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Vision of the happy future

俺は欠陥品だから
いつも聖靈に繋がっていないと、書けない。

欠陥品なんだ。
だから巫(かんなぎ)しかできない。
そういうことなんだ。思い知った。


2054年から来た未来人が、俺に、
あと30年生きられると教えてくれた。
91歳の母と61歳の俺が、
121歳と91歳まで共に生きていい。と。

医学の発展と 環境建築学の進歩と
無尽蔵エネルギーの発見が、
人類の寿命を延ばし、
生物の安全性の確保された未来を可能にした。

そうか。それなら、
このまんま放っといても死なないなら、
いっそ愉しもう。思いきり。

まずは、
「愉しく生きる30年」を予祝のビジョン
としてドラマを書くんだ。

都会から田舎の一軒家に引っ越して
もっと快適な生活環境を手に入れて
要介護5の母を特養から退所させて
二人暮らしを取り戻す。
訪問看護チームの手を借りて
在宅介護をスタートさせる。

グンと手足を伸ばして浸かれる広い浴槽と、
窓から見える里山の緑と、
大きく吸い込む新鮮な外氣。
室内にはいつも天然アロマの香りが流れ。

・・・ そこまでは書けた。
そこからが何も浮かばないんだ。

作品を引き寄せの道具にしようと
目論んだからか。
「欲」が邪魔しているのだろうか。

楽しいビジョンが一滴も拡がらない。
巫という職業設定がハードルを高くした
かもしれない。

楽しい未来・・・

俺のイマジネーションの貧困と枯渇。

だったらそのプロットを聖靈に訊くか、
流行りのAIに訊くか。
それは実は同じことなのかもしれない。

うん。そうだな。
これからは生活の隅々まで巫として生きよう。
意識の半分を「彼ら」にあずけよう。
そのほうがドラマもリアルも、
きっと面白くなる。

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