里山という「あわい」で暮らすこと / 僕が移住前に知らなかったこと
岐阜もだいぶ暖かくなってきた。
だんだんと雪が溶けて、たまに温かい風がそよそよと吹いてきて、まさに「春の足音」が近づいてくるのを肌で感じる。
最近はもう雪景色には見慣れてしまっているし、毎日寒くて凍える日々には困っているのだけど、こうなってくると、「ああ、冬が終わってしまうのだな」という寂しさもどこかにある。
今日は、岐阜に移住してすぐの頃に、気づいたことについて。
ざっくり言うと、「里山」って結局なんなのか。
町でもない、森でもない。
その謎多い存在についてのおぼえがきである。
みなさんは、「里山」というと、どんなイメージがあるだろうか?
週末キャンプ生活
僕は移住した当初というか、その少し前くらいから、キャンプや焚き火にハマっていた。
キャンプブームも今となってはもう懐かしい。
ちなみに僕はその中でも、ソロキャンプや、ブッシュクラフトといわれるような、基本的に一人で、なるべく道具を持ち込まず、自然にあるものを活用しながら外で過ごすミニマルなスタイルのキャンプを好んでいた。
道具は使わないと言いながら、いろいろとソロキャンプ関連グッズを買い揃えていた。
東京に住んでいた頃は、毎週末、どこかのキャンプ場によく通っていた。
お気に入りは、富士五湖の、湖畔沿いにあるキャンプ場だった。
車で片道2時間近くかけて、帰り道には渋滞にはまったりしながら、通っていた。今考えるとちょっとクレイジーというか、不思議なくらいの労力だったけれど、それが当たり前だった。
知っての通り、都会にはちょっとした焚き火すらも、できる場所なんてない。僕らが生まれた頃(1990年前後)は、公園でおじさんが落ち葉を集めて、焼き芋を焼いていたはずではなかったのか。
里山での現実
だから移住してきた当初、僕からすると、今住んでいるこの岐阜の里山は、周りは見渡す限り山ばかり。もう嬉しくて仕方がなかった。
「どこでもキャンプと焚き火ができるじゃないか!」という興奮でいっぱいだった。
でも、現実は違っていた。
なぜかというと、すごく当たり前のことだけれど、この周りを囲っている山々は、その全てが例外なく、誰かの所有している土地だからだ。
それを知らずに他人の土地で勝手に野宿したり、焚き火したりすることはもちろんすべきではないし、田舎というのは面白いくらい、誰もいないように見えて、常にどこかで誰かが、集落を通る人や車を見ている。
そして噂もすぐに広まる。監視がどうのではなく、田舎の集落というコミュニティはそういう協力体制で成り立っているのだ。そもそも、顔見知りの人や、見たことある車が数台あるだけのコミュニティなので、外部の、見たことのない人や車はとても珍しく、イヤでも目に入る。
(たまに車検で、代車に乗って集落を通るだけでも、隣人によく珍しい目で見られる。「誰か来とるんか?」と聞かれたり。)
そんな環境で、移住者である僕が、好き勝手キャンプや焚き火をできるはずもなかった。
ちなみに「河原」に関しては国の土地なので例外だが、河原に至るまでの道には、たいてい誰かの持っている森とか、土地を抜けないといけない。
この山に囲まれた地形(中山間地という)では、川といっても、いわゆる「渓流」なので、道路からの高低差がある。
道路からそのままアプローチできる河原というのは、意外とレアな存在なのだ。(そういうところは当然、他人もよく遊びにくる)
***
まあただ、僕の場合は、地元の人と幸いにも繋がることができて、中には山を持っている地主さんもいらっしゃるので、実際にはキャンプしたり、ちょっと焚き火しに行ったりする場所はある。
そもそも、自分の家の前でいくら焚き火をしても、誰にも咎められることなんてない。自分で薪を割って、焚き付けを集めてきて、気が済むまで焚き火ができる。
その意味では、やはり最高の環境なのだ。
移住の理由を振り返る
ただ、今になってもちょっとだけ違和感が残っていることもある。
それは、そもそも何で僕がキャンプにはまっていたか、そしてなぜ移住したのかということに関係している。
僕の移住のモチベーションは、決して「スローライフ」を田舎で送りたいというものではなかった。
都会の暮らしに、なにか違和感を感じたというのは確かにあるのだけれど、一番の理由は、広大な自然(ワイルド)の中に、都会では決して味わえない、自由とか、旅とか、新しい発見とかってというものを見つけたくて、それを期待してやってきたのだ。
