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下関へ 妹と次男とともに

 私は山羊座のA型である。したがって本来、生真面目で、細かい事にも気を配れるはずなのだがどうも「生真面目」には程遠く、寧ろ面倒くさがりで、たまにどうでも良い些事だけが「妙に気になる」というちょっと怪しいA型のようだ。父も母も妹も同様にA型で、こちらはいかにも典型的なA型人間だから、おそらく私だけが何らかの遺伝子変異、あるいは後天的な経過を経てからか、いつの間にかA型の美質を失ってしまったらしい。

 59年も生きてきた挙句に、このようなことを告白するのは、少々やるせない気もするが、この文集の主旨である「本音と本心で綴る」に立ち返り、あえて白状すると、私は自分の性格が嫌いである。

 自覚に基づく分析によれば、自分はまず ①臆病である。そして、②外連味たっぷり ③不都合の事実はごまかす ④薄情 と、本当にうんざりするくらいひどい人間なのだ。時折みせる「キレ」と、他人と極端に違う発想については、多少は褒められても良いのかもしれないと自分を庇ってみるとしても、それをはるかに上回る「悪質」が私の本質であることに間違いない。

 言葉や行動で何度も他人を傷つけてきたし、発言がもたらす効果を熟知した上で、言い方や、話す相手、タイミングを計算してその効果を操作する事も得意だったりする。実も誠もないのに、言葉だけで他人を喜ばせたり、相手が動揺するとわかっていながら、端的な言葉で相手の心を刺すこともすごく上手い。これを読んだ知人が、「そのとおり!」と膝を叩く姿を思い描くのはやはりショックだが、このような性格を自分で認識してることだけが、かろうじての救いなのかもしれない。

 私の知るかぎり、父も母も私のこの毒は持っていなかった。妹にもない。(彼女の場合は、その強い正義感と潔癖性、それらとやさしさの狭間で自分が苦しむタイプ。つまり私と真逆である) 幸いなことに、私の二人の息子にもこの血は継がれなかったようだ。26才と24才になった彼らのことは「どこが私に似て来るか」という観点で、幼い頃から慎重に見てきたつもりだが、少なくとも致命的に私に似ているところは無さそうで、その点では心底ホッとしている。

 彼らは ①納得しないと言動しない ②他人のことにコメントするのを嫌う ③嘘をつかない ④うわべの感情表現をきらう ⑤ややこしい人間関係からは距離を置く と、見事に私の逆を張る。就活のE/Sや面接に際しても、「自己PRでは1mgも盛らない。どうせバレるし」とのスタンスで臨み、外連味人間である私は、少なからず歯痒い思いでそれを見ていた。

 長男は音楽好きで運動オンチ、次男は典型的なアスリート、とまったくタイプが異なる二人だが、上述のような性格の本質が(私の真逆なことばかりだが)両者似ているせいか、麗しい相互信頼関係がタイトに存在している。反面教師としての私が身近にいたせいでその連帯はますます強くなったことは間違いない。

 同じように、私という反面教師に、幼いころから接してきたチエミと息子たちはとても仲が良い。

 結論として、私はそういう彼らをとても好もしく思う。妹には「長男というだけで不当に可愛がられて。悪かった。すまん。本当に親思いだったオマエさんには嫌な思いをさせてしまった。」と機会があれば謝りたい。そして二人の息子には、「とにかく母さんに感謝しろ」と今は心の中で呟いていよう。言葉にするにはまだ早い気がする。

【2019年(令和元年)9月10日】 
 先日はありがとうございました。チエミとユウと一緒に帰省するなんて、ちょっとびっくりしたでしょう。チエミからは、8月中に一度下関に戻りたいので一緒にどう?と声をかけられていたのですが、なかなか都合があわず、たまたま最終週の金曜日に浜松の仕事が入ったので、そこで彼女と日程をあわせることができました。名古屋にいるユウも金曜日はノー残業で早く仕事を終えられるということで、今回一緒に来てくれました。

【長府功山寺 高杉晋作像】

 実家というのはありがたいもので、とにかくよく眠れます。チエミとユウもそうみたいですね。二人ともお昼過ぎても起きてこないのには少々驚きましたが。独り暮らしというのはそれなりに気も張りますし、知らず知らずのうちに疲れもたまっているのかもしれません。

