見出し画像

かがり火は消えるか?

 ※闇夜のカラスさんの企画小説です。前半は↑こちらの闇夜のカラスさんの記事でご覧ください。

 篝火を頼りに浜を目指していたのは、タツノヒコ達だけではなかった。身を固くして、声の主の一挙手一投足を窺う俺とは違い、カヤは既に薪を手に取り、立ち上がっていた。
「ウミヒコ兄さん。村を出でていくのかい? それなら、今しかないね」
 よく知っている声だった。しかしながら、あり得ない声。弟のヤマサチヒコは、三年前に亡くなったと思っていたから。
「よもや、僕が死んだとでも? ほら。釣り針は見つけてきたよ」
「ウミヒコ。こいつは、本当にヤマサチヒコなのか?」
 カヤの足が震えていたのがわかった。俺はというと、相変わらず動けないままでいた。ヤマサチヒコの態度は、俺を押え付けて動かさない力に満ち満ちていた。俺は嘘か本当かわからないままでいた。ヤマサチヒコの存在は、俺にとっては希望だった。しかしながら、それを喜ぶ余裕は俺にはなく、カヤを抱きしめて守る事も出来なかった。どうやら、ヤマサチヒコの様子がおかしい。
「わからない。声はそうだが、三年前とは体つきが全然違う」
 ヤマサチヒコは、俺と同じように痩せていて、鋭敏な神経の持ち主だった。それなのに、篝火の向こうにいるのは、岩のような筋肉で盛り上がった肩の上に、太い雄牛のような首が繋がっている、獰猛な獣を彷彿させる男だった。やや長めな顔は、昔のままだったが、引き締まっていた輪郭に乗っかっている目は、鮫のように深い瞳をしていた。また、湧いてでてくるような微笑の影が、自然に漂っていて、それは裏返して言えば、俺に対する復讐心にも受け取れた。
「ウミヒコ兄さん。ホスセリ兄さんは元気なのかい? 僕のように見捨てたのかい?」
 ヤマサチヒコは、笑いながらそう言った。それを聞いたカヤは、疑問を大きく膨らませているようだった。
「どういうことだ? ウミヒコ?」
 俺に問いかけたカヤの声は、波の音と同じように震えていた。俺はヤマサチヒコそのものが怖い訳ではなかった。勿論、怖いが、それ以上に俺が隠し続けた真実が露呈する事の方が恐ろしかった。それをカヤは感じ取っているのだろう。
「言いたくないのなら、僕が言ってやろうか? 今もタツノヒコ達を見殺しにするか、その女を殺すかで迷っていただろ? 兄さんは変わらないよね」
「ウミヒコ! どういうことだ?」
 再び放たれたカヤの声は、正確な祈りではなかったが、願望だという事は俺にはわかった。
「すまなかった」
 カヤの問いかけに答えず、俺はようやく、ヤマサチヒコに向き合った。
「ははっ。やっぱりそうだね!? 僕と同じようにホセスリ兄さんを殺したんだね!」
 ヤマサチヒコは、俺に鎌をかけたつもりだったようだ。ホセスリは、俺の弟だ。その下がヤマサチヒコ。そして、ホセスリはこの村にはいない。
「違うんだ。お前、どこかで頭を打たなかったか?」
「違う? なにが? 僕を海に沈めたのは兄さんだろ?」
 ヤマサチヒコはその大きな体を震わせて、わざとらしく、豪快に笑い始めた。
「こんな釣り針の為に、僕を海に沈めただろ? ほら。拾えよ」
 ヤマサチヒコが放り投げたのが、本当に俺の釣り針なのかわからなかった。だが、俺はそれを拾う事はしなかった。
「お前、本当に海の底に辿り着いたんだな?」
「ははっ。自分で行かせたくせに、何言ってんだ? まぁおかげで、僕は強くなった。それに、トヨタマビメと結婚できたわけだから、感謝しなくちゃな」
 ヤマサチヒコが言うには、ワタツミの宮に辿り着き、そこの娘のトヨタマビメと結婚したそうだ。ヤマサチヒコの肉体が頑強になったのは、ワタツミの元で鍛錬を重ねたからだという。それは、俺に対する復讐の為だったのかもしれない。
「ウミヒコ。私にはわからない。お前は弟を殺すような事をしたのか?」
 俺はカヤを安心させる言葉が見つからなかった。俺が弟達を殺したわけではない。しかしながら、俺が殺したようなものだ。俺は、土壇場で、タツノヒコまでも、見殺しにする所だった。そこで、俺は思い至った。ヤマサチヒコが、何故あいつらの事を知っているのだと?
「会ったよ。まだまだ沖の方にいるだろうけどね。僕は鮫に乗ってここまで来た。その篝火のおかげでここがわかったよ。それで、途中であいつらを追い抜いてきたよ。あれかな? 僕がウミヒコ兄さんの代わりに、あいつらを殺してくればよかったかな? その方が兄さんにとっては、都合がいいよかったみたいだね!?」
 今度は下品な声で「ヒャッハッハ」とヤマサチヒコは笑った。笑っていたが、その鮫のような黒い瞳はジッと俺を見ていた。
「もういいや。死ねよ」
 ヤマサチヒコは、時間を止めたように距離を縮めて、俺の頬を殴った。衝撃が強かったが、俺は気を失わなかった。
「兄さんは弱いね。今のはちょっと触れた程度だよ。それなのに、避けられないんだね?」
「やめろ!」
 カヤがヤマサチヒコの背後に忍び寄り、薪でヤマサチヒコの頭を殴った。
「おい。お前カヤだろ? 女らしくなったな? それでも所詮女だ。でしゃばるな」
「うるせぇ」
 再びカヤは、ヤマサチヒコの顔に薪を振り下ろした。女の力とは言え、弱い一撃ではなかった。しかし、ヤマサチヒコには通用しなかった。昆虫が、脚がもげても苦痛を訴える事が無いように、ヤマサチヒコはピンピンしていた。
「カヤ。ウミヒコ兄さんを信じないほうがいい。この男は、平気で人を殺すような男だよ。ある意味、僕は君を助けに来たようなものだよ」
 カヤはヤマサチヒコの言葉に耳を貸さなかった。そして、再度俺に問い質した。
「ウミヒコ。嘘だろ? ヤマサチヒコも、ホセスリも、事故だろ? そうだと言ってくれよ」
「カヤ。無駄だって。兄さんは何も言えないよ。あとね、勘違いしないで欲しいんだ。僕は兄さんだけを殺しに来たんじゃないよ。この村の者全てを殺すために強くなったんだ。僕を探しに来なかったこの村人を僕は許さないよ」
 俺は、何か言葉を言わなければならなかったが、何を言っても嘘に聞こえる気がして、黙っていた。カヤと二人で暮らす事など夢物語だった。せめて、この篝火だけは絶やさないでいようと俺は思った。タツノヒコ達が帰ってきたら、もしかすると村は助かるのかもしれない。
「すぐに火は消えるよ。この潮満玉で、ここら一体を海の底に沈める」
 ヤマサチヒコが、懐から透明の玉を取り出した。それに何やら呪いをかけるような仕草を始めた。それを見た俺は、ヤマサチヒコを誇らしく思った。
「お前、それを手に入れる事ができたのか!」
 誤解さえ解く事ができれば、この村は未来永劫の安寧を約束できる。俺は、どうするべきか考えた。しかし、都合よく策は思いつかない。そんな時に、海から声が聞こえてきた。

