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移住して、季節を肌で感じるようになった。

最近、東京と岐阜の気温差に驚かされる日々が続いてる。

天気アプリで見ると、東京が10度、15度とこの季節にしては驚くような暖かい日が続いているのに対して、僕の住む岐阜の里山では、いまだに最高気温が2度や3度、最低気温がマイナス5度、8度と続く日も珍しくない。

この極端な気温差に「羨ましいな〜」と素直に思ってしまう一方で、さすがに地球が心配になる。

今日は、移住してまもなく5年になる僕の中で、ずっと感じている気づきについて。

都会での季節感

東京で暮らしていた頃を思い返してみると、確かに季節の変化は感じていた。寒くなってきたな、暑くなってきたな、と。

特に夏の暑さは、みなさんご存知のように、街中を歩いているだけでも否が応でも実感する。

でも、家と電車と会社の中で毎日を過ごしていると、外の世界がどのように変化していっているのか、その繊細な移ろいを感じ取ることは難しかった。

冬と夏の極端な気温の変化は分かりやすいけれど、春が来たな、秋が深まってきたな、というような微妙な季節の変わり目は、どこか他人事のように過ぎ去っていった気がする。

里山で感じる自然の変化

移住してからは段々と、そうした季節の移り変わりを、まるで体の一部のように感じられるようになってきた。

それは単に気温の変化だけではなく、五感全てを通して感じる自然からのメッセージだった。

たとえば、山の色の変化は、一年を通して最も印象的な自然のショーだと言える。

春が来ると、山々は薄い新緑に包まれ、見ているだけで心が洗われるような気持ちよさがある。

夏が近づくにつれて、その緑は徐々に濃さを増していく。

そして秋になると紅葉が始まり、やがてそれも剥がれ落ちて、茶色の山肌が露わになる。

最後に雪が降り積もり、真っ白な冬の装いへと変わっていく。そんな風にしてまた次へ繋がっていく、サイクルそのものがとても美しい。

ぜひ一度、この緑をその目で見てほしい。
移住して、本当によく空を見上げるようになった。

生き物たちが教えてくれる季節の訪れ

里山の生き物たちとの日々の出会いも、季節を感じる大切な機会となっている。

春が近づくと、ウグイスの鳴き声が少しずつ聞こえ始める。

梅雨時期になると、カエルの子供たちが次々と生まれ、その鳴き声が夜の静けさを賑やかに彩る。はじめて聞いた人は、うるさくて眠れないレベルだ。

6月から7月には蛍が舞い、夏の到来を告げるセミの声。

セミの声が徐々に弱まっていく様子からも、夏の終わりを感じ取ることができる。家の前で、寿命を迎えようとしているセミを見かけると、また一つの季節が過ぎ去ろうとしていることを実感する。

秋になると山で鹿が求愛する鳴き声が響き渡る。これが聞こえたら、山で猟がはじまる合図だ。

冬になると、不思議なことに山であそぶ猿もよく見かけるようになる。

空と風が語りかける物語

季節の変化は、空の様子からも読み取れるようになった。

夏の入道雲、秋の薄曇り、冬の真っ白な空。
それぞれの季節特有の表情がある。

風の匂いや湿り気からも、雨の予感や、季節の移ろいを感じられるようになった。焚き火のケムリの立ち方一つとっても、気圧によって変化するそれが、明日の天気を予測する手がかりになると、山のプロが教えてくれた。

暮らしの中で紡がれる季節の営み

まだまだある。

田舎での暮らしは、季節によって全ての作業が決まっているので、そこからも否が応でも季節を感じさせられることになる。

たとえば田んぼの仕事。

春が来て、まもなく稲作がはじまる冬眠明けの田んぼ。
代(しろ)かきを終え、水を張った田植え直前の田んぼ。この景色は田植え前の1-2週間くらいしか見られない。里山で僕が一番好きな光景。

5月頃の田植えから始まり、夏場の除草や水の管理、そして秋の収穫へと続く。稲作をやる人なら分かる通り、暑い日には田んぼの水を多めにして、稲が暑さで弱らないように気を配る。収穫が終われば、来年のための土づくりがはじまり、田んぼは雪の中で暫し眠りにつく。

こうした作業の一つ一つが、季節の移ろいと密接に結びついている。

神社のお祭りや行事も、季節のリズムに沿って行われる例だろう。春には田植えを前に豊作を祈り、秋には収穫への感謝を捧げ、祭りを執り行い、新米で作った甘酒をみんなで味わう。うちではよく、年末に餅をつく。

食を通じて感じる季節の恵み

都会では、スーパーで一年中どんな野菜や果物でも手に入れることができるイメージが染み付いていた。

でも里山に住むようになって、旬の食材を味わうことの大切さを実感するようになった。道の駅に並ぶ、そのとき、その朝に採れた野菜や果物を眺めることで、季節の移り変わりを感じられる。

もうすぐ春になれば、その訪れを象徴するフキノトウが売店に並び始めるだろう。まあ、その辺の道端でいくらでも採れるのだけど。

これはだいぶ時間が経ってホウけてきた(開いてきた)道端のフキ。春が待ち遠しい。

春の山菜や野草、冬の鹿肉など、その土地その時期ならではの食材を食べること、さらにどう調理するか、保存するかということにおいて、その土地で脈々と続いてきた人々の暮らしの知恵が詰まっている。

移住してこれまで聞いたり、映像で紡いできたこのような話については、まだまだディープな面白さがあるので、どこかでまた深掘りしたい。

おわりに

里山暮らしで、季節との向き合い方が大きく変わった。

それは単に自然を眺めるだけの関係ではなく、自然の営みやリズムを自分の体と心で感じ、謙虚に従いながら、共に生きていく関係である。

そんな暮らし方の中に、僕たちが忘れかけていた大切なものが隠されているような気がしている。

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<プロフィール>
シンディ / Hiroaki Shindo
映像作家・写真家。東京で映像プロダクションに勤めた後、2020年、東京から岐阜に移住。里山をフィールドに自然農の米作り、古民家ゲストハウス、自然体験ガイド、子育てなどを礎に活動を続ける。
個人のテーマとしてこれからの豊かな「人間らしい生き方」を、さらに里山の地域文化や自然環境、共感するプロジェクトなど、身の回りのまだ紡がれていない「物語」を探究・表現することで、誰かの人生を少しでも豊かにする体験を提供している。
特に映像においては、ドキュメンタリーでありながら視聴者をのめり込ませ、感情を揺さぶるシネマティックな表現を追究している。

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