「愛してる」

 人生でこの言葉を何度囁かれたかわからない。

 目に見えない感情を唯一可視化するのがコトバだ。無限に広がる喜怒哀楽を二文字に込めるなんて誰が考えたのだろう。言われる度にため息が出る。

 自分が愛されていると感じるのはいつだろう、他人から認められたとき、必要とされた時。少なくとも他人からの影響があった時にしか生まれない気持ちだ。

「あなたに抱かれても嬉しくなくなったから。」
新世紀ヱヴァンゲリヲン 第弐拾四話 最後のシ者 より

 人生序章でこのセリフを言う日が来ると思わなかった。まだ湿気が残る7月、窓から入る風が心地良い。今日を清々しい門出にすると決めたのだ。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている男に踵を向けてドアを開ける。蝉の声が暑さに拍車をかける、汗と一緒に全てを流しきってしまおうと思った。

 暇そうにしていると声をかけられる、気がつくと誰かの胸の中にいる。毎日こんな性活をしていても心に空いた穴は埋まらない。むしろ穴が大きくなっている気さえする。

「結婚しよう」

 この言葉ほど薄いものを私は知らない。都合が悪くなると吐き捨てていく単語。
紙切れ一つで結ばれたり離れたりするシステムは前時代的だと思う。ID認証や適性検査をここにも取り入れたら不倫も浮気も減るのに。
 そんなことを考えているうちに男のモノに力がなくなる。責任も何も取れない、体だけが大人になった子供のくせに口は一丁前だ。今日も楽しめなかった、肩を落としながら家路に着く。

 結婚は人生の墓場だとよく言うが、ならば何故進んで霊園に向かう人がいるのか到底理解できない。
 ただ私はその墓場に並並ならぬ憧れを抱いている、生きていても良いことがないのなら早めに墓標に名を刻みたいと思っている。自分が幸せになりたいだとかそんな烏滸がましいことを思っている訳ではない、私を幸せにしてあげられるのは自分しかいないことを知っているから。
 でも、人間ひとりで幸せを感じることは難しい。そのために誰かが必要だ。

「君だけだ」

 そもそも今までの自分を構成する’誰か’の存在があったはずだ。それを蔑ろにする言葉を軽く口に出してしまう。なかったことにして自分だけのモノにしたい、世界で私だけが正しいと思わせたい。これは粘ついていて纏わりつく厄介な感情だ、誰もが望んで持っている感情ではない。

 しかしこの感情は愛失くしては生まれない。嫉妬は愛があることを唯一証明できるモノだ。幸せとは嬉しいことも辛いことも内包している、人生そのものを投影していると思う。その’誰か’を含めて「愛してる」と言えたなら少しは自分も幸せにできると思う。

「死んでもいい」

「月が綺麗ですね。」
「死んでもいいわ。」
夏目漱石 より

 あなたに殺されても良いほど好きだと言われたことがある。逆に殺されても良いほど好きになった人もいる。
それが「結婚したい」なのだと思う。一緒に死んでも良い、骨を交えたい、それが愛の最上級だとしたら私は今幸せの絶頂にいる。

またたび。

炊飯器買いたいです^._.^貯金もします^._.^猫に小判^._.^