 何千匹のサメが、白い牙をむいて来るような荒波をかき分けて、一艘の舟が静かにこっちに向かって来た。不思議と、船は波の影響を受けていないようだった。嘘みたいな状況で、タツノヒコ達の船が到着したのだった。しかも、思っていた事が、全て叶ったように、弟のホセスリも船に乗っていた。
「ウミヒコ! すまないな。お前の事を信じてやればよかった。だが、お前も悪いぞ。何も言わないから、俺だってお前の事を、馬鹿だと思っていた」
 タツノヒコは笑っていた。その後ろにいるのは、隼人の国に、潮乾玉を俺の代わりに探しに行っていたホセスリだった。三年前と同じようにたくましい肉体と、純粋な笑顔で俺を見ていた。
「ヤマサチヒコ! 俺は死んでなんかいない。俺が自ら、志願して隼人の国に行ったんだ。死んだことにしたのは、村の人に余計な心配をかけたくなかったから。兄さんは、動けない訳があった。海を操れるのは兄さんだけだったんだ」
 ホセスリの説明が、どうヤマサチヒコに聞こえたのかわからない。ただ、ヤマサチヒコはどうする事もできずに、ただ佇んでいた。
「どういう事だ? お前達、一体何を企てていたんだ?」
 カヤには悪い事をした。カヤだけではない。タツノヒコ達、そしてヤマサチヒコにも、村の人にも俺の言葉は足りなかったのかもしれない。
「すまない。俺の力不足で、この村を守り切れなかったんだ。カヤ。お前にだけは伝えようと思ったが、それをすると、弟達の意志が台無しになる。海が、溢れていたんだ。俺の呪いでは止めることができないぐらいだった。そこで、海を操る二つの玉が必要だった。俺は動くわけにいかない。弟達はそう言って、それぞれ潮満玉と、潮乾玉を探しに行ってくれた。それは連絡の取れない孤独な探索だった筈だ。現に、ヤマサチヒコは頭を打ったのか、心を病んでしまったのか、どちらなのかわからないが、目的を失ってしまった」
 こんな説明で、カヤが納得するとは思わなかった。ヤマサチヒコだってそうだろう。ただ、早く、二つの玉を俺の手に渡して欲しかった。それで、海は、満ちる事と、干上がる事を繰り返すようになる。
「兄さん! これを。潮乾玉だ!」
 ホセスリが、径の違う円柱を四段に重ねた 潮乾玉を放り投げ、俺はそれを右手で捕まえた。
「ヤマサチヒコ。お前の事を探しに行けなくてすまなかった。勝手な事情とはいえ、お前を一人にしていた事を謝る」
 ヤマサチヒコは先ほどまでの怒りは消えたようだったが、どうする事も出来ずに、ただそこにいるだけのような感じがした。
「ウミヒコ兄さん。僕は何をすればいい?」
 ヤマサチヒコは昔のような神経質な素振りではなかったが、どこかボォーとした印象があった。ただ、俺達に協力的な素振りを見せてくれたことが有難かった。
「その、潮満玉を俺に渡してくれ。これで、この村は安泰だ!」



