんて残酷な社会なんだ。でも、その恩恵を受けてしまっている。みんな共犯なんだ。抜け出せない。どこの誰だか知らない奴にマーケティングなんて言葉で、欲望を駆り立てられ、人生の短い時間を搾り取られる。それを仕事という名目で誰かがやっている。そういう社会なんだよ。囚人のジレンマだ。抜け出せない。社会一般として、仕事の愚痴はよく聞くし、みんな辞めたいと口をそろえる。だけど、人の欲望を駆り立てて、利益を上げなければいけない。利益至上主義。誰が得してんだろう。ほんとに。
そんなことをぐだぐだ考えるうちに、「心から欲しいものなんて本当はないんじゃないかと思うし、趣味すらも資本主義の産物で、心からしたいことなんて本当はないんだ。全ては幻想なんだ」そう思った。
やりたいことがあって、欲しいものに溢れている資本主義社会を楽しめている人が羨ましい。皮肉ではなく、本当にそう思う。残念ながら私には、資本主義を最大限楽しむ才能がなかった。(正確には、楽しみ方を見つけられていないだけかもしれない。)
「Partyはどこへ行った?」って? Partyなんて幻想だったんだ。そう思った。でもそんな現実は辛すぎるから、みんなPartyを作って楽しむんだ。そうも思った。現実が辛すぎるから、無理矢理楽しみを作って生きていく。そうしてるんだよみんな。
2025年のテーマ
紆余曲折あって、階段の行く先を見失い、暗闇の洞窟で迷子になった私の心は、行き過ぎた資本主義社会の構造から抜け出すことでしか根本的に救われない気がする。そう思った。だけど、私だけの力では、どうすることもできない。すごく無力で悲しかった。
世の中結局、金。金がないと、自由がない。金が有り余るほどの贅沢がしたいわけじゃないんだ。ただ、自由が欲しい。それだけ。
ただ、それだけなのに、社会の入れ子構造が凄すぎて、どうしたらいいのかわからない。さてどうしようか、、、と思っているうちに2024年は年末になった。
2024年の年末ということは2025年のテーマを考える時期ということになる。テーマ案としては、いろいろ候補があった「New Me」「生まれ変わる」「人生の行き先を決める」などなど。
いろいろ考えたうえで、私は2025年のテーマを「新世界へ -It's a new wolrd-」と決めた。このテーマは曲の歌詞から引用したもので、1つはBRADIO「Flyers」、2つ目はEOW「NEO」でどちらもサビからの引用である。
2025年を迎えた今、リリースから10年を迎えようとしているBRADIOとの出会いの曲「Flyers」に改めて向き合いたいと思う。当時のインタビュー記事で語られていたように”挑戦者”の意味が込められたこの曲。新世界への挑戦者として、2025年をサバイブしていくために、年初めの今、じっくり向き合います。
Flyers
まずはこの曲を象徴するようなイントロ部分。トランペットメロディーが印象的で、開幕感をすごく感じる。近年の曲だと「ソウル・ギャラクシー」に似た雰囲気。こちらもアニメオープニングで開幕感を感じる一曲だ。
ケツイの話
少し本筋の話から脱線して、アルバム「Joyful Style」に収録されている『ケツイ』という曲の話をしようと思う。
あの時やらなかったことで今を嘆いてみては
そうやって今日も 後悔の上に立つ
この歌詞をライブで聞いて、「Flyersを弾いてみたくてギターを始めたんだ」という初心を思い出した。Flyersのギターソロって、素人が聞いても難しいとわかるソロで(だからこそかっこいいんだけど)、俺なんかじゃ弾けないだろうと思っていた。だけど「ケツイ」を聞いて、軽音サークルでバンドを組んで音を鳴らせる今それをやらないで、このまま卒業してしまったら後々”あの時やらなかったことをずっと嘆いて、今日も後悔の上に立つ”人生になってしまうんじゃないか。と気付かされた。
最初から最後までかっこよくなくてもいいから僕を証明したい
何度でも 何度でも 奮い立つような思いを胸に この胸に
自分に勝って新しい未来があるんだと思えた
完璧に弾けなくても、最初から最後までかっこよく弾けなくてもそれでもいいからバンドで、ギターでFlyersをやりたい。この気持ちと向き合わなきゃ「新しい未来」はない。そう思って、友達を誘ってバンドを組んだ。
初めて、部室でFlyersを練習したとき、イントロの1音目をみんなで合わせて鳴らした時。すごく感動したのを覚えている。「嗚呼、Flyersだ」と。
イントロだけで満足してしまえるほど、バンドで、ギターで、Flyersができたことが嬉しかった。Flyersのイントロには、すごくパワーがある。そう思った。
