わり算のきまり 新しい発見の過程
4年生のわり算のきまりを見つける授業で、被除数と除数に同じ数をかけても、同じ数で割っても商が等しくなることを教える。これについて、本質的な理解、本質的な発見をさせることは可能なのだろうか。
一般的に授業では、商が4になるわり算をいくつも考えさせて、並べ、子どもたちに見つめさせることで、勘の鋭い子が被除数にも除数にも同じ数がかけられていることと、同じ数で割られていることに気がついて、どれもそうなってることを確かめるものが多い。
ただ、子どもたちはこのような流れの授業ではそうなってることは分かるものの、なぜそうなっているのかまでは、なかなか分からない。多くの子どもが、偶然性に驚き、それで終わりになってしまうため、わり算ならではのインパクトまでは残念ながら記憶に残らない。
そこで、「やや遠回りをしてたどり着く」という方法が有効となる可能性を探ってみたい。
子どもたちが、実際に縦に並んだ商の等しいわり算の式を見つめたとき、よく思いつくのが、いくつ増えたかという視点である。例えば、4÷1=4と、8÷2=4では、被除数が4増えたのに対して除数は1増えた。8÷2=4はと40÷10=4では、被除数が32増えて、除数は8増えている。と、このようなことにまず気づき始める。
教師としては、この気づきを完全には否定せずとも数に一貫性が欠けているため、ここにはきまりなどないということに早く気づいてもらいたくなる。そして、ついつい、子どもの視点を差ではなく、より高度な何倍かへと導きたくなってしまう。そのため、もっと分かりやすいきまりはないかと問いかけ、差に注目することをやめさせようとするのである。
しかしそれは、子どもの気づきを無駄にするだけでなく、深い理解をするチャンスを奪う行為に繋がるのではないか。というのも、子どもたちが言うように差に注目することによって飛躍のない論理が展開されうるからである。ここから出発すれば、どのような仕組みで被除数と除数に同数をかけても割っても商が等しいという事態が起きているのかを可視化できるのではないか。
それでは、実際に子どもたちが、発見しうる思考過程を想定して確かめていく。
先ほどの、4÷1=4と8÷2=4、8÷2=4と40÷10=4の差がそれぞれ被除数差4除数差1、被除数差32除数差8となっており、実はきまりがあることに誰かが気づくことは案外容易だろう。つまり、「被除数差÷除数差をしても、商が4」ということ。また、見方を変えてみると、4と1、32と8という数自体の共通性もある。被除数差4は、4×1で除数差の1が潜んでいる。被除数差32も、4×8で除数差の8が潜んでいる。被除数差4×1除数差1、被除数差4×8除数差8。ここで1つのきまりが見えてくる。それは、「被除数の差は必ず商の何倍か分だけとなり、除数の差はその何倍かの数に等しい」というきまりだ。これはこどもにとってまず矛盾がない。実は、「被除数と除数に同じ数を、かけても割っても商は等しい」では、12÷3=4と16÷4=4などの場合のように分数倍が多く存在してくるので、ここは未履修の小4の子どもに理解させるわけにはいかない。しかし、差に注目されば上のような場合でも、被除数差4と除数差1なので先ほどのきまりにあてはまるのである。
また、差ではなく、数自体に着目すれば、話は早くなる。つまり、被除数が必ず4の倍数であり、除数はその倍にあたる数になってればよいということである。子どもたちは、32÷8=4を見て、逆に計算すれば4×8=32ということにすぐ気がつく。ただ、これだと商が等しいわり算のきまりにつながりにくい。
そこで被除数と除数のみに着目して共通性を見出す方法が必要となり、自ずと残された道は、被除数と除数の関係になる。すると、全て除数×4=被除数となっていることに気がつく。これは、もしかしたら被除数と除数に同じ数をかけても割っても商が等しいことよりも本質的な性質になるのではないか。当たり前といえば当たり前ではあるが、多くの子どもたちの思考の中では明らかに新しい見方になる。この発見により、かけ算の交換法則も関連するし、わり算では、除数と商が入れ替わる関係になることも示唆することができる。整理して明文化すると、「商が等しいわり算は、除数と被除数の何倍かが等しくなる」という感じになる。子どもたちの中には、商×除数=被除数だから4の除数分という理解しかなかったものが、除数×商=被除数だから除数の4つ分という理解が加わり、最終的には自ずと全て4÷1と見ることができることにつながっていくはずだ。