「お前にその資格はある。いいんだ。俺の事は。俺には慰みのために抱かれたい女が数えきれないほどいる。カヤと幸せになれよ。村長が眠たい事を言うようなら、俺がぶちのめしてやる」
 タツノヒコは俺にそう言った。
「お前にも悪い事をした。こんな事を、黙って勝手にやった事を許してくれ。それと、ホセスリを見つけてくれてありがとう。お前がいなかったら、この村はヤマサチヒコに沈められていたかもしれなかった」
 最後に冗談を言えるほど、俺には余裕があった。ヤマサチヒコが、狂ったように現れた時には、どうしようかと焦ったのだが、その誤解が解けるのも時間の問題だと思う。
「兄さん! 来てくれ! 鮫がこっちに向かっている!」
 ホセスリが山のような鮫を指さした。その鮫が、こちらに向かって進んでいた。鮫の背中には、女が一人乗っていた。
「ヤマサチヒコ!」
 どうやら、話に聞いたトヨタマビメだろう。その姿は、神々しいほど美しかった。
「トヨタマビメ。こんなところに来て大丈夫なの? お腹の子供が驚くよ」
 聞き間違いではないかと俺は疑った。一番末の弟が、一番早く結婚し、子を授かる事が不思議だと思った。
「大丈夫です。父の許しを得て、こちらに来ました。こちらの方がお兄様? 復讐はいいのですか?」
「もういいんだ。僕の勘違いだった。兄さんのおかげでトヨタマビメに会えたんだ。今は感謝をしている」
「そうですか。あなたがそう言うのなら私はそれで良いのです。申し遅れました。お兄様。私はトヨタマビメと申します」
 俺もたどたどしく、自己紹介をした。トヨタマビメは、これまでのいきさつに関しては無関心だった。どうやら、陸で出産をするためにヤマサチヒコの跡を追ってきたようだった。そして、俺はヤマサチヒコに謝った。弟は、大きな体を震わせて「いいんだ」と言ってくれた。
「兄さん。ほら。カヤに謝りな」
 ホセスリだけが、今回の顛末の全てを知っていた。そのホセスリが、耳打ちするように、俺にそう言った。
「カヤ。すまなかった。結果的に騙すような事になった。お前と二人でこの村を逃げる事はできない。お前にはこの村が窮屈かもしれない。でも、俺はこの村が好きなんだ。それでもよかったら、俺と結婚してくれないか? この村を変えていこう」
「うるせぇ。勝手に何でも決めんなよ! 私がバカみたいじゃないか。私の主は私だ。だから、私が言う。私はウミヒコと一緒になる。それでいいか?」
 篝火の薪が爆ぜる音が聞こえた。波の音が静かになったからか、その音が遠くまで響いているようだった。俺はこれでよかったのだと、自分に言い聞かせた。

おわり(4999字)


\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
闇夜のカラスさん
少々強引ですが、ここで終わりにします。(笑)
ウミヒコという名前から海幸山幸の話を連想しました。




一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!