Flyersの話
そんなFlyersのイントロはこの曲の原形に当たる部分で、デモの段階ではどうしようもないと言われていた部分という話がインタビューにあった。
デモ音源の段階では、”どうしようもない” と思っていた曲のCDオビには
「君も、飛べる。」とそう書いてある。挑戦者という意味がタイトルに込められているとのことなので、リスナーに向けた言葉であることは間違いないんだけど、インタビューを読んだ上でこのメッセージを読むと、どうしようもなかった「デモ音源、君も飛べる。」そう言っているようにも思える。
この曲をきっかけに昨年にはチリ、フィリピンと海外公演も行っており、文字通りこの曲をきっかけに海の外まで飛んで行った。もうすぐ発売から10年(ということは私がBRADIOと出会って、10年。同じタイミングでBRADIOを知った人はきっと多いと思う)、今でもBRADIOの代表曲であるこの曲が持っているパワーは計り知れない。
こうなったらいいなの妄想と現実に
一石を投じて個性を磨け
抱え悩む難題をまた一つ消去
アタマからケツまでそれが我が人生
「こうなったらいいなの妄想」ってのは大小たくさんあると思う。職業を指して、〇〇になりたい。〇〇が欲しい。〇〇できたらいいな。こういうのは漠然とした願い。将来の夢というのも「こうなったらいいなの妄想」ですよね。それに対して、現実。理想と現実なんて言葉もありますが、理想を描いているだけでも、現実と向き合うだけでも実はダメで、現実と理想を線で結んで、理想として描いた未来を現実にしていく必要がある。そのためには現実に一石を投じていけと言っている。そうやって現実の難題を1つずつクリアしていって、理想に近づけていく。それが我が人生。
理想に向かって、現実を変えていく。そうすると理想だと思っていたものが現実になっていく。そうなると理想を描いていた段階では見えていなかった現実の嫌な側面が見えて、また新しい理想が生まれる。この繰り返し。際限がないグラデーションの中に生きている。
個性を磨くというのも昔の自分だったら、尖って個性を過剰に出すことを個性だと思っていたんですけど、今では考え方が変わって、その人から滲み出る魅力みたいなものが個性だと思っていて、”自分らしく生きるために一石を投じる→個性が磨かれる”という感じがします。そうやって一石を投じ続ける、アタマ=生を受けたとき、からケツ=死を迎える時まで一つずつ理想に向かって個性を磨き続ける行為、一生続く妄想と現実の間を行き来するグラデーション、それが人生。
2025年年初めの今、これからをどう生きようか。考えさせられますね。
Boom, Boom, boom, dancing through the skies
この歌詞、skyじゃなくてskiesなのがこの歌詞で大事なんじゃないかと思うんです。空に奥行きが出ていること。それが大事。
この後ろで鳴っているギターのカッティングリフがかっこいい。バックで流れているコードはこれまでと変わっていないのに、カッティングリフがここに乗っかることで、疾走感がブーストされる。
まだ死んじゃいないさ 紐解いた将来は
大地蹴っ飛ばして もっと舞い上がって
「やらなきゃ病」で山積みの問題も
もっと悪あがいて 正体を暴いて
アタマからケツまでが我が人生ということは、今を生きている私からすれば、まだケツには達していないから「まだ死んでいない」し、現在からケツまでの間には期間がある。こうなったらいいなの妄想に向けて、現実の抱え悩む難題を紐解きながら理想の将来を掴み取っていく。
翼生やして、大空を舞い上がるために、大地を蹴っ飛ばして、もっと舞い上がる。サビに向けた助走としては最高の盛り上がりですよね。
2Bの歌詞で出てくる「やらなきゃ病」は気づかないうちに患ってる気がするんですよ。理想に向けて一石を投じたいけど、、、現実のやらなきゃいけない課題、世間一般の価値観からくるやらなきゃいけないこと。日常の家事。大人になると増える責任。やりたくないけどやらなきゃいけないこと。歳を重ねるごとに増えてる気がします「やらなきゃ病」。もう山積み過ぎて「抱え悩む難題をまた一つ消去」とかってスピードじゃ対処できないくらい膨大に抱えてしまっている。
もっと悪あがいて、やらなきゃ病の正体を暴いていけば、やらなきゃ病なんてものは幻想でしかないと気づける。(一般的な価値観で生き続けるなら抜け出せない気はするけど、、、物事って切り取り方のバリエーションってことですよね。)
