苗字そして名前
日本には30万種類の苗字があるという。総人口が1億2千万の国に30万種類はいかにも多い。多い順には①佐藤 ②鈴木 ③高橋等々で、TOP10の苗字が総人口の10%を占めるという。お隣の韓国では人口の40%が金・朴・李で漢字の本家中国でも、王・李・張で総人口の20%以上を占めるというから、やはり日本の姓は際立って多種である。
そもそも中国・韓国では大半の姓が漢字一文字だが、日本の場合は複数が多く、同じ漢字表記でも地域によって読みたかたが変わったりする例が多いので、苗字数が漢字文化国の中でもダントツで多いのであろう。
すごくかわいい女の子の苗字が毒島(ぶすじま)だったり、受験に失敗して落ち込んでいる後輩の姓が祝(いわい)だった、というアイロニカルな苗字の人たちに出会ったことがある。しかし、なんといっても私が出会ったレアな苗字TOP3は「無敵」「目(さっか)」「京(かなどめ)」であろう。それぞれの云われは本文に記すが、ご本人以外にその苗字を持つ人に会ったことは無い。余談だが、前述の毒島という姓の女の子は、飲み会で「だれでいいからありふれた苗字の男と結婚したい!」と叫んでいた。
【2020年(令和2年)5月15日】
新型コロナ騒ぎのためにテレビ局は制作やロケができないので、どのチャンネルも古い番組の再放送ばかりです。リモートでコメントする番組もありますが、あまり良い出来のものは少なく、総じて面白くありません。とは言え、やることもないので、比較的おとなしい感じの番組を選んで観ています。時代劇なんかこういう時にはぴったりです。歴代の大河ドラマの再放送なんかはいいですね。
先日、たまたまテレビをつけると、これも再放送でしたが珍しい苗字の由来というテーマの番組をやってました。その中で高杉晋作が与えたという「無敵」姓のエピソードが紹介されました。幕末の長州征伐に参戦した下関の餅屋が、幕府軍の前に立ちはだかり石を投げて奮戦したことにより、高杉晋作から「無敵幸之進勝之」の名を授けられたそうです。
ムッチンの先祖の話ですね。彼以外に「無敵」姓の人にはいまだかつて会ったことがありません。「無敵」と刺繍された剣道の垂ネームで登場すると、他校からも歓声があがったのを覚えています。うらやましかったなあ。
養鶏場を営んでいた彼の家に、大きな籠をもって卵を買いに行ったものです。あいつ、元気かなあ。中学校の同級生と結婚したという話は聞きましたが、まだ下関にいるのでしょうか?
珍しい苗字と言えば、小学校2年生の時の同級生に「目」という姓の女の子がいました。さっか、と読みます。どういう由来なのか気になるので今更ながらネットで調べてみると、「奈良時代の官職名に由来。すべての事務文章に目を通す小典という役職のことを目と呼んだ」「小典は律令制の官職のなかでは地味なサポート役であり、助けるという意味の佐を用いて“佐官”(さかん)とも呼ばれた。この左官が次第にさっかとなり、目はさっかと呼ばれるようになった」という歴史的な背景があるそうです。律令時代の初期からこの国に存在した、実に由緒正しい姓だったんですね。この苗字の人も、彼女以外に会ったことがありません。
もうひとつ、珍しい苗字を思い出しました。京と書いて「かなどめ」と読ませる苗字があります。大学時代のひとつ上の先輩の姓でした。これはいろは順の「いぬぼうかるた」の最後の札に記されていたのが京の字で、最後のかなということで「かなどめ」と読ませるようになったそうです。やや頓智の効いた話ですが、こういうあて字からおこった苗字はけっこうありそうです。
今のところ、「無敵」「目」「京」が私の人生で出会った三大珍姓ですね。
さて、私の名前について考えます。修嗣という名の由来、父さんと母さんがこの名を選んだ理由についてです。修は「おさめる」と読むように、学ぶとか学問・技術を身につけるという意味があるそうです。また修行という単語に使われるように、「精神を整える」などの意味も持ちます。画数は10画。嗣は「嗣子」という単語があるとおり、後継ぎという意味です。したがって長男につけられる名前に使われることが多い漢字です。つまり、私の名前は「よく学び、古田家を継ぐ」子になってほしいという願いがこめられた名前です。これは間違いなく父さんの命名ですね。
あまり学問にも身を入れず、母さんを一人残して東京に住むわが身を振り返ると、父さんの願いはまったく叶えられなかったことになります。なんとも申し訳ないです。子に命名するのは親として最大の喜びの一つです。私もそうでした。画数を調べ、一生懸命に考えました。
父さんの「又夫」という名前、これはこれで珍しいですね。父さんの他にこの名の人を知りません。いかにも田舎くさい、野暮ったい名前ですが、父さん本人や叔父さんたちから聞いたその由来が笑えます。そろそろ女の子が欲しかったのに、また男の子が生まれてがっかりしたので「またおとこ」→「またお」に決めたというのです。子供の多い当時の農家だとこのようないいかげんな命名もあるんだなあ、と長い間思っていましたが、今から思うと、この話の真偽のほどはちょっと??です。実は、おじいちゃんとおばあちゃんが何かの願いをこめて、考え抜いてつけた名ではないでしょうか?
又と言う字を辞書でしらべてみると「かつてあった事がくりかえされること」と記されています。因みに似たような意味の「再」はこれからおこることがくりかえされること、だそうです。夫という漢字はひろく男の子にあてられる字で、辞書によれば「安心感を与える男の子の止め字として人気。優しく穏やかで、包み込むような優しさを持った人になることを願って付けられる」とあります。
つまり、三男である父さんが産まれた時に、たしかに「またおとこ・・」という雰囲気も多少はあったのでしょうが、おばあちゃんが自分な夫(=私の祖父)に似た男に育ってほしいと願いをこめて命名したのではないでしょうか?今となっては確認しようがありませんが、そういう気もします。