だから、移住とはある意味で、キャンプの延長線上にあったと言ってしまってもいい。
ちなみに「180° south」という映画があって、パタゴニアの創業者、ノースフェイスの創業者というすごい2人の旅を、また別の若者が辿る様子をおさめたドキュメンタリーフィルムだ。
僕は学生の頃からこれにすごく感化されていて、そこで描かれていたような自由とか、旅とか、発見、あるいは人間らしい生き方というものに、すごく憧れていた。
映画の終盤、イヴォンが焚き火を見つめて、焼けた貝の汁をすすりながら、こう言う。
僕も、こんな感想がポロッと出るような生き方をしたいと今も思う。
里山という場所の本質
さて実際、僕が移住したこの岐阜の「里山」でも、そういう生き方、あるいはそういう場所は見つけることはできる。
ただ、こうして移住当初のことを思い返すと、僕はそもそも「里山」というもののことをよく分かっていなかった、ということが今になって理解できる。
つまり、「里山」というのは、人が住む「町」と、動物たちや神様たちが住む「奥山」という場所の境界線、その「はざま(あわい)」にある接点なのだ。
そこで人と自然、動物、あるいは神様たちが共生して、仲良く、協力して暮らしていける環境を、人間は縄文時代からコツコツと作り上げてきた。
だからここでは人間が利益や欲求のために好き勝手することは許されないし、一方で動物たちが荒らすこともない。
(近年、人口減少や高齢化によってこの里山が機能しなくなり、境界線が侵され、山も、人里も荒れていくという現実をあらためて認識しなくてはならない。)
そういうエリアに、僕は移住してきたということに、僕は恥ずかしながら後から気づいたのである。
***
もちろん、この「里山」というのは実際住んでみると、それはそれで色々な発見があって面白い。
それはまさにこのブログで僕が発信していることであり、最終的に映像というメディアで僕が届けたいと思っている「物語」に、その本質を込めたい。
でも、僕が移住前に期待していたような、広大な自然(ワイルド、もしくはワンダー、ネイチャー)というものは、そもそも人間が住めないような「奥山」のもっと奥のエリアにある。
つまり地方と一言でいっても、そこにはレイヤーというか、グラデーションがある。
その違いや事実を、僕は後になってから知った。
もちろん地方移住によって、そういうワイルドなエリアに足を運ぶことは、容易になったので、後悔はない。
ただ不思議なことに、いざ移住してみると、そういう場所にわざわざ足を運ばなくなってしまっていることもまた事実ではある。
子育て中というのもあるけど、もしかしたらいつでも行けるとなると、逆にフットワークが重くなっているのかもしれない。あるいは、里山でも得られるネイチャーに、自分の体が順応してしまったのかもしれない。
このことについては、また改めて考えていく必要がありそうだ。
***
<プロフィール>
シンディ / Hiroaki Shindo
映像作家・写真家。東京で映像プロダクションに勤めた後、2020年、東京から岐阜に移住。里山をフィールドに自然農の米作り、古民家ゲストハウス、自然体験ガイド、子育てなどを礎に活動を続ける。
個人のテーマとしてこれからの豊かな「人間らしい生き方」を、さらに里山エリアの地域文化や自然環境、共感するプロジェクトにおいて、身の回りのまだ紡がれていない「物語」を探究・表現することで、誰かの人生を少しでも豊かにする体験を提供している。
映像においてはドキュメンタリーでありながら、視聴者をのめり込ませ、感情を揺さぶるシネマティックな表現を追究している。
<映像制作のご依頼>
企業やプロジェクトが持つ、伝えたい物語を一緒に見つけ、届けるお手伝いをします。ポートフォリオ、お問い合わせはこちら。
<里山の暮らし・あそびを体験できるお宿>
古民家ゲストハウス 源右衛門 -Gennemon- の詳細・ご予約はこちら。
<その他>
Instagram や X では日々のイメージの記録を。
stand.fm で音声配信もはじめました(平日はほぼ毎日放送中)。
noteでは引き続き、日々の活動を文章と写真で綴っていきます。
今後も応援を宜しくお願いします。