大地蹴っ飛ばして、こうなったらいいなの妄想に向けて羽ばたくには、やらなきゃ病から抜け出さなきゃいけない。「ケツイ」でも言ってる『この僕が僕でいることを決して諦めない そう思えばまた始まる』って。僕でいることを諦めないためにも世の中さんが理不尽に仕掛けてくる「やらなきゃいけないと思わされている幻想」の正体を暴いて、僕らしく自由に生きたい。そんな2025年にしたい。
もどかしくて もうどうかしている
無我夢中になれるものがほしい
不甲斐ない 秀でてないなんて 可愛くないね
コンプレックスは逆手にとってオリジナリティ
無我夢中になれるものがほしいって心から思う。そんなものいくら探しても見つからなくて本当に困っている。「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったもので、好きなことを努力だと思わず、ただ楽しいで続けられる人はその分野で大成しやすいと思う。そのきっかけが欲しい。チャンスが来た時に掴めるところにいたい。本を読むと大体、成功者の成功話を n=1 で語ってくるし、背後から読み取れる環境要因や努力することに意義を見出せる動機がちゃんとある。そんな動機が私には、まだない。昔は漠然とあったかもしれないけど、もう忘れてしまった。
趣味や仕事をお金が儲かるみたいな動機で始めて、転職・副業なんてことをやってみても、心から無我夢中になれることでない限りは根本解決にはならないし、同じことを繰り返してしまうんだろうな……と思ってしまう。
そんな思いもはいわば”コンプレックス”ですよね。そういうものも逆手にとればオリジナリティ=個性ってことで、その個性をどう生かすかってことですよね。自分自身では、不甲斐ない秀でてないなんて思っていても、周りからすれば才能みたいなこともありますし、何か自分に才能があるならそれを伸ばしていきたい。
素晴らしすぎる未来へ自分で作った壁を超えていきたい。
見てみたいな 夢中になれる君
今だ成長期 新世界へ
きっとなれるさなりたい自分に
探せ you're the one 大舞台へ
サビの冒頭で「手をあげろ(翼を広げろ)、さぁ飛ぶんだ」みたいなニュアンスの後にくる「見てみたいな 夢中になれる君」という歌詞。
この歌詞は先ほども紹介した2Bに出てくる「無我夢中になれるものがほしい」にかかっているんじゃないかと思うんです。無我夢中になれるものが欲しいって言ってる人に「夢中になっている君を見てみたいな」と言っている。すごくBRADIOの歌詞みありますよね。お節介感がめっちゃBRADIOを感じます。
今だ成長期の「今だ」は「未だ」と掛けた言葉だと思うんですよ。抱え悩む難題を消去して成長続けている今という時間が将来へつながるというニュアンスと「まだ死んじゃいないさ 紐解いた将来は」というように将来から見ればまだ成長期だぞというダブルミーニングな気がします。
意図したものかはわかりませんが、BRADIOには「未だ」で「新世界」が出てくる歌詞もあるんです。
何処までも Tonight
手を伸ばせ 未だ見ぬ新世界へ
満たされていないのは 自分の事に誇りを持ってるから
何処までもTonightとあるようにアタマからケツまで何もしないままの現実も一石を投じて悪あがいている状態の現実もどちらもTonightなんですよ。死ぬまで何処までも地続きで繋がっている現実なんですよ。それなら手を伸ばして、新世界へ向かって手を伸ばす方がいい。満たされていないのは満ち足りた状態に向けて手を伸ばせる自分だからっていう考え方いいですよね。
きっとなれるんですよ、なりたい自分に。だから You're the one を探せと言ってるんでしょう。きっと。信じて貫け、大舞台へ。
Flyin' 忘れてた Flyin’ 記憶の中で
もう一度 胸の高鳴りを聞け
「忘れてた記憶の中で、もう一度胸の高鳴りを聞け」ってすごく熱いメッセージですよね。年末年始で帰省していた時にこのメッセージを喰らったので、すごく刺さりました。地元で長時間過ごすと忘れてた記憶って蘇るんですね。いいことも悪いことも。(過去の記憶が今も尾を引いています笑)
社会人になって忘れていた思いにもう一度耳を傾け、胸の高鳴りを聞いて2025年を生きようと決心しました。何処までもTonightであるからこその「未だ見ぬ新世界へ」今から進んでいきたいなと思いました。2025年を飛躍の年にしようというケツイを胸にこの文を締めさせてもらおうと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。本年もよろしくお願いします。