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延命拒否と最悪感という呪い

もしもの時は、あなたが延命拒否を伝えてね。」なぜか私だけに、
口癖のようにそう言っていた祖母。それが現実に起こってしまった実体験を書きます。

この体験をシェアする目的は私の二の舞を踏む人を減らす事です。
「遺言を残す事の重要性」と、またそれを実行する「家族の気持ち」の一例をお伝えする事で、もしそのような状態のご家族やご自身が愛する人達の「呪い」となる事を避けられると期待しています。

始まり

祖母の母は胃癌を患い亡くなったそうです。当時は医者にお願いすれば安楽死を選択できたと聞きました。当時、末期癌の母の看護をしていた祖母はその闘病生活の過酷さを見て、自身も安楽死を選びたいと強く思ったと聞きました。

現代では安楽死をお願いする事はできませんが、致死率が高い手術を行わなければどのみち亡くなってしまうという状況下において「延命治療の有無」を家族が選択できます。私たち祖母の家族もその状況下に置かれました。

実際にその場にいち早く駆けつけた母(祖母の一人娘)と、私(孫)にその決断をするように主治医に聞かれ、祖母はこのシーンまで予想していたのかな?と、そう感じてしまう程「だから私に言ったのか」と合点がいきました。
私がその場にいる理由はこれだと祖母から聞かされていた通り「延命治療拒否」の選択をしました。

一時的な安息日

祖母は糖尿病末期で人工透析をしなければならず、当然糖質の高い飲食物は食べられない体でした。その状態で腸に穴が空いてしまい緊急入院、切開してみないとどうにもできないという診断を受け、透析をしながらの手術では生存確率が低く、更に頑張れたとしても感染症リスクなどもあり、最悪手術中に亡くなってしまう可能性も説明を受けました。
当時、コロナ禍でもしその状態だったとしても家族は面会できないと言われました。
私達はそれを聞いて、寂しがり屋の祖母が一人で苦しみながら亡くなる事を選択できませんでした。

母も手術にかけてみる価値あるかな?と迷ったところで、私は覚えている中で中学生時代からずっと聞かされている通り「本人の希望なので」と私が押し切る形で「延命治療を拒否」したのでした。

それから麻酔を使い「痛みだけを取り除く」事のみをするホスピス病棟で生活する事になりました。もう最後だということで念願だった炭酸ジュースや、果物、味の濃い食べ物などを楽しんでいて本当に嬉しそうでした。
私たちはもう祖母が助からない事を知っていましたが、それは本人には伝えず「治るといいね」と言い続けました。
奇跡的復活も勿論願っていましたが結果祖母は亡くなりました。

あのまま手術をしていたらこんなに久々に見る安らかで嬉しそうな祖母とは会えなかったということ、また祖母の夢だった「好きなものを飲み食いする事」は叶わなかったので私たち家族はこの決断で良かったのだとお互いに言い聞かせるように励まし合いました。

最後の言葉

通常87歳の高齢の場合、人工透析が無ければ持って2週間と言われましたが祖母は1ヶ月余命を楽しみました。
私達親子もその決断後から毎日最後を看取るその瞬間まで病院に通いました。死を悟った祖母の最後の言葉は、今までの安息の日々とは打って変わり私の決断を後悔へと塗り替えました。
もっと生きたかった・・・

その後、私たちは伝えられる事は全て伝え、お互いに泣きながら過ごし、その後祖母は眠るように昏睡状態となりました。

その状態で1週間ほどが経ち、意識を取り戻す事はなく、改めて余命申告を受けて約3日後、家族全員が見守る中で息を引き取りました。

罪悪感を抱える日々

祖母は小さい体でなんでも背負ってしまう、強く逞しく優しい愛の人でした。彼女は自分自身よりも他人を優先した人生を送りました。
老いても老老介護をして祖父を助け、やっと祖母が施設に入ると今度は一人の時間を少し楽しむも、孤独感に苦しんでいました。

そして、祖父と同じ介護施設に入り周りに人がいる生活が出来たものの今度は病院食の不味さや外に出れない不満が募り、いつも電話面会(コロナ禍で行けなくなってしまったため)で愚痴る事が日常になっていました。

そんな中でホスピスで好きに飲食でき、面会できなかった時間を取り戻すように実際に会って毎日話しをするその時間が祖母にとっても幸せだったと私は強く願っています。私にとってもそうであったように。

きっと最後の言葉は私の選択を責めて言ったわけではなく、「死への恐怖から出た言葉」だと思うようにしています。

そうは言ってもずっと罪悪感を抱えて3周忌が過ぎる頃まで引きずっていました。実際、解放されたのは私が今タロットカードなどのスピリチュアル系の癒しを信じ始めてからです。

もう亡くなってしまった人に聞ける事もなく、私はすごくご縁のあるヒーラーの方に相談をしてこの罪悪感からようやく3年越しに解放される事になりました。

その選択を頼まれたのが私で良かったと思うのは、私も10歳から10年間の闘病生活を経験し、苦しむだけの人生なら安楽死を選びたいと実体験をしている身だからとも思います。

後に弟から「あの場面で延命拒否は俺なら出来なかった」と言われました。
母も実の娘だからだと思いますが、きっと私が強く押さなければ延命治療を頼んでいたと思います。

万が一、延命しなかった事を責められても私の判断であれば私が経験者なのでみんな納得すると思ったのかもしれません。
冷静に客観視すればそうだと思います。ですが、それにしても大切な家族の命の決断を私が「本当に」託されるとは思っていなかったので自分の選択を自分で心から許す事ができるまでに苦しみました。

これを書いた理由も、あなたが私の祖母、もしくは私の立場になって苦しむ事がないように今なら準備ができる事を伝えたかったからです。

今からでも終活を!

私自身初めて意識を無くしたのは10歳でした。勿論、未成年の場合は両親に判断が委ねられますが18歳以上の場合、パンデミックを経験し、様々な戦争や災害といつ終わりが来てもおかしくない世界により近づいてしまったのかなと思います。怖がる気持ちも理解できますが、私の体験をシェアした理由は恐怖よりもその先の話です。

この経験をした私は「愛する人に何も伝えられない恐怖」「私の延命をした・しなかった事で仲違いしてしまう人がいるかもしれない恐怖」「朦朧とする意識の中でふと口を滑らせた言葉が皆を傷つけてしまうのではないか」そんな恐怖の方が何倍も上回ります。

「死人に口無し」です。


なので、もし昏睡など自分で判断を下せなくなった時どうするか自分の最後は自分で決めて自分の指示で行うようにする事を私は強くお勧めします。
愛する人へ自分が負担と罪悪感の呪いとならない様にする事ができます。

若いから大丈夫」が通じなくなってしまいました
いきなりコンビニで買い物中に車が突っ込んで来るかもしれません。

そんな時、後悔してからは遅い。
記事を読んで頂き遺族の立場である私の経験をあなたの愛する人達にして欲しいかどうか、考えてみて頂くきっかけになれば幸いです。

シリアスで重い内容となってしまいしたが、事実のみをお伝えするためありのままを書きました。ご拝読ありがとうございました。


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MATATABI
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