ティーカップの嵐:ブル8のミレド
数日前にツイッター/Xのクラシック好き界隈で、ブルックナーの交響曲8番のエンディングが話題になりました。
ティーレマンが最後の3音を振り終わると、後ろで首を振りながら頭を抱える男性の姿が映ります。
この投稿、初めはネタとして楽しかった気がするんですが、次第に議論は混線……したのか?よく分からないんですが、なんとなくモヤモヤしたのでここに書いておこうかなと思います。
男性の本心は分からない
まずはこれですよね。首を横に振った男性は、一体どうしてそうしたのか。感極まった結果かもしれないし、気に入らなかったのかもしれない。どっちなのか想像するのはいいけれども、どうしても気になるのであれば、本人に聞くしかないのかな。
ちなみにYouTubeで無料で観られる部分での男性の動きも確認してきましたが、真剣に聴いているようだけど、どう思っているかは正直分からないです……。
ミレドで演奏の判断はしずらい
まずは断っておきますが、ミレドをどうするかは大事です。ただ、そのミレドがしっくりくるのか否かは全体の演奏聴かないと判断できないので、やはり最後の最後「だけ」の話をするのは、楽しいかもしれないけど、それまでではないでしょうか。
それより熱量込めて話したいことはブル8ではあると思います。ミステリアスな冒頭で登場したテーマがどのように展開していくのか。その展開を奏者はどう表現するのか。2楽章はどうだ。そして極め付きの3楽章はどうだ。
「迫ってくる滝の壁!!岩の壁!!!」
「はじめは小川だったのがいつのまにか渦に巻き込まれてた!!」
「その時の色彩は?背景は?強弱は?」
……みたいな曲の全体像の方が、ブルックナーの醍醐味な気がするのですが、今回はミレドだけが主役になってしまった。たまには最後の3音が主役になってもいいのかもしれませんが。モヤりました。
そもそもこれはティーカップの嵐だ
これは反省の部分。個人的に、さほど気にすることではないと思っている事に反応してしまった。「TLに流れてきてしまったのだから仕方ない」と、自分を慰めることもできるかもしれないが……。はあ未熟未熟。
この話題は、主にクラシック好きを公言している日本のTwitter/Xユーザーの間で展開されたことだったんだ。ミレドのネタがどう真面目で不毛な議論になろうと私は息をし続けているし、地球も回っている。
それこそ若い人は「カチカチに凍った漢江に猫が歩いています」なんだ。「"ミレド"って何それおいしいの?」だ。
なんでティーカップの嵐なのに自分でティーカップに入ってモヤモヤしてんねん。議論して気持ちが豊かになるなら趣味として最高だが、若干惨めになったので、これはよくないぞ。
ヨッフムに浄化してもらいました
というわけで今朝はヨッフムのブルックナー8をおともにランニングしてきました。ヨッフムのブルックナーは透き通ってるー!でも前回書いたドホナーニの透明感とは違いますね。
ドホナーニのクリーブランドの音色は(いい意味で)割と均一で、ドホナーニがうまくバランスを調整して透明感を作り上げている感じがします。
一方でヨッフム率いるドレスデン。ストリングスもとがっていて歯切れの良い音をだしてくれますが、金管の癖が強い。
初めて聴くと「あれ、このストリングの上にこの金管?」と違和感を覚えたりもするかもしれません。でも、この個性の違いみたいなのがあってこそ、トゥッティで鳴らしてもすべての楽器がしっかり分離して聴こえるんじゃないかと。
そしてヨッフムのスタジオ録音の8番は推進力がぱねぇっすよ。3楽章はじっくり時間をかけますが、どの楽章も自然!恣意的なジェスチャーをほとんど感じさせない。迫力満点の演奏に、ペース上げなかったのに心拍数上がってしまったぜ(いやそれは気温が高いからだろ)。
私そこまでブルックナーLOVEじゃないんだよな。次回こそ、ブルックナー以外の作曲家をピックアップしたいと思います。ではまた!
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