花火
【みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな】山下清
花火は、火薬と金属粉を混ぜて包み、それに火をつけて破裂させて、その音や火花の色、形状などを夜空に演出するもの。金属の炎色反応を利用しているため、混ぜ合わせる金属の種類によって様々な色合いの火花を出すことができる。火薬の平和利用の数少ない成功例かもしれない。
もともとは、中国で魔除けのために爆竹を鳴らしてのが始まりと言われているが、近年の海外では、主にお祝いとして花火が打ち上げられている。
日本で花火大会が始まったのは1733年の徳川吉宗将軍時代で、大飢饉の際に、慰霊と悪疫退散を祈って開催した水神祭のときに、花火を打ち上げたのが由来とされている。
このように、日本では、お祝いのイベントに色を添えるというよりは、慰霊や疫病退散の意味を込めて打ち上げらるとともに、花火には死者の魂を導くお盆の「迎え火」や「送り火」の一種としても位置付けられている。
私の故郷でも、お盆の時期に海峡沿いの埠頭で花火が打ち上げられる。
日本の打ち上げ花火と欧米の打ち上げ花火の特徴には大きく異なる点があるという。基本的に日本の花火玉は球体で、欧米諸国の花火玉は円筒形をしており、中は一種類の火薬がプレスされたいシンプルなものが多い。打ち上げられた時に円筒形の缶の蓋が外れて中身が飛び出すため、花火は垂れ下がるような形状で夜空に広がる。 日本の花火は、花火師が球体の花火玉の中に火薬を詰める工程で、火薬が飛び出す方向を緻密に計算して作られる。古くから河川で開催されることが多い花火大会で、季節の花を愛でるようにどの方向からでも、同じ形状の花火が鑑賞できるように工夫されたらしい。
何事にも工夫が得意な日本人。海外からきた文明やものごとを、緻密な味付けで再創作することで、価値を高める不思議な文化がたしかにこの国にはある。 勤勉で器用な国民なのだと思う。
日本の中世以前の文明文化は、中国大陸や朝鮮半島から渡来したものが大半で、近代以降のこの国は、欧米から一気に輸入したものを使いこなしている。カスタマイズし、精度を高めるのが得意な我が国は、本来のオリジンに対してもう少し敬意を払ってもよいのでは、と思ったりもする。
【2024年8月1日】
花火きれいでしたね。今日が花火大会の日だなんて全く知らずにドライブがてらに埠頭まで来てみたのですが、ほんとうにラッキーでした。
花火を真下から見上げるのは久しぶりです。人垣の向こうに打ち上げがる河川ぞいの花火を見慣れてたせいか、今夜のは迫力がありました。
対岸の門司と結ぶ連絡船が発着する唐戸の埠頭は、瀬戸内から外海に出る狭い海峡に沿ってのびています。早鞆と呼ばれる速い潮が、一日数回向きを変える船乗り泣かせの隘路です。私が子供の頃には水中翼船が、その海峡を渡っていました。
不思議なことに、この関門海峡の海と、わずか数キロしか離れていない北浦の山陰の海は色が違います。古より人間と共存してきた瀬戸内はいわばやさしい海で、悪い言い方をすれば「飼い慣らされた海」であり、外洋に繋がる山陰の日本海は、野生の海の趣がある。色で表すと、前者は蒼で、後者は碧がふさわしいのでは、などと考えたりします。
北浦の海岸の海水浴場でよく泳ぎました。魚釣りもしました。夏の碧海は大好きでした。でも冬の山陰海は、少し怖かったです。時化た時には、目を背けたくなるくらいの荒々しさです。いつも平らな内海は、その分ほっとしたものです。
海峡の花火。橋と夜景。夕陽と水平線。ここは案外贅沢な街かも、です。