 近くにコンビニが出来て便利になりましたね。商品は概して割高ですが、洗剤やごみ袋など、食品以外にも必要なものをちょっと買うにはとても便利です。バスに乗って買い物にいけない時、たとえば雨の日なんかはぜひ利用してください。支払いは普通のスーパーと一緒で、買い物かごに商品を入れてレジに行けば大丈夫です。ATMを使って、銀行や郵便局と同じように現金の引き出しや振り込みもできるのですが、カードの使えない母さんにはちょっと上級編ですかね(笑)

 雑誌棚にはチエミの編集した雑誌が置かれ、食品コーナーにはユウの会社が販売しているフリーズドライの新商品が並べられていたこともあり、あの二人はとても楽しそうでした。それにもまして、その雑誌と食品をかごに入れて「これは私の娘のつくった本、こっちは孫が売ってる物」とレジで店員さんに話かける母さんはとても嬉しそうでしたよ(二人は恥ずかしそうに遠巻きでみてましたが)。やさしく応対してくれた店員さんに感謝です。

【下関酒造】

 チエミとユウは何となく似ています。兄を持つ二人目の子として育ったせいでしょうか、根っこにある価値観や考え方に同質のものがあるような気がします。ユウにとって、唯一の叔母であるチエミは、若者向け雑誌の編集を生業とするだけあって、とにかく20代の読者が求める話題やネタが豊富で、ユウとの会話もずいぶん弾んでいました。金髪に染めあげたショートカットの髪型も(私はびっくりしましたが)ユウの世代には「あの業界の人なら全然OK」と映るみたいです。新入社員と職場の女性先輩が冗談を言い合い、仲良く笑っているような光景でした。

 一足先に新幹線で名古屋に帰るユウを駅に送っていく車の中で「チエミちゃん、すごいね」と彼が感心したようにつぶやきました。「そうなんだよ。あいつは子供の頃からすごいんだ」と私は答えました。この前までは「チエミおばちゃん」だった呼び名が、いつのまにか「チエミちゃん」になったことが微笑ましく思えました。

 どの家庭でも、最初の子と二人目の子では育て方がだいぶ違うと思います。よく言われるように「最初の子の写真はたくさんあるのに、二人目のは少ない」というのもたいていは事実です(何を隠そう、我が家もそうです。)初心者マークの親としては、最初の子にはとにかく全力で子育てにあたります。すべてが未体験ですので、それなりに一生懸命です。2番目の子供の時にはそれなりに子育て経験も積み、親としての肝っ玉も少し座ってくるので若干余裕も出てくるのですが、一方で、2人の子供を育てなくてはならないという現実に向き合い、当然ながら一人を育てる時とは費やす時間とエネルギーの配分も変わってきます。

 それまで、親の「子育てエネルギー」を独り占めしていた長子からすると、これはちょっとした変化に映ります。100の愛情が50になったような寂しさを感じるかもしれません。一方、二人目の子はそういう親のエネルギー配分を当たり前のこととして育つわけです。50から100の間で愛情が変動することを知って育つ二人目はおのずから長子とは異なる人生観を初期に持つことになります。

 さて、チエミとユウの「遺伝子繋がりコンビ」が似ているという話題に戻ります。兄を持つ二人の最大の共通点は、「理解力と忍耐力」です。これは、家庭内でのコミュニケーションが両親と自分だけでは完結せず、兄という存在が、何事にも微妙に絡んでくることで鍛えられます。二人目の子供は、どのような行動や言動が他人を「喜ばせ」たり「怒らせるか」「傷つけるか」かを家庭内で自ずから学びます。あの二人もそうです。

 そして、これは多分彼らの先天的な特徴ですが、いい意味で、優しく、面倒くさがりです。その生来の特徴と、後天的な「悟り」が相まって、あの二人には以下の特徴を持つ性格が形成されました。

① 答のわかっていることに手間をかけるのを嫌がる。したがって相手が答え 
 られないことを問い詰めたり、ウケを狙って話を導いたり、盛ったりとい
 うことが苦手。
② その場で議論するよりも、自分の感情を表に出さずに、納得するまで言葉
 にしない
③ 今は理解されなくても「ま、いいか」といつか理解者が現れるのを待つ

 母さんはどう思いますか?

