なまんだなまんだ
毎朝仏壇に手を合わせる。
軸に描かれた阿弥陀如来は
どこか愛らしく、幼子のようでもある。
実家を解体した時、和室の欄間や
ふすまが取り外されていくのを
名残り惜しい気持ちで眺めた。
仏壇じまいが終わり
仏壇がなくなった空洞を見た時
もう本当にいないんだなと
喪失感がのしかかってきた。
金色に光る燭台や、
雲の上に舞う飛天の彫刻
住職が読むお経の調べを聴きながら
吸い込まれるように、見入ったこと
がまるで昨日のことのようだ。
今でも目に浮かぶ、生家の情景は
仏壇の鈍い金色の光に、
手を合わせる母の背中だ。
小学生の宿題に
教科書の“本読み“というのがあった。
靴下に穴ばかりあけることに
母は不満を漏らしながら、顔をしかめて
仏間で繕い物をする。
「読むよ。お母さん聴いててね」
今でもそらんじることができる。
“一つの花“
戦時下で、食物に事欠き
いつもおなかを空かせているゆみこ。
「ひとつだけちょうだい」
おやつのさつまいもはひとつしかない。
母親はいつも、自分の分を
ねだる娘に与える。
娘は知っているのだろう。
“ひとつだけちょうだい“といえば
“ひとつだけなら“与えてもらえることを。
戦争は、とうとうゆみこの家にも
やってきた。
お父さんが出征する。
戦地へ赴く意味を、幼い娘は知らない。
出征する汽車を待つ時間
ゆみこは駄々をこね、母を困らせる。
ひとつだけ、ひとつだけ
軍服のお父さんは
駅のホームの片隅に咲く花を
母に抱かれるゆみこに握らせる
「ゆみこ、ひとつだけあげよう。
ひとつだけの花。大事にするんだよ」
このくだりを読む時
ぼくはいつも声がうわずり、ふるえ
鼻をすすってしまう。
母は必ず、そんな時
繕いものの手を止めて
背中を丸めて、仏壇の方を向いていた。
今思えば、手を合わせていたように思う。
母は何を想っていたろう。
寡黙で語ることが少なかった母と
小さくなった、真新しい仏壇越しに
話をする。
母は恥ずかしそうに目をそらし
うつむいている。
あの時、何をしていたの
問いかけに母ははにかむばかりで
答えない。
おりんを鳴らして、阿弥陀さまに
あいさつをする。
阿弥陀さまははにかんで
笑っているようにみえる。
浄土真宗では、
お浄土に生まれ変わった魂は
阿弥陀如来の弟子になるのだそうだ。
逢えなくなった人たちと
語らう時間はいいものだ。
手を合わせる時、懐かしい人たちに
再会している。
なまんだなまんだ
おはよう、今日もよろしく
なまんだなまんだ
おやすみ、また明日