ところで、問いの立て方にもいくつかあるので、何を問うのかを明確にしておく必要があるだろう。この商が等しいわり算の式について考える際に想定される問いは、「どうすれば商の等しいわり算の式が作れるのか。」や「式の数が違うのに、商が等しくなるのはどうしてか。」や「商が等しいわり算の式にはどんなきまりがあるのか。」などである。どれも似たような問いだがニュアンスが異なる。子どもたちに何をつかませたいのかによって問いは選ばれるべきであるが、1つ目だと、式が作れればいいという話になりやすく、広がりを期待できない。2つ目だと、「どうしてもなにも自明なことでしょ。」「答えが同じことなんていくらでもあるし。」となる子が多く、考えたくなるような魅力が足りない。また、他の四則計算についても無限に存在するごく自然なことなので、そこを敢えてそもそも論的に問うことの不自然さが目立ってくる。とすると3つ目が妥当であると言えよう。商が等しいわり算ならではのきまりを探すのであれば、式を並べて見つめることで、多様に関連性を探り、決して1つだけではない複数の決まりを見いだすことができよう。
このようにして適切に問いを立て、子どもたちに様々なきまりを発見させたならば、先ほど述べたようないくつかの共通事項が見いだされることになる。
そうして、終わりにしてしまうことなく、ここでようやくそもそも論の問いを立てることが可能となる。つまり、じゃあそもそも「なぜ商が等しくなるのだろうか」ということを問う。
そこで、全ての自体に共通することを根拠となるように洗い出してみることが必要となる。すると、商が4であれば、どの式においても4÷1に帰着することができるという根本原理にたどり着く。
商が4の式で、被除数=除数×4が成り立つことについては、かけ算の意味として除数が1つ分の量を表し、4がその4つ分と見れば、被除数は4と見ることがかのである。例えば32÷8=4では、8を1つ分すなわち1と見れば32は4に当たるので、4÷1=4と見ることができる。
「被除数の差は必ず商の何倍か分だけとなり、除数の差はその何倍かの数に等しい」では、どうか。まず、被除数が商の何倍かとなるのだから、当然4×1の1倍から始まる。次に、除数の差はその何倍かに等しいので、1倍となる。つまり、除数は1、2、3、4と増えることを表しているのではなく、1の何倍かを直接的に表しているのである。ただし、ここが最もややこしいのだか、それが同時に4÷1の除数1をも表すという二重性をはらんでいることも忘れてはならない。除数3も1、除数6も1、除数13も1というように。除数は、1の何倍かという割合であると同時に1がいくつか集まってひとまとまりになったという基準量でもあるという意味が内包されるということだ。したがって、除数が全て1と見られ、ここでも被除数は全て4に帰着することが可能なのである。
「被除数と除数に同じ数を、かけても割っても商は等しい」については、差に同じ見方をしているものだから被除数が4のいくつ分か、除数が1のいくつ分かで構成されていること、つまりは4÷1であることを証明すれば、なぜ同じ数でかけても割っても商が4となるかが理解できる。
これらのややこしい手続きを経て、ついに商のみが4で等しいと思いきや、「4÷1という数が実は式の方にも秘められている」ことがこの算数的事象の核心部分となるのである。
全ての子どもたちに理解させることは不可能に近いが、小学生の学力でも、「商が等しいわり算のきまりを複数発見させること」と「商が等しいわり算の様々な式は、実は最も簡単な、その商の数÷1を基準にして全てが成り立っていること」を扱うことで、本質的な深い学びにつながることは間違いないだろう。