 チエミはまっすぐな性格です。でも、優しすぎて、他人に対してあまり強く主張できません。だから対人関係においては多くの場合我慢をします。時として、口数少なくふさぎ込む姿は父さんや母さんには理解しがたかったかもしれませんが、嘘を言えず、口繕いも苦手な彼女にとっては、「黙る」という行為が限られた表現方法だったんです。そういう彼女を目の当たりにして、母さんは「愛想がない。ろくに話もせずに親にも冷たい。」とこぼしていましたね。
 彼女は「我慢」と「沈黙」の中で、周囲が自分の内心を読み取ってくれることを待っていたんだと思います。編集者としての今の彼女も、きっとこのスタイルを変えていないと思います。活字媒体というオープンな世界で、言葉や画像という手段に頼りすぎずに、読者に語り掛けることが目指しているような気がします。

 兄である私は違います。狡猾で打算的ですから、父さんや母さんが喜ぶことを大げさに言ったり、してみたり、そして、できなかった時には言い訳をすることも得意です。子供の頃からずっとそうでした。

「チエミちゃんはすごい」とユウがいみじくも見抜いたとおり、彼女は昔からすごいんです。子どもの頃の彼女に関して、忘れられないエピソードがあります。チエミが小学校1年生で、私が6年生だった時のことです。チエミの担任の先生に、図書室前の廊下で呼び止められ、「君の妹の知能テストの結果が職員室で話題になっとる。天才少女かもしれん」と告げられました。生徒から、ドテチンというあだ名を密かにつけられていたその先生は「誰かさんとはえらい違いじゃのぉ」と私の肩をたたきました。

 このテスト結果のことは、その後学内でもちょっとした話題になったらしく、やがて噂を聞いた同級生からも何度となく「すごいの。オマエの妹」と言われました。ひねくれ者の私は、「すごい妹」と言われるたびに、自分が「できの悪い兄」と呼ばれていたような気がしたものです。

 そんな卑屈な私でも、当時の長男至上主義の家庭においては大事な「跡取り息子」です。妹の評判が私を傷つけることを、父さんと母さんは避けようとしてくれました。彼女の知能指数のことも、神童と噂されたことも、私のことを慮り、家庭では話題にのぼりませんでした。
 もし、チエミにもっと期待して、たっぷり褒めてあげ、機会を十分に与えてあげていれば、彼女の才能は違った形で開花したかもしれません。それを邪魔したのは、不肖の長男である私ですね。そのことについては、ずっと彼女や父さん、母さんに申し訳なく思っています。

 彼女の結婚生活が、けっして思い描いた様なものではなく、正業にも就かない夫のために多くのことを犠牲にしていると知った時、私はやるせない気持ちになりました。家計を一人で支え、彼に家賃を渡しても大家さんに払わずに使い込んでしまい、ずいぶん滞納してしまったそうです。別居状態になっても、ことあるごとにお金の無心をしてきた男です。「もう疲れた。別れることにした。」と話すチエミはやつれ果てていました。

 それでも「傷ついた」とは決して言いません。「すっきりした。ますます仕事に打ち込めるようになった」と言います。別れた旦那の悪口も言いません。「部屋の物を断捨離した。もうビジネスホテルみたいに必要最小限の物しかないよ」と屈託なく笑っていました。

 辟易とした気分で下関を離れた私と違い、チエミは「この家は兄ちゃんが継ぐ場所だから」と、自分の意志で故郷を離れ、東京で暮らすと決めたのです。彼女らしく、誰にも迷惑をかけず、他人を恨まずに半生を過ごして来たに違いありません。そんな彼女が今、下関を自分の故郷と呼び、母さんが住む家を、いつか「自分が帰る場所」と言っています。そしていつの日か、天命を全うした暁には父さんのお墓に入るつもりみたいです。本人が、母さんに直接話したかどうかはわかりませんが、これが彼女の本心です。わかってあげてくださいね。

【下関 唐戸市場」

 唐戸市場でお寿司を食べ、元乃隅神社にお参りし、角島大橋を渡って、帰りに川棚温泉で瓦そばをいただく。下関の定番観光コースをかなりコンパクトに廻りましたね。元バスガイドさんとしても、ご当地の新しい魅力の再発見の旅となってのでは? 前述の通り、似た者同士の妹と次男の会話も面白く、とても気持ちの良いドライブでした。

 山陰の海はとても青くて、日没時には空と海の際が黄金色に染まり、海の色は濃紺に変化します。どこからか街の光が射しこむ都会の海辺とは違う景色です。しっかり目をあけておかないと引き込まれそうになります。日が沈むと、完璧な暗闇と静寂が海と空を覆います。人工的な光が無く、波の音しか聞こえない夜、これも都会が失ったものです。

 また電話します。出かける時には携帯電話を持ち歩いてくださいね。母さんが心配だから、というだけではありません。声が聴きたくて、少しでもいいから話がしたいから電話します。


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